第五部 愚者ノ帝国
第30話
僕らはなんて愚かなのだろう。
まさか、もう一度この装備を身に着ける日が来るとは。僕はロッカーの内側に張られた鏡に映る自分を見て、感慨深くなった。
隠蔽、隠遁の魔法迷彩を始め、各種の呪術に対する魔法的防護の施された漆黒の
この国の、恐らくは現時点で人類が持ち得る最高の叡智を結集して作り上げられた、魔法の殺人道具。人類の愚かさを煮詰めて凝り固めたようなそれらを身に着けてなお、今の僕の心は晴れやかだった。
「クロード大尉。間もなくです」
呼びに来た術士と一緒に僕はロッカールームを出た。青白い魔力灯に照らされる通路を歩いていった先には、巨大な地下空間がある。中央の床に刻まれている魔法円の傍らでアダムスが、ベックウェル大佐が、それに二人の先進魔導戦開発グループの隊員が待っていた。
「全員。任務は頭に入っているか」
ベックウェル大佐の懐かしいセリフが地下室に響く。僕らは各々、頷きを返した。
「全員、感情抑制暗示処置は受けているな?」
大佐が手元のクリップボードに挟み込まれた書類にぺらぺらと目を通しながら確認を取る。会議室での簡単な作戦会議の後、僕らには六時間の準備時間が与えられた。その時間で勘を取り戻すための射撃訓練と感情抑制暗示処置を受け、余った時間で盗むように仮眠をとった。作戦に不安がないとは言えない。準備万端には程遠い。魔力の残量不足から、転移陣を起動できるのは一度のみ。つまり、僕らはたった四人で敵陣の内部へ飛び込むことになる。
それでも僕らに気負いはなかった。
「失礼ですが、大佐も処置を受けられたんですか」
アダムスがおどけた声で訊いた。大佐が「いいや」と首を振った。「それにしちゃ不愛想ですな」とアダムスが茶化し返す。それに隊員たちが笑う。僕も笑った。何故か、アダムスとベックウェル大佐がぎょっとした顔で僕を見た。どうしたのだろうかと首を捻る。みれば、残る二人の隊員も同じような目を僕に向けていた。
「三年あれば、人は変わるものだな」
ベックウェル大佐が何やら感慨深げに呟く。隣ではアダムスが同意するように頷いていた。
「ともかく、任務だ」
咳払いとともに、大佐が気分を切り替えた。ハイスクールの馬鹿な学生たちのように緩み切っていた僕らを睨みつける。空気が引き締まった。
「行ってこい、猟犬ども。追いかけ、追い詰めろ。何人も、運命の猟犬は欺けない」
その言葉に背中を押されて、僕らは転移陣の内側へと踏み込む。そして、眩い光に飲み込まれた。
強烈な光の奔流を抜けた先は、薄暗い小屋の中だ。僕は素早く外の様子を確認すると、倉庫に擬装されていた建物を飛び出す。
これが魔力湧出地か。素早く移動しながら、僕は周囲を眺めた。巨大な石の壁で囲まれている敷地内には、なんのためにあるのだかさっぱり分からない様々な設備がごった煮のように詰め込まれている。中でも中央に突き立つ、奇妙な艶のある黒い鉱石で造られたアーモンド状の構造物が目を引く。あれがこの魔力湧出地の心臓部にあたる精製炉らしい。そして、それらすべてを繋ぐため、敷地内には大小さまざまなパイプが血管のように張り巡らされていた。
魔力湧出地には、太古の、それこそ神代に生きていたとされる魔力生命体の亡骸が埋まっていると云われているんです。
という、いつかの呪儀兵の言葉を思い出した。
アメティカ国内で有名なのだと、北部のイースパルは巨人。サイコンダコタはドラゴンだ、なんて言われてます。
ドラゴンの眠る土地か。
言葉にすれば神秘的だが、実際のここは神秘さなどとは程遠い。人工物で埋め尽くされ、工業的効率性によって彩られている。まさか、ドラゴンもこんな墓を建てられるとは思ってもみなかっただろう。
と、下らない考えを弄びながら、頭の中に湧出地全体の見取り図を広げる。僕らが向かっている先は、ここに入るための唯一の出入り口である正面ゲートだ。まず、そこを確保して、外で待機している先進魔導戦開発グループの残りのメンバーと魔導軍特殊戦術群のチームを内側へと引き入れる。そこからはアサルトだ。この場所を占拠している敵の親玉のところまで突っ走る。いつも通りのリスキーな作戦。アダムスがハイになり過ぎなきゃいいけど。そう心配したが、今のところ受け答えは至って冷静だ。再会した当初とは全く違うその態度に、感情抑制暗示処置様様だなと思った。
正面ゲートにはすぐについた。数名の見張りがいたが、敵もまさか内側から攻撃を受けるとは思ってもみなかったのだろう。哀れな彼らは、背後からひっそりと忍び寄る僕らにはまるで気付かぬまま、この世を去ることになった。
正面ゲートを確保した僕らは、速やかに友軍を敷地内へと引き入れた。これで作戦の第一段階は終了だ。第二段階は、少数のチームに分かれて敷地内の敵の掃討しつつ、別々のルートから心臓部である精製炉を目指す。戦力を分散させているのは、敵の強力な魔法攻撃の一撃で全滅などという結果を防ぐためだ。
作戦の第二段階が始まると、すぐにそこらじゅうで戦闘が始まった。爆発や衝撃、呪杖が結晶弾を吐きだす、キン、という硬質の音がこれでもかと大気を痛めつける。そんな中を僕らは駆けた。僕らからすこし離れたところを併走している別チームが、敵の魔法攻撃を受けてまるまる吹き飛ぶのが見えた。後ろを走っていた隊員は命からがら近くの遮蔽物へと飛び込めたようだが、先頭に立っていた隊員は駄目だろう。回線をオープンにしている交信具からは隊員の死亡や負傷を告げる報告が続々と上がる。戦闘開始からものの数分で、参加している隊員の半数が死傷したようだ。
何も、不思議な事じゃない。魔力湧出地を占拠している敵の術士部隊と交戦しているのだ。これくらいの損害が出るのはまったく当然の事だった。それに、特殊戦術群も対魔法戦に特化した部隊であるとはいえ、やはり僕らからすれば一段も二段も練度で劣るということもあるのだろう。
しかし、彼らを助けには行けない。今はともかく、この魔力湧出地を掌握することが何よりも重要になる。死体の回収や負傷者の搬送は全て後回しだ。
あらゆる犠牲を無視して、僕らは前進した。
この時の僕は完璧だった。身体は軽く、心は晴れやかで、何も恐ろしくなかった。
目につく敵を片端から殺して、僕は進んだ。男も女も、少年も少女も。躊躇いはなかった。罪悪感もなかった。何故なら、僕には初めからそんなもの存在しなかったからだ。
人を殺すのはいけないことだ。人を殺さなければならないのは悲しいし、辛い。それでも仕事だから仕方がない。どんなにそんな言葉を弄んだところで、結局僕はなにも感じてなどいなかったのだ。僕はただ、聞きかじった知識と断片的な情報とをつなぎ合わせて、他人の模倣をしていただけに過ぎない。その実、僕と似たような仕事をしている他人がどういったことを感じ、考えているのかなどはさっぱり理解していなかった。
本当の僕は何もない。何もなかった。空っぽだった。
けれど、今はこの胸にぽっかりと空いた深淵を覗き込むことに何の恐れもない。
僕はこれから、このがらんどうを僕が持つ唯一のもので埋めてゆくのだから。
さあ。愚かなことをたくさんしよう。人類の英知を結集して作り上げられた魔法の道具を使って、長く厳しい訓練で鍛え上げた肉体と、磨き上げた技術を用いて。たくさん、たくさん人を殺そう。殺して、殺して、殺して。いつの日か誰も彼がも飽き果てるまで。いつの日か、僕のようなものが存在を許されない日が来るその時まで。この空虚な深淵を愚かさで埋め尽くしていこう。
だって僕にはそうするより他にないのだから。
そして僕には、そうある権利があるのだから。
遂に湧出地の心臓部である、精製炉の中へ突入した僕はその光景に思わず息を呑んだ。
無数の青白い光の粒が途切れることなく足元から湧き上がり、ゆっくりと渦を巻きながら上昇してゆく。まるで、星々が湧きだす泉にでも飛び込んだかのような幻想的な光景に、僕はしばし見惚れていた。
「ウィル!!」
ぼうっとしていたのは、時間にすればほんの数秒だっただろう。アダムスが唐突に発した警告の声に、僕は現実へと引き戻される。みれば、光の粒が舞い散るその中心に一人の男が立っていた。不味い、と思った時にはもう遅い。男を囲むように、空中に複数の魔法円が展開した。そこから一斉に呪いが撃ちだされる。炎弾でも風刃でも結晶弾でもない。ただの、途轍もなく眩い光線だった。肉眼で見てとれるほど、高濃度に凝縮された魔力の満ちている場所なのだ。小細工は必要ないのだろう。ただただ、高密度に圧縮された魔力を超高速で撃ちだす。たったそれだけで、僕らなど簡単に吹き飛ばされてしまう。
照射された幾筋もの光線を、僕は地面に転がって避けた。すぐ後ろをついてきていた隊員はよけきれず何本かの光線を浴びてしまう。顔と胸と腹にぽっかりと大きな穴が空いて、左の上腕が消えてなくなった。そのまま、隊員の肉体がずしゃりと地面に崩れ落ちる。
僕と同じくどうにか攻撃の第一波を躱せたらしいアダムスが呪杖で応戦を始めた。同時に、生き残っていた支援術技兵が僕らの前に魔法障壁を展開させる。敵の魔法円から再び、複数の光線がアダムスに向かって照射された。魔法障壁に阻まれて、爆発のような衝撃が生じる。それに耐えきれず床が砕けた。舞い上がった土煙に視界が奪われる。僕はそれに乗じて戦闘法衣の隠遁迷彩を起動させた。姿を消した僕は、速やかに男の背後へと回り込む。
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