第59話

 ラティムを除くリリー一行はヴォリックが手配した案内人と共にイースメイムから西の森の中にある湿地帯へと辿り着き、そこは緑豊かな森の面影はなくなり太陽の光もあまり見えず、代わりの光源が地面や木に生えたキノコたちであった。


「あわわっ、おっとっと……」

「嬢ちゃん足元に気を付けてくだせぇよ。すでにここは【樹海の胃袋】だからよぉ」


 ボロの布切れに包まれ腫れた鼻が特徴的な案内人が後ろにいるリリーの様子を見て注意を促してくれる。

 太陽による熱があまりないのかここは湿気が籠ったような空気によって地面はゆかるんでおり、今歩いている道を少しでも外せば足を掬われそうなほどであった。


「樹海の胃袋って、なんていうか……嫌な名称だな。ここって」

「兄ちゃん達って確かエリウムから来たんだろ? じゃあここを見るのは初めてか。ここ大樹海に流れる魔気が溜まる場所がいくつかあるんだ。その内の一つが"ここ"ってわけさ」

「それで、ここは何かあるんですか?」

「ああ、ここには不思議な力があるのか大樹海の中で迷った奴らが流れ着く場所なんだ。俺らイースの民はガキの頃から親に嫌ほどここの恐ろしさを教えられる。もし迷ってここに来ちまったらそれを"糧"としているモンスターも多い。謂わばここは生き物の終着点みたいなもんだな」

「なるほど、だから"胃袋"なのか」

「何かの目的がない限りは基本的にここには誰も来ねぇ吹き溜まりみたいな場所だからよ。だからこそ身を隠すのに丁度いいっていうのもある」

「……沼地の魔女」

「さて、俺はこれ以上先へは進めねぇ。だから後はお前らだけ行くんだ」

「おいおいおい、おっさん案内人なんだろ? その魔女のところまで行くんじゃないのかよ?」

「出来ればそうしたんだが……あの魔女は"こちら"を嫌っているからな。ただでさえ危険なこの場所にいるのにこの先まで行けば魔女のテリトリーに入っちまう。俺みたいなのが踏み込めば無事じゃあ済まないな。その代わりに、ほらよ」


 案内人は手に持ったランタンをベリルに渡す。

 中身に灯されている炎の色は明るい緑色をしており、ガラスの先から発せられるこの光はどこに向けても常に一定の方向を示していた。


「このランタンの燃料には記憶した道をそこまで照らしだす導灯がついている。この光にちゃんと辿っていけば迷うことなく魔女のいる場所まで行ける。帰りは上の部分を捻ればイースの方に行けるようになっているぜ」

「なるほど」

「それとな、絶対それを壊したり無くすなよ? よそ者がこれ無しで帰れるとは思わないことだ。まぁ変なことをしなきゃ大丈夫だとは思うが……」

「忠告ありがとうございます。それじゃあ僕たちはこれで」

「ああ。無事に戻って来いよ」


 見送る案内人を置いてリリーたちはベリルを先頭にして樹海の胃袋の先へと入り込んでいく。

 ランタンの光に誘い込まれるように歩いていく内に周囲の様子が湿気のある森の中から沼地が広がるエリアへと変わっていった。


「しかしよぉ、あんなでっかい森の中にこんな場所があるなんて全く想像できなかったぜ」


 嫌な湿り気と鬱蒼とした空気の中でピークコッドは周囲をキョロキョロと見渡しながら歩いていくと、ふと先に見える木々の枝に蕾が目に入る。

 赤と黄色が入り混じったようなその色はここでは不自然に目立っており、それに釣られるように小さなトカゲが近づいていく。

 トカゲはその蕾に近づき中にあるであろう蜜を飲むために花弁に噛り付いた瞬間、その蕾は大きく膨らんで破裂するとそこから花粉がまき散らされた。


「……!」


 その花粉には毒があるのか降り注がれたトカゲの動きは止まりぐったりとしているとやがて枝から落ちていく。

 木の根元に落ちたトカゲはその根が地面から伸び始め、そのままトカゲに絡みつくと締め付けながら地面の中へと引きずり込んでいった。


「うへぇ~……。えげつなぁ……」


 ピークコッドが見ている樹木自体が肉食性のある生物なのだろう。

 罠に嵌めるような捕食の仕方を見た後、あの案内人の言葉を思い出しここが樹海の胃袋という名の意味を改めて知った。

 あの捕食を見た後、ピークコッドの周りは実はこういったものだらけではないのかと疑ってしまう。変に伸びた蔓のようなものも罠なのかもしれないと思うとピークコッドは思わず唾をのんだ。

 そんな中で隣にいるリリーも周りを気にしているようでキョロキョロと辺りを見渡しているのを見てピークコッドは気を紛らわすために声を掛けた


「ど、どうしたんだリリー。さっきから落ち着かない感じでさ」

「え? えーっと、その。誰かが見ているような、そんな気がして……」

「誰かが見てる……?」

「はい……」

「俺はそういうの感じなかったけど……」

「どうかした?」

「リリーが俺たちのことを見てる奴がいるって」

「そうなのか? アイリス、何か感じる?」

「グゥ……」


 リリーたちは一旦立ち止まり、周囲をアイリスが飛び回って調べさせたがその顔は特に何も無さそうであり、首を横に振っただけであった。


「もしかして、実はさっきのおっさんが俺たちを隠れて監視しているとか?」

「それは考えにくいかも。あの人はここに入るのにかなり嫌がっていたようだし、あの言葉は本心だと思う」

「じゃあなんなんだろうな……」

「う~~ん……」

「二人とも、ここで足止めて考え事するのは何か起きるかもしれないから今はとにかく先に進もう。もしかしたらそれが見つかるかもしれないし」

「そうだな……。リリー、またその気配がしたらすぐに声かけろよ」

「はい」


 ベリルの言葉を聞いてリリーとピークコッドは再び足を歩み始めていく。

 湿地帯特有のねっとりとした環境音が鳴る中を進んでいくと、やがて木製の家がポツンと建っているのが見えた。

 手に持ったランタンを掲げるとその光は家の方向を示しており、どうやらここが魔女の住処らしい。

 コケが生えているその外見はとても古く、下部は若干カビ臭かった。


「あのおっさんと別れてから結構歩いたな。ていうか本当にここがそうなのか?」

「でもこの光はここを照らしてます」

「ともかく、人がいるなら尋ねるしかなさそうだ」


 リリーたちは慎重に家に近づき木の階段を上っていく。

 階段を上がるたびに段からギシリという嫌な音が鳴り響き、静かなこの場所だと煩く聞こえてきた。

 やがて玄関まで辿り着いたベリルはその扉に数回ノックして大きな声で尋ねた。


「御免ください! 誰かいますか?」


 静かな場所でのベリルの声は響くほどでかなり目立つ。

 だがそんなベリルの声に対して全くの無反応であり、家の中は音すら聞こえなかった。


「全然反応ないな……」

「おいおいここまで来て留守かよ……。一旦戻ったほうがいいのか?」

「う~ん……」


 ベリルとピークコッドがこの状況に頭を悩ませている間、リリーは扉を見ていると取っ手の部分が薄青く光っているのが見えた。

 その光はリリーの体が発光したときと同じような光り方をしており、それを見たリリーはゆっくりと手をそこに近づけると取っ手に触れる前にガチャリと何かが外れたような音が鳴ると扉が静かに開いていった。


「あ、あの……」

「ん? どうしたリリー」

「ドア……開いちゃいました……」

「え?」

「そんなことある? リリー、お前なんかした?」

「えーっと……、なんか光ってたからちょっと触ってみようと思って近づいたらその前で……」


 リリーが説明している間に扉が一人で開いていくのが見え、三人は思わず体が動かなくなる。

 家の中は暗く、光源すらないこの家は薄暗い沼地という場所も相まってベリルの持つランタンで照らさないと内部が全く見えない状態であった。


「これは……入れってこと?」

「廊下が全然見えねぇ……本当にここに住んでんのかよ?」

「でも、なんだかここにいるような気がします」


 家の中はあまり見えないが、何者かの気配をリリーは感じる。

 開いた木製のドアが前後に揺れてギィーという擦れる音が催促しているようにも聞こえた。

 三人はその音を聞きながら息をのみつつゆっくりとした足取りで中へと入っていったのだった。

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