第一章 葉が重なるとき
第4話 源一族
源家当主である
昇進祝いと仲間たちの慰労を兼ねて、明日は源家の大広間で宴会が開かれる。そういうわけで、源家の使用人は三日前から慌ただしく動いていた。
「ほら、おむすび。奥様に見つかると、仕事を言いつけられるかもしれないから、庭でお食べ」
「ありがとうございます!」
結葉は女中の正子から昼食を受け取ると、台所を出た。
千代子がいないかキョロキョロと顔を動かしながら、庭に向かう。
源家の庭は広い。大広間から和風庭園が一望できるようになっており、池には鯉が泳いでいる。
松、椿、南天、ヤマボウシ、つつじ、アジサイ、シャクナゲ、ヒイラギなどが植わっており、その間には灯籠や石が置かれている。
昨日、植木屋が
結葉は綺麗になったばかりの庭を歩いていくと、沈丁花の後ろに身を隠した。
石の上に座って、竹の皮の包みを開く。
「わぁ、大葉の味噌おむすびだ! 梅干しときゅうりもある!」
味噌だれをつけて大葉で挟んだおむすびが二個、梅干しが一個、きゅうりの漬物が二枚。
結葉はおむすびを一口齧ると、「ん〜、美味しい!」と幸せな声を上げた。
九月になり、暑さが和らいだ。それでもまだ、日中の日差しは強い。汗をかいた体に、塩が染み渡る。
「一生懸命働いた後のご飯って、美味しい。本家に来て、良かった」
結葉は、光造と千代子の娘ではない。分家の人間である。
八ヶ月前に花嫁に選ばれて、本家に引き取られた。だが、誰に嫁ぐのか知らない。
「花嫁修行しなくていいのかな?」
結葉は両親から「立派な花嫁になりなさい」と言われて、本家に送り出された。
それなのに光造も千代子も、実娘の
光造と千代子は、結葉に家族同様の衣食住を与えてくれる。綾女は親切だし、使用人たちはなにかと気にかけてくれる。
居心地の良い環境と、穏やかな毎日。なんの不満もない。
結葉は昼食を食べ終えると、両手を空に伸ばしながら、ぼやいた。
「結婚しないで、ここで女中として働いてもいいんだけれど。駄目なのかな?」
家に戻った結葉は、廊下で千代子に出くわした。
「あら、結葉ちゃん。ちょうどいいところに来てくれた。仏壇のある部屋の天井に、蜘蛛の巣を見つけてね。取ってくれる?」
「あ、はい……」
結葉は表情を曇らせたが、千代子は用が済んだとばかりに廊下の向こうに行ってしまった。
結葉は仕方なく、物置から蜘蛛の巣取り棒を出す。長い棒の先に巻いてある雑巾を濡らすと、部屋の前に立った。
「やだな……」
仏壇が置いてある和室は、八ヶ月前の怖い記憶と結びついている。結葉が和室に入るのを怖がるものだから、掃除したり、仏壇の花を取り替えたりといった作業は、佐世子という女中がしている。
結葉は佐世子に頼もうと思ったが、頭を横に振った。
「佐世子さんも自分の仕事で忙しいよね。蜘蛛の巣をちゃちゃっと取って、終わらせよう」
結葉は
十畳の和室の奥にある仏壇。
そのご先祖様の写真の中に、光造の父である
結葉は力が抜け、蜘蛛の巣取り棒を落とした。へなへなと座り込む。
──鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。
頭の中で響く、目隠し鬼の歌。
結葉が生まれた源一族は、平安時代に鬼を退治した
平安時代中期。鬼討伐の勅命を受けた源頼光たちは山伏に扮して、鬼である酒呑童子の本拠地、大江山に入った。
酒呑童子は頼光たちを山伏だと信じて城の中に入れ、酒を振る舞った。
酔いが回った頃、頼光は鬼たちに毒酒を飲ませた。そうして、鬼たちの首を刎ねた。
騙し討ちにされたと知った酒呑童子は「鬼に横道なし」、鬼は卑怯なことをしないと罵って、死んだ。
その後。酒呑童子の子供である鬼童丸が、親の仇を取ろうとした。だが頼光はいち早く気づき、襲ってきた鬼童丸を切り捨てた。
源頼光は、鬼を退治した英雄。その血を引く源一族は、大正時代になっても結束が強い。
一月一日。本家に親戚一堂が
結葉は従姉妹たちと遊ぶのを楽しみにしていて、一月一日が来るのを指折り数えていた。
けれど、今年の一月一日。分家の近況を聞いていた武光の決断が、結葉の人生を変えた。
「わしは、一族の繁栄と幸福を願っている。だが皆の話は、倒産、失業、怪我、病気、借金、死別、離縁、不運。悪い話ばかり。……花嫁を選ぶ」
結葉の隣に座っている父親がハッと息を飲み、腰を浮かせた。
「ついに……、これで運が回ってくるぞ!」
結葉は呆然と、父親を見上げた。不機嫌顔が定着している父親が、喜びで顔を輝かせているのを初めて見た。
大広間を見回す。他の大人たちの顔も、喜びと期待と安堵であふれ返っている。
どうやら、花嫁を選ぶというのはおめでたいことらしい。と、結葉は思った。
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蓑虫の恋〜囚われの花嫁は鬼に愛される〜 遊井そわ香 @mika25
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