第2話 女と鬼の子
すすきが揺れる
「誰か、泣いている?」
女の
「父が来た!」
鬼の子は背丈よりも高いすすきをかき分けて、音のするほうへと走っていく。ぼさぼさの髪が、後方になびく。
ぶつかった先にいたのは、顔に火傷の跡がある女。
「……父じゃない」
鬼の子の頬を、ぽろぽろと涙が伝う。女は鬼の子の頭を撫でながら、優しい声音で問う。
「どこの里の子?」
「…………」
「来た方向を指せる? 父を、探してあげる」
鬼の子は首を横に振ると、走った。戻って、桜の木の下に立つ。
「ここで待っていろって、言われた」
木の下にぽつんと立つ、鬼の子。
女は、自分の手のひらを見つめた。
(頭に、こぶらしきものがあった。……鬼の子? だから、寂しい場所に捨て置かれたのね。私と同じだ)
女は毎日、鬼の子の様子を見に来た。
鬼の子は、ここで待っていろと父に念押しされた場所で待ち続ける。お腹が空くと鳥や鼠や兎を食べ、また桜の木の下に立つ。
さめざめと泣く鬼の子に、女が問う。
「つらくない?」
「…………」
「私もね、一人なの。一人は、寂しいね」
鬼の子は顔を上げると、濡れた瞳で女を見た。
初めて交わった、二人の視線。女の眼差しの温かさに、鬼の子の唇が震える。だがすぐに、口を真一文字に引き結んだ。
秋風が、凍える風に変わった。冬枯れの地に、雪が降る。
「父は来る。用があって、遅れているんだ」
鬼の子は、雪を食べた。体内に入った雪は、涙となって外に出る。
「泣くために、雪を食べているみたいだ」
雪では、お腹が膨れない。けれど、女が持ってくる干し肉に手を伸ばそうとは思わない。
父は、必ず迎えに来てくれる。だから、女に心を明け渡すようなことはしたくない。
「僕はもうすぐ、ここからいなくなる。都に帰る」
耐え難い空腹と、真冬の寒さ。それでも、鬼の子は生き延びた。鬼の強靭な肉体は、病気になることも凍死することもないのだ。
ある朝。様子を見に来た女が、微笑んだ。
「桜が綺麗ね」
鬼の子は女の視線の先を辿って、空を見上げ──……口をぽかんと開けた。
涙の幕が張っている視界に映るのは、薄紅色の花びら。
裸だった枝に、いつの間にか花が咲いている。花の向こうに広がっているのは、鈍色の空ではなく、明るい青空。
鬼の子は狐につままれた気分で、周囲を見回した。
侘しい世界が一変している。
野原を吹き渡る風が揺らしているのはすすきではなく、青々とした草。裸だった木には新緑が芽吹いている。野花には蜂がとまり、山からは鳥の囀りが聞こえてくる。
「父は、秋風が吹く頃戻ってくるからここで待っていろって、言った……」
「そう。だったら、次の秋風が吹く頃に、迎えに来るかもしれないね」
「……来ない。来ないよっ!!」
鬼の子は、わんわん泣いた。本当は、わかっていた。
「僕は捨てられたんだ! 父は来ない!」
「だったら、捨てられた者同士、一緒に暮らす?」
鬼の子は、目を見開いた。
「捨てられたの?」
「ええ。家が焼けて、火傷したの。見苦しい顔をしているでしょう?」
女は、火傷で
結婚が決まっていた。だが相手の男から、醜い女と暮らすことはできないと捨てられた。
親からは、結婚のできない娘が家にいては困ると、山に捨てられた。
「みんなから、捨てられた。でも、神様だけは私を捨てなかった。山の中に、誰も住んでいない家があったの。だからこうして生きて、あなたに会うことができた。神様の導きね」
女は、柔らかな微笑を浮かべた。
「今にも崩れそうな家だけれど、来る?」
「……うん」
こうして、女と鬼の子は一緒に暮らし始めた。
一緒に山を歩き、同じものを食べ、同じ寝床に入り、笑い合う。
女と鬼の子は、心を通わせた。
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