第八話 家に着くまでが旅行
✣*✣*✣
「世話になったね。良いホテルだったよ」
「喜んでいただけたならなにより」
「フフ。ほら、キャシーもご挨拶をして」
「ええ――
「「「…………」」」
流暢な
キャサリンが言語を習得してから数日滞在しているものの、実はちゃんと話すのは初めて。
「お、驚いたな。いつ話せるように?」
「チェックインした日にはかなり流暢でしたよ。……かなり訛っていましたが」
「そうなの……か」
「なんでも。道行く人の言葉を聞いて覚えたのだとか」
「は? おいおいそれはまた……」
「私はお嬢さんから聞いたままを答えたまでですので」
「…………」
驚くチャーリーを余所に、ジェルマンニールの言葉がわからないローラは直接キャサリンへ尋ねることに。夫はそもそも驚きのあまり言葉を失っているし。
「……キャシー、いつの間に話せるようになったの?」
「こっちに来て覚えたのよ」
「どう……やって?」
「……皆話してるから。それを聞きながら。あとはこっちの本をいくらか読ませてもらったからかな」
「そ、そうなの……。すごいのね、キャシー。賢い子なのはわかっていたけど。独学で、しかもこんな短期間に……」
「はははは……。我が娘ながらここまでの……」
「……ご自慢の娘さんですね」
先の言と一致してしまい、チャーリーは驚きは隠せないし動揺は収まらない。ローラの方は異質な様子に悲しげな顔。
けれど、この時彼らは大事なモノを見落としている。
今、話せる理由を答えた時。彼女は笑っていた。上がらない口角が、ほんの少しだけ。
もしも。この時見逃してなければ或いは――。
「いや本当に、先が楽しみだよ」
と、そんなことを考えても詮無きこと。今はただ別れを告げよう。
「では改めて。ありがとう」
「ありがとう。お世話になりました」
「さようなら。優しい受付さん」
「え、えぇ……またお越しください」
深々と頭を下げて見送る彼の内心では、未だにあの無表情な顔が離れてくれない。目線はすでに外しているのに。離れてくれない。
不気味なあの顔が……へばりついてくる。
「あ、お客様! そういえばここ数日内に子どもが行方不明になったそうなので! 帰りにご注意ください!」
「……! そうか、それは物騒だね。ありがとう。気をつけるよ。また、はぐれたら怖いしね」
「キャシー……ちゃんと手を繋いでね」
「えぇ」
思い出したかのように告げるが、正直心の底から心配しているわけではない。
ただ、普通の子供相手へのするような心配りをすることで忘れたかっただけ。
「…………」
(最初の口調からあの流暢な子供のしゃべりになるなんて……。逆に不気味が過ぎる……。もしも、普通の子供のように笑ったりしていれば……。もし、頭が良いことを鼻にかけて小生意気だったら……。こんな……気持ちにはならなかったのだろうか……)
けれど彼の思惑も虚しく。ただ、思い出として風化してくれるのを祈るしかできない。
しかして幸運といえよう。もし、あの少年と出会わなければ身近な君が狙われていたかもしれないんだから。
心にモヤモヤを抱えるだけで済んでいるのだから。十二分に幸せなこと。
まぁ、彼の知るところではないけれど。
余談だけれど、少年が食べられた場所に彼の残骸が残されていたそうで、ご両親は彼の死を知れたそう。
血がついた破れた服と。右手。
食べ残しではなく。頭は食べてしまったから、せめてわかりやすい部位をとわざわざ残していた。
これはキャサリンなりの、小さな
ただ生きていることを信じて待つことよりも。死を知って過去にしてしまったほうが良いという考えの元の、
✣*✣*✣
「〜♪」
行きは退屈な汽車も、帰りはそうでもない。
話し相手はすぐそばにいるし、汽車内を散歩するだけで前より得られるものも多いから。
(アンゲリィとジェルマンニールの二ヶ国語わかるだけでも面白いわ。あと三ヶ国語くらいは覚えたいけれど……まぁ、それは今度機会があればにしましょ。自分で覚えても良いし)
「〜♪」
上機嫌に鼻唄を奏でるキャサリン。しかしご機嫌なメロディとは裏腹に相も変わらずその顔に表情はない。すれ違う他の乗客からすればさぞ不気味な光景だろう。
(どこまで行きましょうか。カテリィン)
――トクン
(あら、つれないのね。わたし、悲しいわ)
好奇心旺盛なキャサリンとは対象的に、カテリィンの方はおとなしい。
このおとなしさは気質故か、それとも。
(出会った時を思えば、そうとも言い切れないのよねぇ〜)
怪我か飢餓かはわからない。少なくとも瀕死ではあったであろうあの姿。今は滅多に姿を現さないものの、目に入らないこともなく。
変幻自在に姿を変える為に比較するのも難しいかもしれないけれど、それでも初めての時は制御できてるようには思えない。血を食べて多少回復したが故にキャサリンの胎内へ致命的な負担なく入り込めたのだろう。
仮説だけれど、そうでなければ。
(入口や道中が裂けてわたしは死んでしまっていたでしょうし。かなり有力ではないかしら?)
そしてその仮説が正しいとして、何故、どうしてカテリィンは――。
「…………カラはまだ見つからない」
――ドク……ッ!
「……ぅっ。カテ……リィン……?」
まるで内側から軽く蹴られたような鼓動に驚き、その場でお腹を押さえるキャサリン。
そしてその鼓動には意思はなく、漠然とした驚愕の感情しか伝わってこない。
(カテリィンが動揺した……ということなのかしら。何に? この、扉の向こうの声を聞いて……?)
「…………」
お腹をさすりながら耳を扉につけて、澄ましてみる。
「あぁ、汽車が出てから三日。成果なし。これには乗ってない可能性が高い。施設付近は? そうか、洗い直して町周辺まで。確か逃げた時は瀕死だったな。ならやはり汽車での逃亡の線が強い、と。では別のかもな。着いたら周辺で食事の形跡を探ってみる。あの個体は成体とはいえまだまだ若い。散らかしてる可能性も高いだろう。それらしき形跡もあったというし。少年がひとり食われたんだろう? いやすまない。急だったからまだ資料は……。あぁ、わかってる。アンゲリィへの流出はなんとしても避けたい。あそこはまだ知らないだろうし、な」
(ジェルマンニール語。声はひとつ。でも誰かと話してるみたい。じゃあ誰と? 無線? じゃあお偉い軍人さんか特殊工作員かしら? やだわ、物騒ね。それともカテリィンみたいな生物の別個体でも? いえ、それなら体の中に入れば意思疎通できるでしょうし。いえ、元々入るほうがイレギュラーなのかしら? でも、今はそれより)
――…………っ
(震えてる。怖いのね。話の内容からしても……そういうことなのでしょう)
察するに、この扉の向こうにいるのはカテリィンを追ってきた何かしらの組織の人間。
その上で問題なのは。
(面白くなってきたわねカテリィン。あの人を食べたら色々わかるわよきっと。そろそろお腹も空いてきたことでしょうしね)
――…………
なんて好奇心のお強いこと。この子猫はどうやらまだ
これには、さしもの怪物カテリィンも呆れざるを得ない。
しかし何故だろう。カテリィンの震えは止まっている。キャサリンの好奇心に
(カテリィン。心の準備は?)
――……トクン
(よろしい)
――トントン……ガチャ
カテリィンの返事を聞くや否や、ノックをして扉を開ける。
「……!?」
誰か入って来たと察するや否や直ぐ様通信機をしまう男。キャサリンが見る頃には大きなバックがひとつだけ。
(すごい手が早いわ)
あまりの早業に心の中で拍手。実際に称賛できないのはとても残念。
さて、そんなことよりも部屋に入ってしまったらやることがある。さりげなく扉を締めながら、キャサリンは綺麗なお辞儀でもってご挨拶。
「あら? お部屋を間違えてしまったわ。ごめんなさいおじ様。急に入ってしまって」
「い、いや良いんだ。お嬢ちゃんは……これから旅行に行くのかな?」
「いいえ、帰るところよ。どうして?」
「……いや、あまりにもジェルマンニール語がネイティブで外国人とは思わなくてね」
「…………」
(あぁ、失敗してしまったわ)
――ズォワァァァア……!
「……っ!?」
キャサリンの反応でバレたと判断したカテリィンはスカートから姿を現す。
キャサリンを軸に蜘蛛の巣を張るようにムラをつけて広がって、大きく見せて威嚇するように。
「くっそ! 擬態、いや寄生したのか……っ」
(擬態……ふーん)
面白いワードを聞き、脳をいただくのがより楽しみになってくる。
でも、それはいけない。悪い子。それはとっても悪い子。
キャサリン。
油断をしてしまう、悪い子なキャサリン。
だから。
(寄生してあんだけ自由自在に……しかもこいつは確か黒の個体だったはず。む、無理だ。助からない。しかしせめて、情報だけは……!)
「……?」
(なにをするつもりかしら?)
通信機であろうバックを手に取った男はキャサリンの見えないところで何かいじっている。
彼がやっているのは情報が露呈しないようにする為の手段。
カテリィンがこれだけ回復していれば、自分では対応できないと判断しての見切りの早さ。即最終手段。
「哀れなお嬢さん。どうか安らかに眠らんことを――」
――ビクッ! ズォア……
(いいわカテリィン。脳と脊椎を守って)
――……! ……トクン
カテリィンがキャサリンを包み込もうとしたのと、眼の前の男が何をしようとしたのかを察して制止させる。代わりに、脳を守ってくれと。
彼がやろうとしていたこと、それは当然。
――ドガァァア!
「……ぅ! ぐぅ……ぁ……!」
自爆。
爆風に巻き込まれたキャサリンは扉に叩きつけられながら破片がぶつかり頭部から出血。背中には打撲を受けてしまったが、カテリィンが重要な部位を保護したお陰で大した傷はない。
「……ぅぅ」
とはいえ華奢なキャサリンにとっては十分な痛手。小柄で肉の少ない彼女には骨身に
けれど、こんな痛みなどは予想の範囲内。彼女にとって大事なことは。
(脳は……ダメね。あんなに頭の近くに抱えていたんだもの。グチャグチャだわ。体は……上半身がバラバラだけど、まぁなんとか食べれるでしょう。カテリィン、人が来る前にどうぞ召し上がれ。服も血もお願いね。ただの爆弾魔の仕業にしましょ。今日は半生グリルね。フフ)
――トクン
キャサリンに促されるとカテリィンは男の残骸を処理し、すぐにお腹に戻る。
そしてすぐに爆発を聞きつけた乗客たちが集まって来て。
「なんだ!? なにごと――おい! 女の子が倒れてるぞ! 頭から血が出てる!」
「お、お医者様は!? お医者様は乗っていないのかしら!?」
「とりあえず動かすな! 誰か来るまで待て!」
(医者……。あ、パパとママ。はぁ……。まためんどうなことになりそ)
気絶したフリを続けながらも心では雄弁憂鬱。また両親の、主に母親の心配そうな顔が浮かんでしまう。
(まぁいつものことだし。今更ね。それよりカテリィン。脳の破片から情報は?)
――トクン
(そ。焼けちゃうとダメなのね。いい勉強になったわ。あのおじ様、そのことについて大分知ってたみたい。フフ。どうしましょう。楽しいわ)
出血も打撲もどうでもいい。こんな痛みなんてどうでもいい。
今も尚、彼女にあるのは純粋なる好奇心と知識欲だけ。
(う〜ん。そうねぇ。ちょっと帰ったら色々したくなっちゃたわ。それに準備もしなきゃ。考えることがいっぱいね、カテリィン)
――…………
キャサリンから流れ込んできたろくでもないことに、カテリィンは返事をしなかったけれど。
でも別に反対しているわけじゃない。それは己の腹を満たしてくれるだろうから。
ただ、そう。
まだ慣れてないだけ。
化け物よりも化け物してる。彼女の精神性に。
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