【三題噺 胸・図・実力】ひょがる
1.
「あー、その、なんだ。今度の
タブレットを片手に、らしい、らしい、を連発する父に、わざとらしい笑みを浮かべながら大丈夫だよと言う。
「もう慣れたし。むしろ最近は楽しくなってるから。どんな人たちに会えるかなって」
嘘はついていない。実際、度重なる転校にはもう慣れていた。母が存命であれば、あるいは父が単身赴任するだけで済んだのかもしれないが、彼女は私が小学校に入る前に亡くなっている。
「それに部活とかあんま関係ないじゃん。新体操なんだし」
新体操部がある学校は中々ない。今の学校とその1つ前の学校では、外部のクラブに所属する生徒たちは「地域活動部」という事実上の帰宅部に属する事になっていた。次の
「その、なんだ。すまんな」
零すように呟いた父の謝罪も、もう聞きなれていた。
2.
アコ学……ですか?
やっぱりスポーツですよね。勉強の方はパッとしないというか、偏差値低いってわけじゃないんですけど、近くに宮高とか千哲とかあるせいでどうしても普通~って感じですね、ほんと。
でもスポーツはすごいんですよ。普段から強いとこは強いし、5年とかに1回くらい、運動部が軒並み全国大会優勝みたいな、メダルラッシュならぬ優勝ラッシュみたいな、そんな滅茶苦茶な年があるんですよね……。
やっぱあれですかね。「心臓破りの坂」を毎日上り下りしているから体力が違うんですかね。
ほら、アコ学って結構大きい丘の上にあるじゃないですか。おまけに正門までの坂がすごい急だから「心臓破りの坂」って言われているんですよ。いや~すごいですよね~あの坂を毎日上って学校に来いなんて言われたら、想像するだけで不登校になっちゃいそうですよ~。
3.
「え、マイって新体操やってるの!? 新体操ってあれ!? あれだよね! うわーすっごいなぁ!!!」
自分の競技の事を話すと、大抵はこうして驚かれる。ここまでの大げさに反応されたのはミリが初めてだけど。
「うん……。だから部活も環境部に入ろうかなって。一応外のクラブで頑張っている子たちはみんなそこに入っているみたいだから」
「そっかー! マイ、背ぇ高いからすぐ活躍できると思ったんだけど……うちのチーム、全員背が低いから本当に来て欲しかったなぁー!」
ともすれば当てつけに聞こえるこのセリフも、ミリが言うなら本心から残念がっているんだろうと前向きに捉える事が出来る。出会って一週間も経っていない相手にこう思わせるのは、ある種の才能かもしれない。
「あ、でもでも、うちは兼部オッケーだよ! 運動部の子は大体ひょがり部にも入ってるし! だからバレー部に入るだけ入っておいて、本当に暇な時だけ練習に付き合うって形とかどうかな!? ブロックで飛んでくれるだけでもいい経験になるし、練習の後は坂下のクレープ奢るからさ、ね、ね!」
ここまで押し込まれると思わず頷きそうになってしまうが、結局後で面倒くさく思ってしまう事は目に見えてる。話題を切り替える意味も含め、耳に入ってきた聞きなれない言葉についてミリに尋ねてみた。
「んーあ、そっかぁ。ひょがり部って他の学校にはあまり無いんだったよね。えーっとね、どういう部活かって説明するのがちょっと難しいんだけど……そうだ、次の金曜がちょうど活動日だからマイも見学に来なよ!」
4.
……はい、お待たせいたしました。
こちらが予約されていた資料になりますね。あともう2冊ありますが、そちらは持出厳禁となっておりますので、館内での閲覧をお願いします。またお帰りの際にはお手数ですがカウンターまでお立ち寄りください。写真撮影、録画も禁止となっておりますので、何卒ご了承ください。
それと、「地裂信仰」についてですね。こちらは私から回答させていただきます。そちらの資料にも記載はありますので、あくまで口頭での補足という形で考えてください。
この地域は少し特殊であると言われておりまして、中程度以上の地震の度に地面に大きな亀裂が走るような脆弱な地盤の上に立っています。大正から昭和初期に、公共事業として地盤の補強がおこなわれてなお、そのような状態ですので、それ以前については家1つを丸ごと吞み込んでしまうような大きな地裂ができる事も珍しくはなかったようです。1800年代の地域図では大きな谷のような裂け目も確認でき、それらを根気強く埋め立てていく事で、今日の
そのような環境において、頻発する地裂は地面の奥深くに棲む神によって引き起こされていると信じられてきました。すなわち地震が起き地が裂けるのは、地下の神が怒っているからだと。またその性質から大地の豊穣とも結びつけられていたようで、豊作はすなわち、神の加護であると信じられていたようです。
そして発生した地裂は、地下の神との間に開かれた道、ある種の偶像として信仰されるようになりました。これが「地裂信仰」の
以上が「地裂信仰」の補足となります。その他細かい部分については資料の方に記載がありますので、そちらからの確認をお願いします。
5.
ミリに連れられて来たのは、校舎とグラウンド、テニス部のコートをこえてさらに向こう、街を一望できる丘の
50mも走れば落下防止用の高いフェンスにぶつかるような、そんな場所に古びた建物が一棟。縦に長い2階建てのそれは、かつての剣道部や卓球部の活動場所だったのだとミリが教えてくれた。
建物には2階へと上がる外付けの階段があり、数十段あるそこの中腹には1人の女生徒が立っていて、前——つまり私たちの方向を見ている。よくよく辺りを見れば、私たちの他にも20人ほどの生徒が建物を取り巻くように集まり、階段の女生徒へと視線を投げかけていた。
「あ、ちょうどタイミングばっちりかな。マイ、あの子をよく見ててね!」
まるでミリのその言葉を合図としたかのように、女生徒が屈伸しながら腕を振り始める。まさか、と思う間もなく、彼女は勢いよく銀色の踏板を蹴り、宙へと飛び出した。全てがスローモーションに見えた数秒の後、彼女はバランスを保ったまま着地し、大きく腕を広げてみせる。それを受けて、周りの生徒からどこかホッとしたような、そしてほんのわずかにだがどこか残念そうな色を含んだ吐息が漏れた。
「ね、ひょがり部の活動内容はこれだけ。簡単でしょ?」
ミリが当然のように言う。
「あの階段の途中から飛び降りるだけ。着地の時に手を突いたり転んだりしちゃうと失敗だけど、うまくいったらいい事があるんだって!」
―—5段越えれば度胸が付く、10段越えれば図に乗れる、20段越えれば実力が伴う
節のついた奇妙なそのフレーズを、環境部にいた3年生が口ずさんでいたと思い出す。
「ま、ジンクスみたいなものだけどね! マイもやってみようよ! 自信ないんだったら低い段からでいいから!」
どうやら階段を跳ぶのに明確な順番はないらしく、先程の女生徒が階段を離れると遠巻きに見ていた生徒たちの中から複数人が歩み出て、じゃんけんを始めた。
正直こんな事に意味があるとも思えなかったが、固辞するほどの事でもないし、ミリとの関係を良好に保つためにも少し付き合った方がいいのかもしれない。
じゃんけんをしていた生徒が全員跳び終えた後で、階段の方に歩み寄る。幸い私と順番を争うような生徒はいなかったため、そのままやけに綺麗な踏板に足をかけ、6段上ったところでくるりと振り向く。階段を飛び降りるのなんて、小学生の頃男子がふざけてやっていたのを見ただけだったし、変に高いところから跳んで怪我をするのも怖い。先ほどのフレーズでも5段を越えれば度胸が付くと唄われていたし、「付き合い」として6段はちょうどいい選択のように思えた。
地面までの距離と自分の跳躍力を考え、大体これくらいの力で跳べばいいかとあたりをつける。思ったよりもはるかに近い地面を見ながら、軽くポン、と跳んでみた。
―—————。
何事も無く着地する。当然だ。校舎の階段よりも少しだけ高さがあるとはいえ、所詮6段の高さ、それも体を大きく柔軟に使う新体操をやっている身での挑戦だ。どれほど体調が悪かろうと、手を突いたり転んだりするなど考えられない。むしろこの程度の高さで日和ってしまった自分を恥じて、私はミリのところへと足早に戻った。
「どうだった!?」
楽勝だったよ、と何でもない感じで返す。とりあえずこれで「付き合い」は済んだわけだが、実際に体験した今だと、6段跳びましたはい終わりですではあまりに情けない気がしてくる。「図に乗れる」という10段くらいまでは挑戦してみてもいいのではないか……。そんな気持ちが表情に出ていたのか、ミリが分かってましたと言わんばかりの笑みを浮かべて親指を立ててきた。
今の生徒の番が終わったらもう一回跳んでみよう、そう思って階段の方に目を向けた時、異変に気づく。
私と入れ違いで階段を上ったのであろう、少し気の弱そうなショートヘアの女生徒が、20段目くらいの場所でフラフラと体を揺らしている。想像よりも遠い地面に怖気づいたのか、足を前に出した引っ込めたりと動きが覚束ない。
「チサー! ビビんないでー! 一気にいけば大丈夫だよー!」
ミリが大声で檄を飛ばす。その慣れた様子から、ショートヘアの彼女はバレー部の後輩なのかもしれない、と思った。
ミリの声に覚悟を決めたのか、チサは腕を振ってタイミングを取り始める。しかし脚を大きく曲げて力を溜め、跳ぼうとしたまさにその瞬間、またも彼女の瞳に怯えが浮かんだ。
「あ」
ほんのわずかの躊躇が、跳躍の勢いをそぐ。中途半端な勢いで地面に跳び込んだ彼女は、それでも途中までは体勢をキープしていた。けれど、着地した瞬間に体が大きく傾き、彼女は倒れまいと反射的に腕を伸ばす。その手が地面と体に挟まれ、不自然に曲がったのだと理解したのは、鈍い悲鳴が耳に届いてからだった。
「あー……ごめんちょっと行ってくる!」
ミリが走りながら、こちらに顔だけ向けてこう叫んだ。
「今日の部活はこれで終わりだから先に帰ってていいよ!」
周りを見れば、集まっていた生徒達が一斉に校舎の方へと歩きだしている。倒れた女生徒の周りに寄っているのは同級生と思われる何人かの女子とミリだけだ。
どうしてみんなこんなに冷静なんだろう、と単純な疑問が頭に浮かんでくる。
……もしかして、珍しい事ではないんだろうか。
6.
―—お、おはよーっす。
聞きたいこと?
ああ全然いいよ。どこどこ。
あーそこね、はいはい。
んとね、"ひょがる"ってのはそこの地方、つーかそこの地域限定の造語で、意味的には"神様が生贄を欲しがっている"みたいな感じ。どこかから派生した言葉じゃないから分からんのも当然よ。俺もそれ読んでた時に教授に聞きに行った(笑)。
えっと……たしか"ひょう"と"欲しがる"をくっつけたんじゃないかって言ってたわ。ほら、
……あーそれだそれ。
……興味ある題材だから?
……夏休みにフィールドワークも行きたい?
……なんかお前すげえな……けど、フィールドワークっつってもあんま見るもんないと思うぞ。一番生贄が投げ入れられてたっていう谷はもう埋まってて、今はデッカイ学校が建ってるから。
7.
結局、それからも私は何度か校舎外れの旧棟に足を運んだ。何かこれといった理由があるわけでもなかったが、高い所から飛び降りるのは何故だかとても気分が良かった。初めこそミリの同伴があったものの、それ以降はいつも1人だ。ミリいわく「怪我したチサの分までみんなで頑張ろうと奮起した結果」、女子バレー部は格上の強豪校を倒して県大会に進出しており、一層熱の入った練習を連日しているらしい。
6月の空が珍しく晴れ間を見せた日、日直の仕事を終わらせて教室に戻ると、ちょうど何人かのクラスメイトたちが興奮した様子で教室を出ていくところだった。その中の1人——陸上部のエミリがこちらに気づいて言う。
「今からサッカー部の人が"30段"跳ぶらしいよ!? マイも見に行こ!」
30段、旧党の階段の段数と同じ。つまり、最上段から跳ぶという事だ。これまでも20段以上を跳んでみせる生徒はいたが、最上段まで足をかけるのは見た事が無い。ミリからも、最上段に挑戦する生徒は数年に一度しかいないのだと聞いていた。そう思うと胸の奥から熱いものがせり上がってくるような気がした。これは絶対に見に行かないといけない、そんな気持ちが体を急かす。
旧棟につくと、そこには見た事のない人数が集合していた。全校生徒が集まっているのではないかと思うほどだ。その中には体育館で練習しているはずのミリの姿もあった。
階段の方に視線を向けると、精悍な顔をした男子生徒が最上段で手を振っている。ぐるりと周りを見渡し、十分な人数が集まった事に満足したかのように微笑んだ彼は、跳ね板の縁に爪先を合わせ、ゆっくりとエネルギーを溜め始める。
何百人もの人間が息を殺して見つめる中、十分に長い時間が流れた。
―—そしてついに、
足が跳ね板を蹴りつけるタンッ……という音が聞こえた。宙に跳び出した体が描く軌跡はとても美しく、何年経っても思い出すであろう鮮像として脳に焼き付く。
重力に絡めとられ、ゆっくりと、とてもゆっくりと地面に吸い寄せられる体が大きくぐらついた時、そこでようやく彼が地面に降り立ったのだと理解できた。
決して乱雑ではない腕の振りで体の揺れが少しずつ小さくなっていく。その揺れが目では見えないほど微かになった時、彼は歓喜の色を顔に浮かべながら、大きく手を広げた。
湧きおこる万雷の拍手、それを一身に受けていた男子生徒が歓喜の表情を浮かべたまま倒れたのは、それからすぐ後のことだった。ただ倒れたのではない。まるで表皮だけを残して中身が地面の中へ引き抜かれたかのように、力なくその場へ崩れ落ちたのだ。最前列にいた生徒達が異変に気づき、それが伝播していくまでの数分間、彼を讃える拍手は鳴りやまなかった。
週明け、開かれた全校集会での説明では、男子生徒は事故に遭って亡くなった事になっていた。現場を見ていた何百人もの生徒たちはそれに異を唱えない。
"そういう事でいいじゃん"
そんな空気が蔓延しているような気がした。
放課後、旧棟の周りに人が集まる事は無くなった。女子バレー部を皮切りに、多くの部活が快進撃を始めたからというだけが理由ではない。"今年のひょがり部の活動は終わり"、そんな統一された認識が皆の中にあったからだ。
自分以外の全員が当たり前だと思っている事を聞くのには抵抗があったが、思い切ってミリに尋ねてみた。ひょがり部は"ああいう事"があると終わるのか、来年はいつ始まるのか、そもそも明確な始まりや終わりがあるのか……。
それに、ミリは笑顔でこう言ってくれた。
「え、よく分かんない! けど何となくみんな分かってるから、そういうものって思っとけばいいんじゃない?」
何故か、その答えにとても安心してしまった自分がいる。"そういうもの"で済ませられるのが、とても心地いい。
そっか、と言って、私はいつもより手早く教科書を鞄にしまい始める。今日は新体操のレッスンの日だ。
最近、今までにも増して新体操が楽しくなってきたと感じる。体の動きが明らかに良くなってきた、まるで別人みたいだと先生にも褒められた。これなら次のコンクールではベストな、いやそれ以上の結果を残せるに違いない。私は軽やかな足取りで、昇降口に繋がる階段を跳び降りた。
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