第七話 暁に彷徨う少年は朝日訪れる前に夢見て儚く
✣*✣*✣
静かな静かな散歩道。明るくなってるのはパン屋くらいのもの。そんな中で
――トクン
(わかっているわ。でもちょっと待って。できれば――)
「おい! マテオはどこ行った!?」
「……ん」
明かりの灯るそのひとつから。最早怒号と言えるほど大きな声が聞こえてきて。キャサリンはなんだか気になり足を止め、耳をすましてみる。
「…………」
目を瞑って、両耳に手を当てて次の言葉を待つ。
「おい! マテオは!?」
「知らないわよ! まだ寝てるんじゃないの?」
「いない。ベッドはもぬけの殻だった」
「はぁ、とうとう朝から逃げ出すようになったのねあの子……」
「ったく。早起きして逃げるくらいなら仕事しろってんだ」
「…………ふぅ〜ん。ぅ、さむい……はぁ〜」
聞きたいことは聞けたので耳から手を離し、そのまま口元へ。
息をかけて、擦り、ある程度温まると再び歩き出す。
(じゃあ、確認しに行こ。程良ければいただきましょ。カテリィン、できる?)
――……トクン
(あ、できるの。本当に色々できてスゴいのね。尊敬するわ)
意図を汲むのに一拍使ってからの
こんな
✣*✣*✣
大通りから少し離れた場所。浮浪者すらいない裏通りを抜けた場所。ここは駅周辺が整うまでの一時的に設立された旧仮設住宅街。
今や、誰も住んでいない場所。
そこにいるのは今年十二歳になる少年マテオ。
「ふぁ〜……あ〜……。うひ〜……さっびぃ〜」
自分の体をさすりながら、勝手知ったるといわんばかりに仮設住宅のひとつに近づく。
「……よし、誰もいない」
誰も住んではいないが、稀に浮浪者やゴロツキが来ていることもあるので念の為確認。
駅からも大通りからも離れたこの場所は、雨風は凌げても食料などは手に入らない。保存には利用できるかもしれないが、ホコリとネズミが見えたら外でも変わらないと思い、裏路地を拠点とする者がほとんど。だからこそ、ここは彼にとっての穴場となっている。
「寒ぃ……やっぱなんか羽織ってくりゃ良かったかな? 急いで出てきちまったからなぁ〜。しょうがねぇ。火、つけるか」
一度屋内は確認したものの、中でも冷えそうなので薪になりそうな物を探しに出る。
とはいっても、その辺の崩れた仮設住宅の木材を拝借するだけだけれど。
「火種〜火種〜……は、さすがにねぇか。ランプランプ〜っと」
割れていても中の油だけは無事なランプをいくつも集めてある中からひとつ適当に選び、薄汚れた布に油を染み込ませる。
ランプを戻し、布だけ持って落ち葉をかけた星型に組んだ木材のところへ。
「えっと〜火打石火打石……あった」
布をかけると、今度は火打石を持ってくる。これで準備は大体整った。
「……っ。……っ。…………よし。フー! フー!」
本来もっと時間のかかるはずの作業だが、油があれば話は別。これだけで適当な
まぁ、なにより。この手際の良さから慣れているというのも大きな要因だろうけれど。
「はぁ〜……あったけぇ〜……」
火に当たりながら焚き火を眺める。
ゆらめく炎。本来天にあるはずの明かり。小さな虫たちは火を日と勘違いして、勝手に寄り付いては燃えていく。とても虚無な光景。でも、それで良い。それが良い。
ただ火を眺めて時を過ごすのが。なにも考えず憂うことなく無為に時を削るのが、心地良い。
(このまま……ずっと火だけ見ててぇ〜なぁ〜……)
できないとわかっていても求めたくなる。
腹は減るし、服も汚れる。そしたら働いて金を稼ぐなり洗濯するなりしなくてはいけない。
彼はまだ幼いけれど。それでもこの世界、この時代では働かない子供に価値なんてないという考えの人間も少なくない。
働き手として子供を増やす。働けなさそうな子供は捨てる。そんな環境が珍しくないご時世。
(あ〜……めんどくせぇなぁ〜……)
仕事は嫌い。手伝いは嫌い。遊んでいたい。朝無理矢理起こされたくない。やらなきゃいけないとわかっていても親に抗いたいお年頃。
むしろ、サボっても説教で済んでいるだけ良い親に恵まれているといえよう。彼は気づいてないけれど。
いや、気づいてないからこそ逃げる。何度でも。
いつしか逃がしてもらえなくなるんだろうなと、漠然と思いながら。憂いながら。
叶うならば、この現状から抜け出せないかと願いながら。
――キィィィ……
「……!」
(誰か来た!? 家無しのおっさんか? それともゴロツキ? まさか……親父なわけないよな?)
扉のほうへ目を向けると、そこにいたのは自分と変わらないくらいの子供。
「……ちょっと……いいかしら?」
(女の……子? しかも今のは外国語……だよな? どこのだ?)
彼の、憂いを払うモノが、火に釣られてやって来た。
✣*✣*✣
カテリィンはまず、言い争いをしていた夫婦の家へと自らの体を平らにして、か細くして忍ばせた。
影のようになった体で侵入し、マテオという少年の痕跡を探し、私物から臭いを覚えて、あとを追う。
ただでさえ
(ここ?)
――トクン
(そう。じゃあ確認してみましょうか)
――キィィィ……
「……!」
(明るい……ちゃんといるわね)
「……ちょっと……いいかしら?」
扉を開けた瞬間仄かに届く光と熱。そして誰かが驚く気配に目的の人物がいたと確信を得るキャサリン。
――トクン
(疑ってたわけじゃないけど……それはそれとして本当にいたら驚くものよ)
――…………
もし、カテリィンに目があったらジトっとした視線を送っていたことでしょう。
(にしても、返事がないわ。警戒してるのかしら? こんな子供に……って、そっか。言葉が通じないのだわ。イケないイケない。これはうっかりしちゃってたわ)
「ちょと、いい?」
「あ、う、うん……」
あのしゃべり方だと違和感がスゴいのは学習済みなので、できるだけカタコトに。単語を繋げて辛うじて意味はわかるような。そんなしゃべり方に修正。さらに扉の陰から姿を現して顔を見せておく。これで、きっと……。
(やっぱり女の子だ。しかも結構年下……っぽい)
案の定、最初の外国の言葉からのカタコトでマテオ少年に外国から来た少女という印象をつけることができた。ここまで印象をつけれれば
(なんでこんなところに外国人の女の子が……?)
(警戒……解けたかしらね)
張っていた肩が下がったのを見て、キャサリンはより近づく。
少年に……というより火に。
(はぁ……あったかい……)
「あ、えっと…………火、強くしようか?」
「うん」
寒そうにしている少女を見て火に薪を
(とっても
火に手をかざす様子だけを見れば、これが目的にも見えるかも知れないけれど。別に、彼女とて当初の目的が体をあっためるわけでもなければ忘れてるわけでもない。
何故なら。
(口調からひどい訛りや崩しはないかしらね。お店からして接客もあるようだし、予想が当たって良かった。年齢に関しても結構近いようだし、運も味方についてたかも。
目的は既に完遂しているといっても過言ではないから。
「…………」
「…………」
(む、無言って……。なんなんだよこの子……。き、気まずいな……)
内心喜ぶも表情には出ないキャサリン。普段は何を考えているかわからなくて避けられることもある彼女だけれど、今はその限りではない。
ただ、単純に少年は無言の外国人が自分の隠れ家にいて。しかもジッと火にあたっていてそれ以外なにもしないことに戸惑っているだけ。
なにより、彼は彼女の無機質な表情に気づいていない。
火はあれど暗がりで、ジロジロ顔を見るような行為は無礼極まりないから。
多少なりとも身なりが良いからこその扱いだけれど。これもまた神の思し召しかもしれない。
(さて、そろそろ温まったし。はじめよう、かな?)
「ありがと、火、あったかい」
「ぇ……? あ、あぁ、そ、そっか。それは良かった……うん」
(や、やっとしゃべった。なんだ、ただ寒かっただけか……。そりゃあこんだけ寒い朝方で出歩いてたら冷え込むもんな。火に当たってなきゃやってらんね――そうだ、そういえば)
「あ、あのさ。なんでこんなところに? 地元の人間じゃないのはわかるんだけどさ」
「朝、一人、起きた、暇、散歩、迷子、寒い、困った、火、あったかい、……ほっ」
「え、えっと……」
(朝に一人で起きて暇だったから散歩して、そしたら迷子になって、寒いし困ったところに火がある場所にたどりついた……と。が、外国に来て暗い中一人で出歩くなんて命知らず過ぎるなこの子……)
表情以前にその積極性に驚きを隠せない。しかし、それよりも彼にとって大事なことは会話ができたこと。これなら気まずさも和らいでいくだろう。
それは、キャサリンにとっても有益。
「ところで、どっから来た……の?」
「アンゲリィ」
「あ、じゃあ隣だ。でも言葉は全然違ったはずだよ……ね?」
「うん――似てるところもあるけど、結構発音が違うから難しいわ。リスニングは問題ないけど、独学でスピーキングの矯正はやっぱり難しい」
「ん? んん??? ごめん、なんて?」
「違う。だから、むずかしい」
「あ、そうだよね。今のでわかった、うん。すごいね、ボクとそんな変わらなさそうなのに会話できてさ。こっちの言葉で」
「少し、覚えた、チャンスあった」
「へぇ〜、そうなんだ」
「うん」
マテオは口調に気をつけて、彼女に聞き取りやすいように心掛け。キャサリンは母国語も混ぜてみて少年の言語力を確かめる。
少年少女、お互いがお互いに対して探り探り会話をするのはとても微笑ましく見えるけれど。思惑としてはズレていて、なんとも言い難い。
「えっと、それでここにはどうして?」
「旅、遊び」
「旅で遊び……観光、かな?」
「うん。かんこう」
会話ができるとなると、間を埋めようと質問を続けていく。
間が気まずいのもあるけれど、マテオとしては外国の年近い女の子と話せる機会なんてめったにないので徐々に興奮してきているのもあるかもしれない。
「そういえば年は? 勝手に年下って思っちゃってるんだけど……」
「じゅういち」
「あ、じゃあ年下だ。ボクもう少しで十三だから」
(一、二歳差……ね)
期せずして年齢の確実な情報を得ることができてキャサリンも少し機嫌が上向きに。
あとはいつどうやるかだけれど。
「えっと、あとは……」
(おしゃべり好きなのね。タイミングが掴みづらいわ)
会話を始めて、気分が乗ってきたマテオ。話しかけられてイマイチきっかけができないキャサリン。
暗がりで表情が見えないのが幸なのか不幸なのかわからないけれど、少なくとも獲物を狙う獣の気配を感じないというのは。恐怖から離れるという意味では。あるいは幸せかもしれない。
無表情だからこそ言葉をかけると思えば。あるいは幸せかもしれない。
年頃の男子が女子と、それも外国人と会話をするというのは、あるいは幸せな時間なのかもしれない。
しかし、得てして幸せな時間。楽しい時間というのは儚いもの。ふとしか瞬間に。フッと息を吹きかければ消える
「えっと……ごめん」
「……なに?」
(急にどうしたのかしら?)
「いや、こっちの言葉はあまりって話だったのに、すごい話しかけちゃって……」
「…………」
「その、楽しくてさ。うち仕事が忙しくてなかなか遊んだりできないし。年が違い子もあんまりで……」
「そう」
「だから嬉しくてさ……君と話せて」
「……わたしも」
(有意義ではあるわ。困ってはいるけど)
「あ、今更だけど出身地は聞いてたけど名前は聞いてなかったね。ボクはマテオっていうんだ。よかったら……君の名前も教えてくれないかな……?」
少し、間があったのは緊張しているから。この暗がりで外国人の女の子と話すという短時間でも楽しい非日常を過ごしたが故に芽生えた淡い
あぁ、少年よ。何故そこで間を作ってしまったんだい? どうしてずっと会話を続けなかったんだい?
絶えず続けていれば、あるいは――。
「わたし、キャサリン」
「そ、そっか……えっとまた――……!?」
マテオがキャサリンに目を向けると、彼女は立ち上がってスカートの裾を掴んで持ち上げていた。
「え、あ、な……」
顔を真っ赤にして、思考も止まって、けれど目が離せない。悲しき
肌を見せない、足なんてもってのほか。足を見ることは裸を見るのと同義。そんな価値観が故にこそ、目が離せない。
でも、うん。最後に女の子の足が見れて良かったと言ってあげようじゃないか。
だって、彼はこれから。
「そしてこの子がカテリィン。どうかよろしくしてね」
「え」
彼女たちの糧となるのだから。
――バクン
最後の言葉は彼には理解できない言葉だった。
なんて、意地悪なキャサリン。
事を終えた彼女たちが外へ出ると、まだ朝日は上りきっていない白んだ空だった。
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