入学式が終わり、那央はサークルオリエンテーションを回っていた。大学のサークルが一同に集まり、当てがわれた教室を使って勧誘をしている。吹奏楽部の演奏が廊下に響いて、場を盛り上げていた。

　サークルには入りたかったが、取り立てて希望はない。那央は教育学部の理科科の教員志望だった。教育実習や教員採用試験のことを考えると、要領がよくない自分には友達づくりくらいのゆるいサークルが合うと思っていた。

　チラリと教室を覗くが、すぐに「陽キャばかりで疲れるな」とか「暗そうでちょっと」などという言葉が思い浮かぶ。食わず嫌いで臆病。このままではせっかくの大学生活も味気ない四年間になってしまいそうだ。自分の地味さにため息が出た。

　そうやってあてもなくサークルを見回っていると、あのアンプデモアの橘が教室の入り口に立っていた。見学の二人組の女の子と話している。もう一人、橘のそばに男がいるが、女の子たちはあからさまに橘にばかりと話していた。そんなことを知ってか知らずか、橘は女の子たちに相変わらず優しい笑顔を向けていた。

　お店で見た笑顔が他の女の子にも振り撒いているを見て、複雑な気持ちになった。橘の澄んだオーラと自分の真面目だけが取り柄のキャラを比べてしまう。生きている次元が違う。一瞬、あのお店では同じ次元にいれたような気もしたが、それは店員とお客さんだからだ。あの笑顔を向けられたのだってもちろん接客なのだから……。

　ひとり気まずくなって、帰ろうと踵をかえしたときだった。

「あの！　この間、お店に来てくれましたよね！」

　後ろから声をかけられ、振り向くと橘が駆け寄ってきた。サーオリでは高校生あがりの似たり寄ったりな見栄えの学生がわんさかいる。そんな中でよく見分けがついたな、と思った。

「あの時は、どうも」

「良かった、人間違いじゃなくて。一回しか会ってないから、ちょっと自信なかったよ。あの時、これ忘れていかなかった？」

　橘がシャーペンを取り出した。

「あ！　それ俺のです！」

　大学受験の時にずっと使っていたシャーペンだった。合格祈念にちょっと奮発して買ったもの。

「座席の下に落ちてて……。これ、なかなか手に入らないやつでしょ？」

　人気動画配信者が紹介してからというもの、予約をしてもいつ入荷されるかわからない貴重なシャーペン。二年の秋に予約して、三年の春にようやく手に入れた。

「ありがとうございます！　わざわざ大学にまで持ってきてくれて……！」

「お店は女性が多いから、なかなか来れないかなと思って……。大学で会えたらいいなと思ってたんだ」

　どこで無くしたか覚えておらず諦めていたシャーペンが戻ってきたのと、橘が気にかけくれていたことが嬉しかった。

　那央がシャーペンを受け取ろうと右手を出すと、橘は左手を那央の右手に添えて渡した。

　おい、お前！おつりを渡す時全員にそれをやってるんじゃないだろうな！　と、思わず心の中でツッコんでしまった。さりげないスキンシップにすっかり動揺する。

「俺『星を見る会』ってサークルに入ってるんだけど、良かったら見学していかない？」

　こんな状況で橘に真っ直ぐに見つめられたら、断れる人間はいないだろう。流されるように教室に入った。