第10話 声の記憶

 ──誰かの記憶──


 歌を歌うのが、好きだった。

 声が空気を揺らして響いていく、あの音と感覚。

 声を響かせているだけで幸せだった。私の歌を、好きだと言ってくれる人たちがたくさんいた。嬉しかった。だからもっと。もっと。歌いたかった。

 なのに私は。

 毒を飲まされて、あっけなく死んだ。

 誰かの悪ふざけ。

 何も知らない誰かが、私の水筒に、理科室にあった危険な試薬をいれた。

 喉が焼けて、苦しんで。私は死んだ。

 そのはずだった。

 だから、目を開けたときに、ここは地獄だと思った。


 目の前には、緑の気持ち悪い生き物が何匹もいた。

 悲鳴をあげた。それから気がついた。

 声がれている。言葉は喋れない。

 喉をさわった。それから。手を見た。

 緑だ。

 緑の気持ち悪い生き物の手だった。

 絶望した。泣きたかった。

 でも、絶望している暇も、泣いてる暇もなかった。

 生きるために、プライドも、甘えも、人間だった過去も、全部捨てた。

 私には特別な能力があった。この気持ち悪い生き物に言うことを効かせる能力。それを使って、暗い洞窟の中で従者を増やして生き延びた。

 1匹いっぴき、従者を増やして。そうして、手当たり次第、従えて。安全な場所と、食事と、衣服を手にいれた。それで少しだけ、心が晴れた。この生活も、悪くないように思えてきた。


 その生活を壊したのは、歌だった。


 歌を聞いた。

 久しぶりに聞いた旋律メロディーは、失ったものを全部思い出させた。

 その歌を歌っていたのは、ゴブリンの小娘だった。


 なんでだ!

 私は歌えなかったのに、なんでこの小娘は歌えるんだ!


 静かに踏み固められた火薬が、その瞬間に爆発した。

 小娘に問い詰めた。間に入ってきたゴブリンを拷問をした。

 でも小娘は、なにも言わなかった。

 だからもう、殺してやろうと思った。

 その前に、間に入ってきたゴブリンが、全部喋ってくれた。

 その話を聞いて。そうして、許せないものがひとつ増えた。


 私は、大切なものを諦めた。

 だから、今の私がある。

 そんな私を、根こそぎ否定したヤツがいる!


 敵だ!

 わけのわからない能力ひとつで、全てを壊しやがって!

 許さない!

 絶対に許さない!



§



 瓦礫の中から救い出したゴブリンの王は、ひどい有り様だった。

 特に瓦礫に埋まっていた下半身がひどい。足からの出欠がひどく、全部赤色に染まっている。どこをどう怪我しているのか、わからない状況だ。

 ときおり、うめき声のようなものが聞こえた。まだ、息はあるみたいだ。だったら、絶対に助ける。そのために、できることはただひとつだ。


 オレは持って来ていた果物を、口の上で握りつぶした。果汁がオレの手から滴り、王の口に入っていく。王の喉が動いていく。オレが食べさせる食べ物に、どのくらいの回復効果、止血効果、麻酔効果があるかは、わからない。でも今まで、すべて都合のいいような効果が出ていた。だったら、食べさせ続けるのは、絶対に無意味じゃないはずだ。


 ──すがらせろ!

 その都合の良さに、すがらせろ!

 そのための能力だろ!


 荒い息。

 呻き声。

 果汁を飲み込む音。

 それを、何度となく繰り返した。

 王の呼吸が穏やかになり、呻き声が意味の分かる声に変わっていった。

 そこでオレは、やっと息をついた。


 ──……──……♪


 か細い声が、リズムにのって聞こえてくる。

 これは、歌だ。

 王が。

 歌っていた。


 ──……──……♪


 オレは、この歌を知っている。

 明るくて、優しくて、懐かしい。

 たしか──。


「よろこびの歌」


 トモミんが、そう呟いた。


「ってことは」

「私たちと、同じだと思う」

「──マジか」


 驚いている時間はない。

 今は全力で助ける。


「トモミん。もっと食べ物。それに身体が冷えてきてる。暖めるために、燃えるものが欲しい。できるだけ、たくさん」

「分かった」


 そう言って立ち上がったトモミんが、たじろいだ。

 トモミんの前に、大量のゴブリンが立ち塞いでいる。


「──どっから沸いてきやがったんだよ」


 全員を蹴散らしている時間も、余裕も、ない。


「お前たちの王が死にかけている! 助けたいんだ! そこを退いてくれ!」


 オレは魂の限りで叫んだ。

 ゴブリンたちは、それを合図に、こちらに襲いかかってきた。


 ──クソッタレがっ。


 そう思った時だった。


「──さがれ」女性の声だった。


 ゴブリンたちは、その場で一斉に後ろにさがった。


「道を、開けろ」


 ゴブリンの群れが割れて、道を作った。

 オレは、腕の中で苦しげに息をする、王に目を向けた。

 王は、静かで、威厳のこもった声で言った。


「コイツの、言うことを聞け」


 王は、そう言うと、力尽きるように、目を閉じた。



§



 ──誰かの想い──


 最後の贈り物。そう思った。

 最後の最後に、歌を歌えた。

 それで満足だった。

 だから、目を開けたとき。

 ここは、天国だと思った。



§



「気がついたっ!」


 ゴブリンの王、改め、ゴブリンの女王が目を覚ました時に、思わず大声をあげてしまった。3日間。果物の汁を飲ませ続け、下がっていく体温をゴブ肌で暖めて確保していた。結果、ゴブリンの女王は生き延びた。これが、嬉しくないわけがない。

 女王は、ぼんやりとした様子で聞いていた。


「ここは?」

「巣穴の入り口近くだ。新鮮な空気と、日の光が浴びれるように移動した」

「──そうか。私は、生きているのか」

「ああ。生きてるよ。──あんた、名前は?」

「名前? そうか。名前か。なんでだろう。うまく思い出せないんだ」

「じゃあ、ミコはどうだ? 美しい声で、ミコだ」

「ミコ、か。それはいいな。みんな、声が綺麗だ、って言ってくれていた。おかしいな。名前を思い出せないのに、それだけは、覚えてるんだ」


 そういうと、ミコは立ち上がろうとした。


「待てっ!」


 ミコが体を起こそうとして、うまくいかずに体勢を崩した。オレは空かさず腕をまわして、体を支えた。ミコは、自分の体に戸惑っているようだった。


「──実はな」


 ミコの右足は、もうなかった。

 それを言おうとして。

 ミコはその先を遮った。


「いや。良いんだ。──分かっている」


 それから、体をうまく動かして洞窟の壁に寄りかかり、片足で立ち上がった。


「どこに行くんだ?」

「ちょっと、日の光を浴びたいんだ」


 そういって、壁伝いに外に出た。

 外の景色を眩しそうに見つめ。

 そうして。


 美しい歌声は、よろこびを歌った。

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