< 第肆章 >

- 第肆之壱節 - 「神余」


 田中健太が自然環境研究協会に入社してから既に二ヶ月が過ぎようとしていた。

 毎朝自宅で気を練る練習をし、吐納法とのうほうも意識せずに出来るようになり、大分板に付いてきた。

 懸念していた周囲の気を感じることも、モヤモヤとしてた靄のような感じは晴れないままだが、感覚は研ぎ澄まされ、周囲の気を感じられるようになり、目を瞑っていても周囲の様子が窺えるようになるまでは上達した。


 藤本会長からいただいた宝貝ぱおぺいの使い方も源藤に教えて貰いながら徐々に覚えている情況ではある。もちろん言われたとおり、毎日少しずつ気を流し、自分専用になるよう時間を見ては弄っている。育てるまでにはまだ時間がかかるのだそうだ。

 持ち運び用の袋も購入した。源藤がしていたような巾着袋を雑貨屋で見付け、即購入し、それに入れて首から提げている。最初は首に重みがかかり、違和感を覚えていたが、気を流し始めると、徐々にその重さを感じなくなり、今ではぶら下げていることすら忘れてしまう程で、時折下げていることを確認してしまうこともある。


 当然仕事の方も順調に覚えている。

 京極が担当していた自然公園の整備は既に終わり、次の現場に取りかかっている。千葉が担当していた海底公園の現場はまだ時間がかかるようだ。そして、仙道と森野が担当していたビオトープも引き渡しが済んで、現場の撤収が完了した。

 そして、今日から新たな現場である神余かなまり地区の遊歩道整備に取りかかる予定である。

 各現場を源藤に付いて廻っていた田中も、いよいよ、一つ所に腰を落ち着けて、OJTをすることとなったのだ。


 現場は会社から車で30分もかからない場所ではあるが、自宅から直接向かっても良いと源藤に言われたので、バイクで現場へと向かった。

 まさか通勤でバイクに乗ることになるとは思わなかったが、車を持っていないので、それは致し方ない。


 現場に到着すると、田中がお気に入りの、1300ccある水冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒のエンジン音が、既に到着していた社員たちの注目を集めた。

「わぁ~、大きなバイクぅ。カッコ良いですね。」

 真っ先に森野が近寄ってきて、マジマジと見ていた。

「おはようございます。」

 田中がヘルメットを脱ぎ、声を掛けると、

「おはようございます。」

 彼女も慌てて返事をしたが、それよりもバイクに興味があるのか、根掘り葉掘り質問攻めに遭った。


「おはようございます。」

 後ろから仙道がやってきて声を掛けた。

「おはようございます。」

 田中も返事をする。

「凄いバイクですね。」

「まあ、一応大型ですから。見た目はごつく感じますよね。」

 田中は照れ隠しで応える。

 しかし、仙道はあまり興味をそそられなかったのか、それ以上の質問はしてこなかった。

「じゃ、今日からこの神余の現場が始動するから、田中さんも森野も気張ってやりましょうね。」

 親方然とした口調で、仙道が二人に声を掛けると、他の社員たちが待つ広場へと移動した。


「全員揃ったかな。」

 8時になると、広場に集まった全員を見渡して仙道が確認を取った。

「おはようございます。

 今日から神余のプロジェクトが始動します。作業工程の詳細は各自スマホ、タブレットで確認をしてください。今日は事務所の設置から始めます。

 それでは、体操を始めます。」

 仙道の号令と共に、全員が動けるだけの距離を取って、ラジオ体操を始めた。


 ラジオ体操が終わると、再び仙道が号令を掛ける。

「それでは、今日も事故なくご安全に。」

「事故なくご安全に。」

 仙道のかけ声に、全員が復唱すると、経口補水液を受け取って、各自持ち場へと分散していった。


 メインは事務所設置だが、現場の確認もある。設計図と照らし合わせて、状況を把握し、工期の見積もりに齟齬がないか、設計変更が必要なところがないかなど、様々な不具合をこの段階で確認しておくのだ。


 早速広場に運び込まれていた資材を使って、事務所の土台が造られていく。レンタルの簡易トイレも運び込まれたり、電気工事会社が入って電柱を1本立てて、引き込み線を設置したりと、現場を運営するための下準備が着々と進められていった。


「田中さん、森野、二人はあたしの後に付いてきて。」

 ひととおり現場に指示を出していた仙道が、二人に声を掛けた。

「仙道さん、ここ、工藤さん肝煎りのプロジェクトですよねぇ。気ぃ抜けないですねぇ。」

 森野が少し気の抜けた喋り方で言う。

「そうね。工藤さん肝煎りってことは、会長肝煎りってことだからね。下手こいたら、クビだと思って覚悟しなさいね。」

 仙道が脅すように言う。

「そんなぁ。クビだけは嫌だなぁ。」

 森野は顔をしかめる。

「じゃ、しっかりやりなさいね。」

「はぁい。」

「田中さんも、慣れないことが多いと思いますけど、分からないこと、不明瞭なこと、なんでも聞いてください。遠慮は無しです。」

「分かりました。よろしくお願いします。」

 田中も仙道の口調に気圧されながらも、頭を下げる。


 仙道は二人を従えて、雑木林の中をドンドン分け入っていく。まるでなんとか探検隊を地でいくような行軍ぶりだ。


「昔、この辺りでは50戸以上の世帯を余戸あまりべと呼んで、別の里に分離する決まりがあったんですよ。この神余はね、神戸かんべ地区から分離した余戸で、神の余、つまり神余となったという言い伝えがあるんですよ。

 神の余なんて、御利益がありそうで、良い名前ですよね。」

 道中そんな話を仙道がしてくれる。

 千葉に長年住んでいる田中は、まったく以て知らないことで、感心した。


 田中と森野は、息も切らさずドンドン進んでいく仙道の後を付いていくが、傾斜が急になり、手をつかなければ進めなくなっても、あゆみを緩めない仙道に、田中は遅れを取る始末だった。

 大分斜面を上がったところで、少し拓けた場所に出た。仙道はそこで立ち止まると、辺りを見渡した。


「ここで良いわね。森野、ここに立ってみて。まずは何か感じるか見てごらん。」

 仙道が森野を呼び寄せると、そこに立たせた。

「何にも感じませんよぉ。」

 暫く辺りを見渡していた森野が応える。

「そうよね。じゃ、田中さんと交代。田中さんもここに立ってみて。」

 田中は仙道の言われたとおり、森野が立っていた場所に交代して立つ。

「なんか、変な感じがしますね。ここだけ嫌な感じというか、今まで感じていたマイナスイオンのような爽やかな感じがなくて、何かどろっとしたような、不快感があります。」

 田中は、感じたままを素直に表現した。

「へえ、分かるんだ。さすが工藤さんお気に入りの逸材ね。」

 仙道が少し羨ましそうに言う。


「なんですか、それ。」

 田中は訝しんで聞く。

「別に他意はないわよ。ただ、田中さんのことをしょっちゅう気いて廻ってるから、相当気に掛けて貰ってるって話。だから、頑張ってね。」

 仙道が嫉妬ともイヤミとも、また大したことじゃないともとれる、曖昧な表情をした。

「そうなんですよぉ、工藤さん田中さんのこと気に掛けすぎぃ。田中さんなにかしましたぁ。」

 そんな仙道の心境を知ってか知らずか、森野が気の抜けた声で聞く。

「いいえ。特に何かした覚えはないですけど。」

 田中は心当たりがなかったので、正直に応える。


「まあ、あの人が目を掛けるって言うことは、相当期待されてるから、田中さん気合い入れてやってね。

 それじゃ、続きをやるわね。

 そしたら、二人とも吐納法をやって、気を練って。」

 仙道が話を切り上げ、次に話を進めた。

 田中と森野は言われたとおり、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出し、呼吸を整えていった。

 田中は仙道の言葉で何か消化不良のような気分になったが、吐納法を始めると、すぐに頭の中を空にして、余計な雑念は頭の外に追い遣った。

 吐納法はもう慣れたもので、ものの1分もしないうちに丹田たんでんを感じられ、気の流れを掴むことが出来た。


「そろそろ、何か見えてくるんじゃない。どうですか。」

 5分程したら、仙道が二人に声を掛けた。

「はい、見えます。道筋のようなものが。」

「あたしもぉ、見えますよぉ。氷の筋がぁ。」

 田中と森野がそれぞれ答える。

 無属性の田中には、雑木林の中を縦横無尽に張り巡らされている、モヤモヤした靄のような道筋が見えていた。そして、冷気属性の森野には氷の筋が見えているのだろう。


「二人とも凄いわね。

 その見えている筋が、この土地の気の流れ、つまり経絡けいらくになります。

 田中さんは経絡って習いました?」

「いえ、源藤さんからは一言も。ただ、アニメか映画で聞いたような気はします。」

「そう、じゃ、一応説明するわね。

 その前に、森野、経絡におかしな所がないか、良く見ておいて。」

「はぁい。」

 森野は気の抜けた返事をした。

 その返事を聞いて仙道は軽く溜息をいて、田中に説明の続きを始めた。


「経絡というのは、簡単に言えば気の通り道です。人間の経絡はすべて丹田に通じていて、丹田を中心に気が全身を巡っているというのが、経絡の概念です。

 この世界のものにはすべて気があるというのは聞きましたよね。」

 田中が頷くと仙道は話を続ける。

「世界中に流れる気もこの経絡を通って流れています。したがって、この経絡は物と物を繋ぐ気の道筋という訳です。そして、今、目の前に見えている太い筋が、経絡の大通り、大動脈とも言える、大経絡です。

 これが見えるようになると、まず、何処に何をどうすればこの土地が生きるかと言うことが分かります。逆にこの大経絡を塞ぐようなことをすれば、たちまちこの土地は死にます。」

「つまり、この道筋はこの土地の血管だから、切らないようにと言う訳ですね。」

「理解が早くて助かるわ。そう、つまりそういうこと。

 この大経路はそれほど重要なんです。

 だから、二人にはこの経絡を良く見ながら作業を管理して欲しいの。」

「分かりました。」

「わかりましたぁ」

 田中と森野が応える。


「ところで、先程感じたあの違和感のようなものは一体何だったんですか。」

 田中が仙道に確認する。

「ああ、あれね。あれは、経絡の流れが詰まっている場所なんですよ。気の流れがおかしい、本来の流れ方をしていないような場所だと、何らかの違和感を感じるんですよ。森野は感じなかったみたいだけど、田中さん、あなたは感じ取れたみたいなので、自信を持って良いですよ。その感覚を忘れないようにしてください。それが後々重要になることもありますから。」

 仙道が褒めた上で、注意を促した。

「そうなんですね。ありがとうございます。」

 田中は頭を下げ、この違和感を記憶しておこうと、再び辺りに意識を向けたのだった。


「森野は何か分かった。」

 仙道が田中への説明を終えると、森野に聞いた。

「変な感じはしますぅ。でも、違和感とか言われても良く分からないですぅ。」

「あなたは、そういう子よね。まったく。じゃ、氷の温度の違いは見える?」

「はい。見えます。」

「温度が高いところがあるでしょ。」

「ありますぅ。」

「それが、違和感なのよ。分かった。」

「ああ、分かりましたぁ。これですねぇ。」

 森野が違和感を感じている場所を指で指す。

「そう、そこよ。」

 仙道が頷いた。

 森野が指差した先に、田中が見えていたものは、黒い闇のような穴だった。

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竹林 ~竹林庵の物語~ 劉白雨 @liubaiyu

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