第20話 始末
ミコが血を流してからは、記憶が曖昧になってしまって、よく覚えていない。
ミコを助けようと、必死だった。
王を大人しくさせたあとに、ミコの傷口を手でおさえて、出血を止めようとした。
そこから先の記憶は、もうなかった。
§
結果として、ミコは助かった。
今では回復して、食事もとれるようになっていた。
今日は、そんなミコのお見舞いに来ていた。
「やあ。調子はどう?」
──ああ、良いよ。痛みもだいぶ引いた。
ミコはそんな雰囲気で笑った。
「まだジュースの方が良い? それとも柔らかいもの、食べてみる?」
──じゃあ、今日は柔らかいものに挑戦してみようかな。
「そういうと思って、料理してきたんだ。芋で作ったお粥」
──それは珍しいな。どんな味か、楽しみだ。
ミコは大切なものを失っていた。声だ。
でも、雰囲気でなんとなく、言っていることは伝わる。これも、ミコの能力のお陰だろう。少しだけ、不自由だけど、困るほどではなかった。
──うん。なかなかだ。
「もうちょっと、塩気があった方が良い、とかない?」
──とっても美味しいよ。ありがとう。
「じゃあ良かった」
ミコは一息つくと、こちらを見た。
──そういえば、あの子はどうなってる?
「そのことなんだけど。ミコに相談しようと思って」
──穏やかじゃなさそうだね。どうしたの?
「まるで狼みたいでさ。手がつけられないから、縛り付けてたんだけど。それでも、暴れて、全身傷だらけになっちゃってさ」
──ずいぶん手を焼いているみたいだね。
「そうなんだ。食事をあげようとしても、暴れて食べないし。それで、今はだいぶ弱っている。このままだと、空腹で死ぬかもしれない。正直さ、それも本人の選択なのかな、って思ってる。でも、ミコがどう思うか、って。それを相談しようと思ってた」
それを聞いて、ミコは、笑った。
──かなり、やんちゃしてるんだね。でも、私には分かる気がする。私がそうだったから。
そういって、ミコっちは一度背伸びをした。それから、立ち上がる。
──行こう。私が説得するから。
§
そいつは、地面にうつ伏せに倒れていた。
骨と皮だけで、ぱっと見た感じでは、干からびて死んでしまっているように見える。でも、オレとミコが近づくと、野犬のような唸り声をあげて、威嚇した。
オレは、柿のような果物を口の近くに寄せた。
怒りでいっぱいの視線を向け、歯をむき出し、果物ではなく、オレの手に向かって、噛みつこうとしてきた。オレは急いで手を引く。元王は、空を噛んだ。
「こんな調子だ」
──たいしたガッツだ。キライじゃない。
「でも、どうしようもない」
──私が、話してみるよ。
ミコは、オレから果物を受けとると、同じように口の近くへ持っていった。元王は一瞬だけ、敵意が消えて困惑するような仕草を見せた。でも、次の瞬間には歯をむき出しにして威嚇し、ミコの手に噛みついた。
ミコの目が細くなる。それが、痛みのせいではないとすぐにわかった。噛む力が弱すぎた。その弱々しさに、ミコは目を細めたようだった。
──腹減ってるだろ。食えよ。意地張っても、仕方ないだろ。
ミコの、声にならない声が聞こえたのかどうかはわからない。でも、元王は噛むのを止めた。それから、もうすべてを諦めたように、力なく地面に倒れた。
その頭を、コミは撫でた。元王はもう、唸り声をあげる力も無いようだった。ミコはその頭を優しく抱いて、膝枕に置いた。そして、薄く開いた口の上から、果物を絞り果汁を落とした。その滴は、口を濡らしてそのままこぼれ落ちていった。もう、飲み込む力も気力もないようだった。
打つ手なし。そう思える光景だった。
──まったく。
ミコは。果物を絞り、果汁を自分の口にいれた。それから、その果汁を元王の口の奥に、直接流し込んだ。
元王の喉が、わずかに動いた。液体は喉を通って飲み込まれていくのがわかった。その動きは少しずつ大きくなる。乾燥した体が、水分を吸っていく様子が分かった。
ミコが口を離すと王は、けほっ、っと
──もう、大丈夫だ。ヒデ。頼む。
オレは頷いて、王の口の上で果物を絞った。滴り落ちる果汁は今度は口から喉へと流れていく。喉をならして、王は飲んだ。体に張りが戻ってくる。力なく垂れていた腕は、食べ物を求めて地面から離れた。
オレは、果物を手渡した。元王はそれを受け取ると、自分の力で噛りついた。ひとつ、ふたつ、みっつ。果物がなくなると、今度は備蓄してあった芋餅を渡した。元王は、食べられるだけ食べると、気を失ったように眠った。
──まるで、捨てられた子猫みたいだ。でも、もうこれで大丈夫。
ミコは、そういって、眠っている元王改め、弱々しいゴブリンに微笑みかけた。オレにはそれが、まるで母親のように見えた。
「なんで、コイツにそこまでしてやるんだ?」
──私もヒデと出会う前はこんなだった。色々な感情が常に爆発してて、それが普通だった。ゴブリンの王は、みんなそうなのかもしれない。でも私は、ヒデと会って変わった。今では、昔が嘘みたいに、穏やかなんだ。だから、私は今が好きなんだ。それは全部、ヒデのおかげだ。この子を見てたら、昔の自分を見ているようでさ。そう思えたから、どうしても助けたかった。ヒデにしてもらったことを、この子にしてあげたかった。
「そうかぁ。オレにはわからないけどさ。ミコがそういうなら、オレもそう思うようにするよ」
──ありがとう。ついでにもう2つ、いいか?
「いいよー。なになに?」
──この子を私に預けてくれないか? 私の、声にしたいんだ。
「声って? この子に喋らせるってこと?」
──そうだ。やっぱり、それが一番分かりやすいから。だからこの子に、私の声をみんなに届けてもらいたい。
「いいけどさ。因果だねぇ」
──それともうひとつ。この子に、名前をあげて欲しい。
名前か。
だったら、これだ。
「ミコの弟分だろ、じゃあ名前はニコだ」
──ニコか、良い名前だ。あと、ニコは女の子だから、妹だ。
おい。マジかよ。
ゴブリンの性別はマジでわからん。
§
数日後、ミコとそれにぴったりと着いて歩いているニコの姿があった。
オレの「おはよう」に答えたのは、ニコだった。
「おはよう。です。今のは姉様からです。これは私から、おはようございます」
「おう。2人とも調子はどうだ?」
「姉様は、すっかりよくなった。です」
「ニコの方は?」
「ボ、ボクも。元気です」
「2人ともどこへ行くんだ?」
「ゴブリンたちと一緒に、畑仕事をしようと思ってな。です」
「そっか。そういえば畑のサイズ感どう? 小さくないかな」
「ああ。確かに手狭に感じになってきたな。です」
「だよね。ちょうどいいタイミングだ。斥候として優秀なのをこっちに寄越してくれない」
「ああ、構わない。どうするんだ? です」
「ゴブリンも増えた。食料ももっと必要になる。そのためには土地が必要だ。だから、本格的に使える土地を増やすようにする。つまりは」
それからオレは、ニヤりとして言った。
「本格的に、領地を拡大していく」
それを聞いて、ミコは笑った。
ニコは顔を赤くしながら、ミコの言葉を伝えてくれた。
「私の優秀でかわいい妹から、飛びっきり優秀なヤツを選出してもらうよ。です」
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