第3章 秋

第42話 出会いと別れ

〔これまでのあらすじ〕

世界を救う鍵となるオシリスの羊であるシロ、ミヅイゥ、魔王の娘クロ、騎士団を逃げ出したイグニスとヴィトラ、アラクネ族のパウク。6人は旅の中で獣による黙示録を封じ込めることに成功した。


ミヅイゥは黙示録により自らのスキルが暴発し、イグニス・ヴィトラ・パウクを巻き込んでシロとクロの前から消えてしまった。

そして4人はとある空間に瞬間移動した。

そこはどうやら建物の一室だった。しかしその部屋はとても広大であった。

「は?」

ただ一言、純粋な疑問を表すその一言が低く反響する。

イグニスとパウクは声の方向に目をやる。

目線の先には十数段の段差があり、声の主はその段差の上の玉座にいた。

玉座の両脇に天井からタペストリーが下りている。

タペストリーに刻まれた印にパウクは身体を強張らせる。

その印こそ、ツノの1つがかけた三本角の牛の顔が示すもの、欠けた右角、ラドロンティ族の印であった。

そして中央に鎮座するのは唯一四本の角を持った統合の象徴、ラドロンティ族を統べる張本人。

「バンゲラアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」

パウクは宿敵の名を叫んだ。

「図が高い」

バンゲラの声が冷たく響く。

――ドゴッ

パウクとイグニスは圧力を感じてその場に押し潰された。イグニスはヴィトラとミヅイゥを見る。ヴィトラは黙示録の獣に殺されかけ、生還したばかりであり眠っていた。ミヅイゥも同様にスキルを使い果たした影響か昏睡していた。

パウクとイグニスの前に初老の男が現れる。

「遅い」

バンゲラは不満を垂れた。

「申し訳ありません。異例の事態でして。まさか突然バンゲラ様のもとに姿を見せるとは」

「うむ。鎧の男よ、余を知っているようだな」

「ははははははは!」

パウクは潰された状態で笑い声を上げた。

「どこまで拙者を愚弄するつもりだバンゲラ」

パウクは、のしかかる力をものともせずに立ち上がる。

「仇を前にして、こんなものに倒れる拙者ではなかろうッ!」

「クッソォ、このヤロウッッ」

イグニスも圧を振り切って立ち上がる。

「パウク、奴と何の因縁があるのかは知らんが、オッサンは俺に任せろ」

「感謝する」

パウクは床を蹴ってバンゲラに接近する。しかし初老の男により阻まれる。パウクは後方の天井に糸を放って男から距離を取る。

烈炎双剣デュアルフレイム

その隙にイグニスが攻撃を仕掛ける。しかし双剣ヨモツマガツから溢れ出ていたはずの炎が消え、イグニスは男から腹に蹴りを喰らう。

後退したパウクだが、伸ばしていた糸が突如切れて落下する。

「〈動くな〉」

バンゲラが低い声で言う。

パウクはすぐさま立ち上がる。

「何を言う。拙者はこの通りピンピンしているぞ!」

「違うぞ鎧の男よ。余の部下に命じたのだ」

イグニスも起き上がるが、バンゲラに叩き潰される。片手で軽々と持ち上げられたイグニスはパウクの足元まで投げ捨てられる。

「商人の基本は対話による交渉だ。まずは話をしよう。鎧の男よ、貴様は何者だ」

今すぐにでも斬りかかりたい衝動を抑え、パウクは口を開く。

「復讐に燃える男、パウク・メテニユ」

「面白い。だが余は貴様を知らぬ」

「ふざけるな。拙者の館を襲撃して妻を奪っていっただろう。そして館はベネムヌトに譲り渡して拙者を使役していた」

「ベネムヌト…。聞き覚えのある響きだ。はて誰だったか」

「27番目の妻になります。蕈人族収奪時の手土産でした」

バンゲラの部下の男が言う。

「蕈人…蕈人…ああ、毒の女か。パウク・メテニユよ、迷惑をかけてすまなかったな。余も奴の扱いに悩んでいたのだ。長の娘は阿呆ばかりだ。図が高い。美人であればいいという訳でもないな。いやしかし、そうかそうか。あの時の館の亭主か。それは分かった。だがそれがどうした。貴様がここにいるということは、奴は死んだのだろう?館は無事に戻ってきた。それでいいではないか」

「貴様ァァァッ!」

パウクは瞬時に作り出した糸の槍をバンゲラ目掛けて投げつける。バンゲラの部下が足蹴で槍を叩き折る。

「拙者の妻を、メリーザを連れ去ったままに。メリーザを返せ!」

「メリーザ…そうか。思い出したぞ。貴様、アラクネ族だな。その名で思い出したよ。メリーザには世話になった。彼女は良質な糸を出す」

「メリーザは今どこにいる」

「うーむ。パウク・メテニユよ。取引をしないか?好きな金額を言いたまえ。その額で彼女を買おう」

「ふざけるなッ。もういい。貴様を殺す」

パウクは糸刀を構える。

「ははははははは!面白い。面白いぞ、パウク・メテニユよ。遂に現れた。我に剣を向ける者が!我が勇者が!」

「は?勇者?」

「余は文学が好きだ。特に勇者モノは心が躍る。パウク・メテニユよ、我が下から姫を取り返してみせろ!」

「言われるまでもない。ハナからそのつもりだ」

パウクはようやくバンゲラに斬りかかる。

足元に落ちていた右剣ヨモツを拾い上げたバンゲラはパウクの刀を易々と受け流す。

パウクとバンゲラの鍔迫り合いが始まる。バンゲラの肉体はパウクの3倍はある。バンゲラはパウクの斬撃を容易く返すが、パウクはバンゲラの巨体から繰り出される重い一振りを受けとめることで精一杯であった。

「啖呵を切ったところでこの程度か」

「なんの…!」

パウクは斬撃をやめると縦横無尽に部屋を飛び回り始めた。

「カハッ!」

気を失っていたイグニスが目を覚ます。パウクがバンゲラの周りに糸を張り巡らせている様子を見た。

イグニスはそばで眠ったままのヴィトラとミヅイゥを起こそうと身体を揺する。

「おい、2人とも、起きてくれ。ミヅイゥ、頼むから起きてくれよ。早く逃げないと、俺達おしまいだ」

イグニスはバンゲラの強さに圧倒されていた。そもそも彼はつい先程まで力のリミッターを外して黙示録の獣と交戦していたのだ。意識を保っていることが及第点と言える状況にいた。

「なあミヅイゥ、頼むよ。ここに来ちまったことは何とも思っていないから、だからお願いだ助けてくれ」

その時イグニスはミヅイゥの涙を見た。ミヅイゥは眠りながら、両方の瞼を閉じたまま、とめどなく涙を流していた。

「どうしちまったんだよ、ミヅイゥ」

――ガンッ

パウクの糸刀とバンゲラの振る右剣ヨモツがぶつかり合う。

「はははははは!楽しいな!パウク・メテニユ」

「ほざけェッ」

パウクは左手で無数の糸を放出する。しかしそれらの糸は瞬時に切られてしまう。

――バンゲラは拙者の刀を受けているはず。どうやって糸を…?

パウクは刀を振りながら必死に周囲の状況を把握する。わざと糸を遊ばせながら、敵の動きを見る。

――まさか。

パウクは無数の糸の一つをバンゲラの部下に向けた。すると他の糸よりも僅かに早くその糸は断ち切られた。

――当たりか。

バンゲラの言葉はブラフだったのか、確かに部下は動いていた。あまりの速度に、まるでそこに佇んでいるままのような錯覚を覚えてしまうが。しかし動いていなければ、それはあり得ない挙動だった。

「隙あり」

パウクの意識が部下に向いたその一瞬をバンゲラは見落とさなかった。

パウクが声の方を見るとバンゲラは頭上にヨモツを振り上げていた。

3メートルもの巨体から振り下ろされる重たい一撃。パウクはとっさに糸刀を構える。それだけでなく糸の束で刀を補強する。

だがしかし、ヨモツは鉄のように硬い糸刀をまるで蜘蛛の糸かのように易々と切断した。そしてそのままパウクの脳天に叩きつけられた。その衝撃で右剣ヨモツが先に粉々に砕けた。

頭への圧力で、足を引いている姿勢だったパウクはストンと床に倒れた。

バンゲラはパウクの頭を掴み、イグニス、ヴィトラとミヅイゥのもとへ投げつけた。

「それで、貴様は何者だ?」

「俺はイグニス・ヴォクユだ」

「イグニス・ヴォクユ…どこかで聞き覚えがあるぞ」

「ドデンの傀儡では」

部下が言う。

「ああそうだ。なんだっけか、デュアル・パレス!その優勝者だ」

「そうだ」イグニスは答える。

「そうかそうか。貴様には世話になったな」

「…どういうことだ」

「ん?知らないのか?騎士団はいい取引相手だった。ドデンのヘマで撤退する羽目にはなったが、それまで貴様にはよく稼いでもらった」

「待て…俺が…?」

「ああそうだ。イグニス・ヴォクユを所有するボーーヴォ財団の優先特権。これを利用して随分の武器を供与させていただいた」

「武器供与って…」

「もちろん商売だ。この時勢は良いものだな。魔族という脅威が存在する限り、人は防衛力を欲し続ける。我々は商売繁盛。皆幸せだ」

「テメェ…」イグニスの腕がわなわなと震えている。

「世界平和の為にシロとクロがどれだけ努力しているかも知らないで。それを易々と踏み躙るんじゃねえ!」

「だったらなんだ?余を殺すか?」

「上等だ。やってやる」

イグニスは左剣マガツをバンゲラに向ける。

「ふん、つまらん」

その瞬間、イグニスは痛みを感じた。

右腕を見ると、肘から下がなくなっていた。

足元には右腕の一部が落ちている。それは本来あり得ないことだった。五本の指は数秒前までの指の形を保存している。

骨をも穿つ一閃をバンゲラは一瞬のうちに繰り出した。イグニスも短絡的にそう判断してしまった。一つ間違いのないことは、彼は技の速さに対処できなかったということだ。

「なっ…」

イグニスは切り取られて露出した右腕をおさえる。

そこでパウクが立ち上がる。すでに立ち上がることで精一杯であった。

見かねたバンゲラは口を開く。

「パウク、我が勇者よ。貴様に一度だけチャンスを与えよう。再び我が前に立ちはだかり、姫を取り返すことができるよう期待している」

パウクはその意味を理解した。

「…!やめろバンゲラ。待て!」

「〈去ね〉」

次の瞬間、パウク、イグニス、ヴィトラ、ミヅイゥの4人は見知らぬ草原の上にいた。

「そんな…クソ…拙者の力不足で…クソッ…メリーザが。クソォォォォォォ!」

パウクは2つの拳で地面を叩いた。

「パウク…!落ち着け」

イグニスはパウクの背後に回って片手で肩を掴もうとする。

「離せッ!」

パウクはイグニスの手を払い除ける。

「なっ…すまない…」

パウクはイグニスの右腕に気付いて謝った。しかしイグニスを見ることはなかった。

「これは俺の至らなさだ」

イグニスは右腕の断面を見つめる。

「何か…布か何かで傷口を押さえておけ。そしてとっとと医者に診てもらえ」

「アンタはどうするんだ。五体満足ならいいって訳じゃないだろ」

「拙者は魔族だ。人より治りは早い。それに療養をしている暇もない」

「何する気だ?」

「拙者のやる事は変わらない。バンゲラの根城を見つける。でも今のままではダメだ。強くならなければ。……クロ殿とシロ殿に、すまないと伝えてくれ」

「……」

イグニスも口を噤んだまま何も言わない。

そしてヴィトラが目を覚まして上半身を起こした。

「ここは…。イグニス!その腕は!?パウクも、どうしてそんなにボロボロなの」

イグニスはヴィトラに微笑みかけた。

「バンゲラに負けた。ヴィトラ、ミヅイゥを頼む」

それだけ言うとヴィトラに背を向けた。パウクの目を見る。

2人は落ちていく夕陽に向かって走り出した。

「イグニス!待って!」

ヴィトラは立ち上がって言う。イグニスは足を止める。しかし振り向くことはない。

ここで彼を引き止めなければ二度と会えることはないかもしれない。ヴィトラはそんな予感を覚えた。

――でもどうする?イグニスを揺り動かすにはどんな声をかければいい?……いや違う。絶対に、絶対にそんなことはないと信じているけれど、もしこれが最後の会話だとしたら…。

「私、あなたのことが好き。ずっと昔から。プロリダウシアで、私を助けてくれた時からっ…!」

イグニスはパウクの背を追いかけて走り出した。彼が強く奥歯を噛み締めていることをヴィトラは知らない。

2人の背中を見つめるヴィトラの視界が歪んだのは、夕陽を見続けたせいだろうか。



「ドゥギス、場所を移すぞ」

「はっ」

バンゲラ、そして部下のドゥギスは移動の準備を開始した。


〈神判の日〉まで残り183日

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