【三題噺 身長・廊下・肉】躍動

「―—人体で、一番美しい部分とはどこだと思いますか?」


 先生の作風からして、やはり筋肉ですか?と答えてみる。

 正解です、と言わんような微笑を浮かべ、宍原ししはら美築みつきは頷いた。どこか幼さを宿したその笑みは、服の上からでも分かる鍛え抜かれた肉体とややミスマッチに見える。しかし一方、そのアンバランスさこそが、肉体美を描かせれば右に並ぶ者のいないアーティスト『SSHIシシ』の本質を表しているような気もした。


「知っての通り、僕は人物の、それも肉体が躍動している瞬間の絵しか描きません。自分にそのような制約を課しているというわけではありませんが、自身の内にあるものを形にするのが芸術なら、背景や小物といったを入れ込む事はかえって芸術を貶める事になると考えているからです」


 折よく運ばれてきた珈琲で眼鏡を曇らせながら、宍原はか細い声で言葉を紡ぐ。

 たしかに背景も小物も無い人物だけの絵は『SSHI』の特徴だが、彼の特異性はそれだけではない。彼が描く肖像は全て、中途半端な人体模型のように、体のいくつかの部分から皮膚が取り除かれ筋肉が見える構図になっている。そこの皮膚だけを鋭利なメスで切り取ったような描写はグロテスクさも感じるが、それ以上に筋繊維の一本一本まで描き切る精緻な筆遣いが見る者を捉えて離さないと評判だった。


「僕がいかにしてこの作風に辿り着いたのか、そして僕の原点を知る事こそが、おそらくこのインタビューの目玉なのでしょう?」


 その通りです。と力強く肯定する。多様な芸術がありきたりになったこの現代において、それでも強烈な個性を放つ新進気鋭の芸術家に注目が集まるのは当然の話だ。しかし『SSHI』——宍原美築はあらゆる取材の申し出を頑なに拒み続け、自身の神秘性を高めてきた。


 そんな彼が、自分のような3流ライターに話を聞かせてくれるというのだ。それもあちらからの直々の指名で。正直なところ、騙されているのではないかと疑わなかったわけではない。そんな疑念もこの“肉体の芸術”を見た瞬間に吹き飛んだのだが。


「では行きましょう」


 いくつかの作品のモチーフや、プライベートでの創作との向き合い方、その他どうでもいい事を聞いたところで、珈琲を飲み終えた宍原が席を立つ。


「僕のアトリエに案内します。深い話はそこの方がしやすいので」


 『SSHI』のアトリエ―—!

 降ってわいた幸運に手が強張る。まだ誰も見た事の無いアトリエの写真を手に入れれば、あるいはこれからのインタビュー以上の価値になるかもしれない。これからの成功を考えると、財布からなけなしの金を出す手も、いつもより軽く感じられた。


 はじめからこのような段取りにすると決めていたのか、宍原のアトリエは待ち合わせ場所のカフェからほど近い所にあった。白色で無機質な立方体のキューブを3つ、無造作に積み上げたような建物は、明らかな存在感を持って住宅街の中に佇んでいる。


「こちらです」


 これまで何十人もののアーティストのアトリエを訪れてきたが、『SSHI』のアトリエはそのどれとも異なるだった。

 キューブに入ってすぐの場所には申し訳程度のリビングがあり、そこを抜けるとアトリエの通路にしてはあまりに広く、そして長い廊下が伸びている。

 廊下の床と天井、そして右手側の壁は、外観と同じ無機質な白で染められ、左手側の壁は一面ガラスに置き換えられている。そこから見える景色は何の面白みも無い、周りの家々の外壁だった。


「僕の作業スペースに人を招くのは久しぶりですね」


 ここが作業スペース?

 たしかに廊下の奥にはカンバス、そして絵筆や絵の具がしまわれているであろう棚と机が置いてある。だとしても、こんな殺風景な空間で作業が進むのだろうか。

 生じた違和感をぬぐえないまま、宍原の指示通りにリビングから椅子を一脚持ち出す。ふと視線をやると、宍原自身は廊下の突き当りにある部屋からキャンプチェアを運び出しているところだった。隙間から見えた部屋の中では、様々なポーズを取った骨格標本が無造作に並べられている。


「では、何から話し始めましょうか。やはり……10年前、高校生の時のあの体験から話すのが良いのでしょうね」


 奇妙だ、と思った。広く長い廊下の中、2人は互いに座り、私はリビングの扉を背に、宍原は標本のある部屋を背に向かい合っている。20m近い距離を空けているはずなのに、そのか細い声は明瞭に耳へと届いた。


「当時の僕は身長もあまりなくて、今とは比べ物にならないほどひ弱でした。遺伝もあったのでしょう。そんな小ささ、か弱さがずっとコンプレックスで、いつしか自分の主張1つ通せないほどに、誰かと衝突する事に対して臆病になっていたんです。そんな僕にできた事は、美術部に入ってひっそりと絵を描く事だけでした。


 2年生の夏のあの日もそうでした。いつものように美術室の隅で時間まで絵を描いていた僕は、部活終わりのチャイムと同時に荷物をまとめて美術室の外に出ました。夕暮れが綺麗でした。綺麗な夕暮れをもっと見たくなって、窓の方に目を向けました。その瞬間、ハードル走の練習をしていた同級生が、僕と夕焼けの間を横切りました。


 ……見えたんです。その子の皮膚が透けて。躍動する筋肉が。


 赤と白のコントラストが美しいラインを描いて伸縮する様子をスローモーションで見た事がありますか? “動”と“静”は共存可能な概念でした。もっとも美しい景色があるのは、誰も立ち入った事が無い秘境でも宇宙の果てでもありません。薄皮一枚剥いだすぐそこなんです」


 決して語調は強くないのに、宍原の熱気がこちらにまで伝わってくる。とはいえ、この突拍子もない話にどのようなタイトルをつけるべきか。手元のレコーダーに音声がちゃんと入っている事を願いながら、手帳の目立つところに“スピリチュアル”と書いて線で囲った。


「その日から、僕は毎日そこで筋肉を観察するようになりました。幸いな事に、次の日も、その次の日もを通せば服や皮を透かして筋肉だけを見る事ができたんです。不思議ですが、僕以外の人にはそれが見えていないようでした。多分、筋肉の良さを真に理解できるのが僕だけだったんでしょう。しかもこれまた不思議な事に……ですよ。そうしたガラスはその1枚だけではありませんでした。全国津々浦々、色々なところに「筋肉が見えるガラス」が存在しています。おそらく服だけが透けて見えるガラス、あるいは骨まで透けて見えるガラスなんてのもあるのかもしれませんね。もっとも、僕にはそのが分からないので知る由もありませんが……ふふ」


 どんどんと饒舌になっていく宍原には申し訳ないが、頭を抱えたくなる気分だった。どうすればこれをまともに読める記事にできるのか。いっそ、前半の当たり障りのない部分だけ取り上げればまだいいのかもしれないが、あの『SSHI』を取材してその程度の内容しか取れなかったとなれば、今後仕事が無くなる可能性すら考えなければならない。


「観察を続けていくうちに、いつしか僕はガラスと会話ができるようになっていました。そう、あのガラスには意思があるんです!

 

 『もっと美しい躍動を見たいね』


 そうあの子はいいました。もちろん僕も同じ気持ちです。ただ筋肉が見れればいいという事ではありません。引き締まっていて、鍛えられていればいいというわけでもありません。僕も今はこのような体ですが、“躍動”とはほど遠い……。やはり大事なのは蓄積です。例えば競輪を続けた選手の肉体が競技に相応しい形に変わっていくように、何かに最適化された筋肉が生み出す動き――それこそがなのです。












 例えばあなたのような」


  ずっと見ていたはずなのに。瞼を閉じた一瞬の間に、宍原の膝にはスケッチブックが広げられてた。


「この眼鏡、実は伊達なんです。“躍動”を見つけるためには、やはり持ち運びやすい形の方がいいですからね。まぁ、ガラスを眼鏡の形にするだけだったのでそれほど大変ではありませんでした。それより骨が折れたのは、この子と同じようなガラスを全国から集める事です……しかし苦労の甲斐もあって、ほらこうやって――」


 その指先に視線がつられる。


「一面に揃える事ができた」


 普通のガラスだったはずのそれは、いまや鏡面のように宍原とこちらの姿を映し出している。ただ1つ、鏡と違うところがあるとすれば、その中に映る自分の姿はという事だった。


「さぁ、見せてください。あなたの“躍動”を!」


 バケモノはゆらりと立ち上がり、宍原の方へと走り始める。それと同時に、視界が少しずつ暗くなってゆく。

 脱力した体が椅子から崩れ落ちるのを感じながら見た最後の景色は、助走をつけて宙高く跳びあがり、何かに覆いかぶさるように両手を上げるバケモノの姿だった。


 ……たしかに、現役時代に一番練習したのはその動きだ。







 あれから数か月後、『SSHI』から口座に数百万単位の入金があった。同時に送られてきたメールには短い「モデル代」の文字。

 自宅で目覚めてすぐ周りに確認を取ったところ、『SSHI』へのインタビュー企画などそもそも初めから存在しなかったらしい。興奮冷めやらぬ状態でたしかに連絡した同業にすら「お前、疲れてるんじゃねーの」とあしらわれてしまった。そんなやり取りを何度か繰り返し、自分でもあれは質の悪い夢だったと思いかけていた矢先にこれだ。あの日の出来事は全部本当だったのか、それとも一部、ないし全部が幻覚で『SSHI』からの金とメールは質の悪い悪戯なのか。それを確かめにゆく気力は、今の俺には無い。



 

 


 

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