第41話 夏の追憶
〔これまでのあらすじ〕
オシリスの羊シロ、魔王の娘クロ、誘拐された妻を探すアラクネ族の末裔パウク、死を偽装して自由になった元騎士イグニス、彼を慕う元騎士ヴィトラ、そして2人目のオシリスの羊ミヅイゥ。6人の世界を救う旅は続く。
黙示録の獣を消し去る代償に記憶を失ったクロ。目を覚ました彼女は何を語るのか。
そしてミヅイゥのスキルの暴発により瞬間移動してしまったパウク、イグニス、ヴィトラ、ミヅイゥの4人は一体どこに行ってしまったのだろうか。
クロが眠っている間にシロはクロに変身のスキルをかけた。黙示録によって魔族の姿に戻ったクロだったが再び人の姿に擬態したのであった。
クロはシロの腕の中で目を覚ました。
「んん…シロ…?」
「…!クロさん!もしかして記憶が残って…!」
「ここ…どこ…?」
クロは上半身を起こすときょろきょろと辺りを見回す。
四混成獣ゴグ=マゴグの放った光線によりできた地面の窪みや深い谷がその存在を証明するかのように残されていた。
しかしかつてその場所が草原であったように地面には若草の息吹が戻っていた。
「え…クロさん?黙示録のことは…」
「黙示録?何を言っているのシロ?」
クロはどうやら地面の窪みを見ても何も思い出せないらしい。しかし何故だろう。何故シロの名を呼ぶのだろうか。
「クロさん、どうして私の名前を覚えているのですか?」
「どうしてって…そりゃあなたが私の……」
そこでクロは口をつぐむ。
「クロさん?」
「あなたはシロ…。私の……何?」
クロはシロの顔を見つめる。
「あなたは私の何?」クロがそう繰り返す。
「あなたは何?私は誰?いや、私はクロ。あなたはシロ。でもそれはただの名前。それしか分からない。私達は本当はなんなの…?」
「落ち着いてください!」シロは思わず声のボリュームを上げる。
「あなたは、クロさんは、私の仲間で友達です。私達は旅を…」
「違う」シロの言葉を遮った。
「え…?」
「あなたは私にさん付けなんかしない。いつも呼び捨てだった」
「あ…え…クロ……?」
「そう。続けて」
「クロ……と私は旅をしています。世界を救うために。そのためにオシリスの羊を探す旅を」
「オシリス…聞いたことがある」
「本当ですか。じゃあ聞き覚えのある言葉を探しましょう。私達以外にも仲間と共に旅をしています。パウクさんにイグニスさん、ヴィトラさん、ミヅイゥ。ほら、今も向こうに…」
シロは、イグニスがヴィトラを介抱していたはずの方向を見て言葉を失った。そこには誰もいなかった。
今度はシロがきょろきょろと辺りを見回す。しかしそこにはシロとクロ以外誰もいなかった。
レニカの街から少し外れたその場所にシロとクロ以外誰もいなかったのだ。
「そんな…」
シロは考えた。
――ミヅイゥのスキルがまた暴発した?考えられるのはそれくらいか…。
そして先を思いやり途方に暮れてしまった。
――どうしよう。クロさんの記憶を取り戻させる?そもそも
シロはポシェットから地図を取り出して開く。そしてひらめく。
――いや、そうだ。もっとこれまでのことを話せば、何か思い出せるかも。
「ほら、クロさん」
「クロ!」
「ああ、クロ。見て。ここはレニカの街。覚えていない?」
クロは首を横に振る。シロは続けて地図上を指でなぞる。
「じゃあここ、セントプリオース。ここは獣が初めて姿を見せたところ。私が…あなたの頭に獣を放った場所。あと私は一応ここの巫女なんだけど…」
「ふうん。似合いそうね。思い出せないのが残念」
「そうですか…。ならプロリダウシア。ここで私、デュアル・パレスっていう大会に出たんですよ。なんとか優勝して、イグニスさんとヴィトラさんと協力するようになって、それでミヅイゥを見つけたんです」
「デュアル・パレス…。聞いたことないわね。他には?」
「えーと、あ、ここなんてどうです?バッヘルム。ここで魔族の軍勢と騎士の衝突を回避させたんですよ。クロのおかげです!」
「魔族と騎士の衝突を…?どうして?」
「どうしてって…え、覚えているんですか?」
「いや、何のことかはさっぱりだけど、どうして衝突を回避させる必要があるの?」
「え?え?どうしてそんなこと言うんですか?だってそうしないと殺し合いが起こるって。殺しはいけないって私に教えてくれたのはクロじゃないですか」
「殺しが…いけない。人間を殺すことが…?」
「そうですよ!それはクロが私に教えてくれた最初のことです!」
シロは立ち上がるとクロの手を引いて歩き出した。
「ちょ、シロ。何をするの」
「私についてきてください」
シロはクロの手を握る力を強めた。
シロはクロの手を引きながら壊滅したレニカ街を立ち止まることもなく通り過ぎていく。
黙示録フィールドを形成する紫紺のカーテンに包み込まれたエリアはその瞬間から存在が消滅していた。それはカーテン無き後でも変わらなかった。お使いを頼まれていた肉屋も八百屋もおまけをしてくれた駄菓子屋も今では向日葵畑に変わっていた。
クロは黄色く微笑む向日葵を一つ一つ眺めながら歩く。
シロはそんなクロをよそにただ前だけを向いて進む。
紫紺のカーテンの魔の手を免れたエリアも街の半分はあるはずなのだが、それもセレスト・ナヴアスの
シロがクロと出会ったあの日、2人で訪れた洗濯屋の建物も例外ではなかった。
シロはその建物の前で立ち止まった。
「シロ?」
「クロさん…クロ。ここは覚えていない?」
クロは頷く。
「そっか」
シロは再びクロの手を引いて歩き出す。
「私は覚えているから。忘れないから。この街のこともクロさんのことも」
クロは歩きながらシロの頭を見つめる。そしてシロにも聞こえない声で呟いた。
「あなたは…族…」
風が2人の耳を撫でた。
シロとクロは決戦の地から少し歩き、レニカの街の近くの丘にやってきた。
丘の上は6本の背の高い向日葵の花が陽の光をいっぱいに浴びて黄色く輝いていた。それはまるでシロとクロの訪れを歓迎しているかのようであった。
「ここは?」
シロは丘の上に続く道の淵で立ち止まった。
「私が初めて人を殺した場所です」
シロは目の前で情景を思い浮かべながらゆっくりと話し始めた。
「クロが空から降ってきて、そこで私はクロと初めてのキスをして、クロに追いかけられてつかまって、そこに騎士がやってきて。私がその騎士を殺して、クロに怒られて」
シロはクロの目を真っ直ぐ見つめる。
「本当に…覚えていない…?」
「ええ。何一つ」
クロの言葉がシロに冷たく刺さる。
「どうやらあなたの知るクロは私ではないみたいね。そんな腑抜けと私を一緒にしてほしくもないわ」
シロはクロの肩を両腕で押す。
クロはそのまま倒れる。
シロは両手を地面につき、クロの上に覆い被さる。
お互いの鼻が触れるか触れないかのところまでシロは言い寄る。
「クロを馬鹿にしないで!腑抜けなんて言わないで!私の知るクロはとても強いの。世界の平和のために、後先考えずにお城を飛び出せるほど強くて、優しい人なの…」
「私は魔族よ?人族との平和なんてあり得ない」
「どうして…?」
「どうして?」クロは反芻する。
「そんなの決まっているじゃない。人族が、魔族を滅ぼそうとするから。シロ、あなたはおかしい。どうして人族に肩入れするの?人間を殺したことをそこまで引きずるの?」
「どうしてって…それは…それはクロが言ったんじゃないですか!殺しはよくないって」
「でもあなたも肉を食べるでしょ?」
「だから感謝をするんです!『いただきます』を言うんです。それが命を頂くことだって、クロが言ったんですよ」
「いいえ。そんな生ぬるい考えは捨てなさい。家畜は飼われていないと生きていけないのよ。家畜は決して野生には戻れない。だから最後に待つ死は、それまでの人生の対価。与えられてきたことの報酬。シロ、あなたは私がいないと生きていけないの?」
シロは目を丸くする。
「そん、そんな…そんなこと…!」
「では何故私の記憶を優先するの?仲間が消えたのに?」
「それは…」
「教えてあげましょうか。あなたは私に飼われているからよ。飼い主サマを優先するのは当然のことじゃない」
シロの両目からはぼろぼろと涙が溢れる。涙は水滴となってクロの顔に滴る。
「でも…それでも…」
シロは声を震わせながらも言う。
「私はクロさんに飼われていてもいい。だから私を…思い出して…」
クロはふっと微笑む。
「かわいい」
そしてスレスレまで近づいていたシロの唇に自らの唇をあてがった。
「ん……」
クロは胸の奥に熱いものを感じた。
――これは何?
クロはシロの体をおさえるように腰に手を回す。そして2人で体を反転させる。
クロはシロに全体重を乗せ、両手でシロの頭を固定する。そのままその姿勢で再び唇を重ね合う。シロはクロを受け入れる。
クロはクロの中にいた。
――あんたか。この身体の主は。
『その声…あなたは』
――ええ。クロよ。でもどうやら、私の身体はここにはないみたいね。
『それは一体…』
――だからこの身体をいただく。
『それはダメ!』
――どうして?
『約束…したから…!』
――約束?…まさか!待って、いいの?そんなことに魔法を使って。自分の魔法が一体どれほどの力を秘めているのか…。……いや、もはや後の祭りね。
『魔法?私の魔法?』
――そう。この世界のクロに与えられた魔法はどうやら神の力と同義らしいわね。
『どういうこと?』
――そのままだけど…今は気にすることはない。でももう一つをいつにするかはよく考えた方がいい。
『どうして?』
――それは世界の行く末を変えかねないから。
『それって…』
――……そうか。分かった。とりあえずこの身体はあなたに返す。今のところはシロの唇で勘弁してあげるわ。
『くちび…は!?』
――ふふふ。
「また会いましょう」
クロは唇を離して再び微笑むとシロに身体をあずけるようにして倒れた。
羊のぬいぐるみであるキュビネはシロとクロのそばへと辿り着くと力尽きたように倒れ込んだ。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!この瞬間が!ようやく…!あぁお姉ちゃん。わかるかな?ついに成し遂げたよ。この瞬間を……」
感極まったキュビネはその場で一人号泣していた。
レニカの街郊外、黙示録の起点となったウプ・レンピットを備えていた塔。その塔の跡地に一人、黙示録の崩壊から生き残った男がいた。
その男は塔の下に隠されていた地下室内に落下し眠っていた。
そして目を覚ました。
「はははははははははは」
男は笑った。机の下に隠されたさらなる地下室の中で保存されていたその機械の復元された姿を目にして。
それこそ多段階式遠心分離カスケード。この復元がパラダイムシフト計画の目的であった。
黙示録は計画の副次的な結果に過ぎない。
「計画を次の段階に移す時が来た」
生き残った科学者、シャンティーサ・フィコはカスケードを前にして手をたたいた。
イグニス、ヴィトラ、パウク、ミヅイゥはとある空間に瞬間移動した。
そこはどうやら建物の一室だった。しかしその部屋はとても広大であった。
「は?」
ただ一言、純粋な疑問を表すその一言が低く反響する。
イグニスとパウクは声の方向に目をやる。
目線の先には十数段の段差があり、声の主はその段差の上の玉座にいた。
玉座の両脇に天井からタペストリーが下りている。
タペストリーに刻まれた印にパウクは身体を強張らせる。
その印こそ、ツノの1つがかけた三本角の牛の顔が示すもの、欠けた右角、ラドロンティ族の印であった。
そして中央に鎮座するのは唯一四本の角を持った統合の象徴、ラドロンティ族を統べる張本人。
「バンゲラアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」
パウクは宿敵の名を叫んだ。
〈神判の日〉まで残り183日
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