その日、朝から私は上機嫌で口笛を吹き、昨日入り損ねた風呂を目指し湯屋へ赴く。朝とは言っても明朝。日が昇れば皆仕事をし始めるため、その前には帰る。

　重傷者の部屋を覗き、自分の部屋で飾っていた花を置いておく。後で、胡蝶ちゃんが上手くやってくれるだろう。

　静かに入浴を済ませ、誰とも会わず湯屋をでた。髪に残った雫が朝日に輝かんとしていた。

　署に戻ると、一くんが既に起きていた。

「おはよう。」

「おはよう。寝れてるか？」

「三時間寝たよ。どうせ一くんもそんぐらいしか寝てないでしょ。」

　無理をするなと頭を撫でられる。まだ濡れてるよ、髪。

「桂さんに会うの、久しぶりだなぁ。こんな用件じゃなかったらもっといいんだけどね。」

　髪の雫を拭いながら話しかける。桂小五郎、今は名を変え木戸孝允。幕末において、人一倍生きることにこだわり生き延びた、長州藩士。剣術と学問両方に秀でており、幕政改革にも関わっている。日本を担っていく人物だ。

　桂さんがまた強い。剣術の力量も勿論、持ち前の頭を使ってくる。真面目に手合わせをしてくれたことは無く、毎回遊ばれて終わるのが悔しかったのを覚えている。

　芥の件は元から知っており、手を回してもらったこともある。届いた連絡には見舞いと、かつての仲間と宿敵に逢いに行くと書いてあった。私の数倍、先を見通して動く人物なので迎え入れる他ない。今こっちは危険だからなんて言ったら叩かれる。

　日が昇り人が動き始めると、外でもめ事が起こっている連絡が入った。

「結構派手？なら、京行ってくるよ。こっちよろしくね。」

　申し訳なさそうに報告に来た青年の背中を叩く。ここ数日で見慣れてしまった制服で現場に向かう。

　渦中には林檎ちゃんと胡蝶ちゃん、七扇のおじさんたちもいる。それに町の人が詰め寄っていた。戸惑う警官たちもいる。

「中田さん、どうしました？」

「姫崎特別官、今はここに立ち入らない方が…。」

　警告も空しく。叫び声が私の耳には届いた。

　振り向くと、見知らぬ人が私を指さしていた。

「人殺し！放火犯！この犯罪者に警官たちも毒されている。こいつは人斬りだ！我々を騙していたんだ！」

　言葉を止めない彼を中心に小声のざわめきが広がる。やがてそれは、思い思いの感情に変わっていった。この問題に動き出した時、こうなるのは時間の問題だと思っていた。それでも心が重苦しくなる。

　八朔の存在は知らない人がほとんどだ。しかし、何かの弾みでそれが知れ渡れば他の四大人斬りが露呈することも予想できる。巴さんや朱現くんは大丈夫か心配になる。

「だから、違うって…！」

　言い返そうとしてくれる林檎ちゃんを制止する。

「いいの。ね、危ないから離れてて。お願い。七扇のおじさんも何やってんですか。早く戻って下さいよ。」

　そっと輪から押し出す。私が来たことで彼女たちへの関心は薄れ、こちらに皆が注目していた。

「ごめんなさい。確かに、原因を招いたのは私かもしれません。でも、決して貴方たちを傷つけるようなことはしません。政府も警官も皆さんも為に昼夜動いています。どうか、協力をお願いします。」

　頭を下げる。それでも罵倒の声が続いた。仕方ない、私はまだ人を斬り、刀を持っているのだから。なんとか場を収めたい、そう思い口を開こうと顔をあげると、頭に石が飛んできた。

「死んで詫びろ！俺の妻は歩けなくなったんだ！家も、思い出も全部燃えた！お前のせいで！」

　私は、前を向いていた。

　この一言を皮切りに、石や瓦礫やらが飛んできた。警官たちが止めようとするが、やめさせた。それでは何も悪くない人が傷ついてしまう。遠くで見ていた林檎ちゃんの叫び声だけ、はっきり拾うことができた。

　ああ、この人たちもきっと、私に何かしたところで何も変わらないことを分かっている。でも人間はそんなに冷静になれないんだ。ならその苦しみ、分けられる分は私が背負うから。こんな石投げるだけでいいのなら。

　額に当たれば血が流れ、口端に当たれば切れる。腕に当たれば痣となり、骨に当たれば身体に響く。

　輪に近づく人影が一つ。輪をかき分ける人影が一つ。