第21話
働き始めてから、一年ほどが過ぎた。
ある休日、テレビを点けると議会の中継をやっていた。何気なく聞いていると、どうやら政府が新たに削減する予定の部隊について、旧政権側の議員から待ったがかかったという状況らしい。曰く、これ以上の人員削減は深刻な防衛力の低下を招く。切羽詰まった表情と声音でそう訴えているのは、元陸軍少将の議員だった。対して、答弁台に立った現政権の官僚は前政権が無秩序に膨張させた軍を適切な規模にまで縮小させているだけに過ぎないと、事も無さげに応じていた。
さらに、その官僚は旧政権派を嘲笑うように続ける。
あなたがたは事あるごとに国防、国防と声高に叫ぶが、いったいどこの国が我が国を攻撃してくるというのか。我が国が現政権に移行してからというもの、我が国はただの一度も他国に対して軍事力を行使したことはない。そんな我が国が、他国からの攻撃を受けるような謂れがいったいどこにあるというのか。
確かに、現政権に移ってからのこの二年間。アメティカはただの一度も外国に軍を派遣していない。内戦が続く国で、多くの罪なき人々が暴力と飢餓に苦しんでいる時も。ある友好国が野心的な隣国からの侵略を受けた時も。僕らの国の政府はただ手をこまねき、対話による解決を望むという何の役にも立たない声明を出すばかりだった。
けれど、全てのアメティカ人が世界中で起きている悲劇に無関心だったというわけでもない。ある時、僕は陸軍時代の同僚から連絡を受けた。挨拶や近況報告もそこそこに、彼はとある国名を口に出した。それは以前、僕らが派遣されたことのある国だった。つまりはアメティカの軍事介入によって民主化させられた国の一つというわけだ。その国には戦後も治安維持などの名目でアメティカ軍が駐留していたのだが、二年前の政権交代の際に撤退している。それから急速に勢いを盛り返した反体制派勢力との内乱がはじまり、今や国家存亡の危機にあるのだという。今もなお政府側に属する兵士たちの多くは、当時僕らとともに戦った戦友だ。彼らを助けにいかないか、という誘いだった。
元アメティカ軍の兵士達が世界中の紛争地で傭兵や義勇兵として戦っているという話はメディアなどでも取り上げられており、その多くが僕のような元特殊部隊員だということも知っていたため、その話を持ち掛けられたこと自体にはさほど驚きはしなかった。しかし、ランチの誘いとは違って、行くとなればいつ帰ってこられるかも分からない。もしかすれば、永遠に帰ってこられない可能性だってある。とても一人では決められないので、僕はルアハにそのことを相談した。彼女は僕が元同僚からホームパーティに誘われたわけではないと知るなり、目に見えて不機嫌になった。
どうしてあなたが他人の戦いを戦うの。もう兵士でもないのに。
彼女はそういった。敢えて問いただすまでもなく、ノーという意味だろう。なので、僕はそれに従った。
そうか。お前がいれば心強かったんだが。仕方ないな。お幸せに。
そういってクォーツフォンの通話を切った元同僚がその後どうなったのか。あれ以来、音沙汰がないので分からない。
物思いに耽っている間にも、官僚の話は続いていた。
我々は今まさに平和を輸出しているのだと、画面の中の男は誇らしげに胸を張る。
前政権が行ったような、軍事的介入による平和の強制ではなく。争わずとも人々は平和を維持し、奪わずとも豊かさを享受することができるのだということを。今現在の我が国の繁栄を世界中へ見せることによって。
そう締めくくって、官僚は答弁台を下りた。その背中に現政権側の議員たちからは拍手が贈られ、旧政権側の議員からは批判的な野次が飛んでいる。
しかし実際。現政権になってからというもの、アメティカは空前の好景気に沸いていた。
軍事費の大幅な削減により、これまで軍に割り当てられていた莫大な予算が他の分野へと振り分けられたことにより、アメティカ社会は大きく変わった。医療費や教育費の完全無償化から始まり、大胆な公共事業の実施による失業率の低下。手厚い救貧政策と社会復帰支援の拡充によって、街の通りからはそこで寝起きしていた人々の姿も消えた。
そもそも莫大な予算を確保する必要がなくなったことから税金も下がった。そして何よりも一般市民にとって大きかったのは魔力の使用料が大幅に値下がりしたことだろう。いまや日常のほとんどの場面を、魔導技術によって作られた道具に依存している現代アメティカ人にとって生活費の中で最大の支出を占めているのは言うまでもなく、魔力の使用料だからだ。その料金が何故下がったかといえば、これまでアメティカ国内における魔力の最大消費者だった軍の活動が縮小したことで、余剰となった分が民間に流れ込んだからだという。
かくして、かつは世界一の軍事大国だったアメティカは今や、世界一の福祉国家へと生まれ変わった。
一市民としての僕はこの変化を歓迎する一方で、同時にそれは全て、これまで軍がどれほどの社会的リソースを食いつぶしてきたのかという証明に他ならず。元軍人としてはなんとも複雑な気分でもあった。
画面の向こうでは官僚と入れ替わりに、先ほどの元陸軍少将が答弁台に立ち、弛んだ頬を震わせながら国家の安全保障と軍事力の関係について力説している。それをぼんやり眺めていると、キッチンからルアハの声が掛かった。食事の支度が出来たから、食器を用意してという彼女に僕はテレビを消してソファから立ち上がる。
政治の話には興味がない。部隊の削減やら防衛力の低下云々についても、皆が決めたことなのだから僕に文句はなかった。ただ、現場は大変だろうなと少しだけ同情するだけだ。
それからさらに一年ほどが過ぎただろうか。
僕は交通整備員として勤めているスーパーで、仕事終わりにルアハから頼まれた買い物をしていた。預かったメモに書かれている品を買い物かごに放り込みながら、青果売り場の前を通りかかった時。ふと目にした値札を見て、フルーツの値段が随分と上がっていることに気付いた。
それに随分と昔の記憶を刺激されて、先生は元気だろうかと考える。もしも軍を辞めてからすぐに子供を産んでいたとしたら、そろそろ小学生くらいになるのだろうか。ちょうど、それくらいの子供を連れた母親と思しき買い物客がいたので、それとなく様子を観察しながら先生の現在を想像してみた。どうやら、まだまだ子育ての真っ最中のようだ。
買い物を終えてからの帰り道。通りを行く人々の顔を見て、この辺りにも随分と移民が増えたなと思った。
現在、アメティカには世界中から移住を求める人々が殺到しているという。その多くは、僕が現役の頃にたびたび派遣されていた国や地域からだ。今もなお紛争が絶えず、危険で貧しい祖国よりも安心と安全の保障されているアメティカの方が魅力的なのだろうと、少し前に見たワイドショーに出ていたコメンテーターは自慢げに胸を張っていた。
現政権もまた、この流れを歓迎しているらしい。特に以前、僕らが大暴れしていた地域からの移民に対して、旧政権の蛮行により被害を受けた方々への贖罪などと称してあの手この手で支援しているという。彼らはアメティカ国民同様に医療や教育を無償で受けることができる上に、納税の義務を免除されていた。移住してからの住居や、仕事まで国が斡旋してくれるらしい。そのことで一部の国民からは不平等ではないかという批判もあるそうだが。それに、移住者のコミュニティがアメティカの各地で拡大していることについて、治安の悪化を懸念する声も多いとか。
別に移民が増えたからといって治安が悪くなるわけではないだろうに、と。とりとめもないことを考えながら歩いていると。
ふいに、頭上から青白い光が降り注いだ。
何を思うでもなく見下ろした足元に、直径三メートルほどの魔法円が浮かび上がる。
ああ、これは遠隔投影式の攻撃術式だなと、脳みそが暢気に考えている間にも、肉体は素早く反応した。買い物袋を投げ出して、とにかくその場から飛び退く。直後に爆発が生じた。間一髪、術が発動する前にどうにか範囲外へと抜け出すことに成功した僕だが、爆発による衝撃を受けて突き飛ばされるように地面に転がった。受け身を取りつつ、転んだ勢いを利用してすぐに立ち上がる。
そこかしこで同じような爆発が起きていた。悲鳴と絶叫をあげながら、人々がてんでばらばらな方向に向かって逃げ惑っている。何が起こっているのかを理解するよりも先に、視界の先に見える高層ビルが黒煙を吐き出しながら倒壊するのが見えた。
なんてこった。
これじゃまるっきり、戦場じゃないか。
そう思った時。背後で女性の悲鳴が聞こえた。振り返ると、ちょうど若い女性が頭から血を吹き出して倒れるところだった。そのすぐ近くには、自動詠唱式の短呪杖を手にした男が立っている。男が僕を見た。砂漠の民風の出で立ちをした、中年の男だった。男は血走った目で僕を睨みつけながら、手にしている短杖の先をこちらへ向けた。それに僕はわざと大きな動作で後退ってみせる。僕が怯えていると思ったのだろう。男は口元に残忍な笑みを浮かべると、杖を手にしている方の手をこちらへ突き出したまま一歩近づいてきた。それに合わせて、僕は一歩下がる。男がもう一歩前に出た。僕は二歩後ろに下がった。男が杖から呪いの光弾を一発放った。当たらないと分かったが、一応、僕はびっくりしたように首を竦めてみせる。粉砕か、切断か。なんにせよ単純な呪いの込められた魔力の光弾が僕から二メートルほど離れた場所の地面を抉った。怯えたふりを続ける僕に、男が一気に距離を詰める。
頃合いだな。
そう判断した僕は、一気に前へ出た。怯えて逃げようとしていたはずの相手が、まさか突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。男が驚いたように目を見開いた。その隙に僕は男へ一気に肉薄すると、まず喉に一発叩きこんだ。わざわざ杖を使っているということは、この男は魔法使いではないのだろう。それでも、癖で喉を狙ってしまった。
気管と声帯を圧迫された男が苦しそうに喘ぎながらも、杖を構えようとする。僕はその手から杖を奪うと、顔面を一発殴りつけ、足を払って転倒させた。そのまま、男が立ちあがる前に奪った呪杖で頭を撃つ。粉砕の術式だったらしい。男の後頭部が勢いよく弾けて、血と脳漿が辺りに飛びちった。
「あ」
しまった、と思った。襲い掛かってきたから、思わず殺してしまった。過剰防衛にならないだろうか、と返り血で染まった服を見る。ルアハにもしもこの事が知られたら。
どうやって誤魔化そうかと、頭をガシガシ掻きむしりながら僕は顔をあげた。
すると、そこには。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます