第三部 アメティカ騒乱

第22話

 それは不思議な光景だった。

 見慣れた僕らの国の、僕らの街で。たくさんの人々が悲鳴を上げながら慌てふためいて逃げ惑い、それを異国の人々が武器を手に追い立てている。転倒したアメティカ人の男性を、数人がかりで取り囲んで蹴り回している男たちがいた。彼らの人種は様々だが、いずれも移民のようだ。男性が這って逃げようとした。しかし、男たちに足を掴んで引きずり戻されてしまう。少し離れたところでは、髪の毛を掴まれた女性が路地裏の暗がりに引きずり込まれていった。

 それはまるで。悲惨な暴力の泥沼から一足先に抜け出そうとした僕らを、そうはさせまいと引きずり戻しているかのような。そんな光景だった。


 茫然とそれらを眺めていた僕は、どこからか飛んできた呪いの閃光がすぐ近くで弾ける音で我に返った。ひとまず手近な物陰に身を隠して、周囲の状況を窺いつつ呼吸を落ち着かせる。この騒ぎが一体何なのかは分からないが、今やここは無法地帯なのだということだけは分かった。ならば、どうするか。少し考えてから、とりあえず家に帰ろうと思った。

 とはいえ、どう帰ったものか。出勤にはいつもバスを使っているが、アメティカの公共交通機関はただでさえ時間通りに運行しない。この騒ぎでは遅延どころじゃないだろう。

 となると、やはり。徒歩で帰るしかない。面倒だが、仕方がないと自分に言い聞かせて、僕は行動を開始した。先ほど殺した男から奪った短杖は家に帰りつけるまで借りておくことにする。といっても、返す相手はもういないのだが。

 姿勢を低く保ったまま、物陰から物陰へと移動する。そういえば、先ほど放り出してしまった買い物袋は何処へ行っただろうか。辺りを見回してみるが、それらしきものは見当たらない。爆発で吹き飛んでしまったのだろうか。溜息が漏れた。買い物一つまともにできないのかと、ルアハに呆れられてしまったらどうしよう。


 中心街から家のある郊外へと向かう道中、そこかしこで暴れまわる暴徒たちに市民が暴行されている現場に出くわした。中には一列に並べた市民たちを端から順番に撃ち殺している、虐殺紛いのことをしているような連中までいた。

 僕は努めて、それらを無視した。もちろん、罪もない市民たちが暴行され、殺されてゆくのを見て見ぬふりをするのは心苦しい。助けられるのであれば、助けたい。

 けれど、義憤に駆られて飛び出したところで、古ぼけた時代遅れの術式を搭載した短杖一つしか持っていない自分に何ができる。何人かの暴徒は殺せるだろう。命を顧みずに戦えば、死ぬまでに少なくない人数を道ずれにできる自信もある。

 けれど、それだけだ。数人の暴徒は殺せても、数十人の市民が殺されるのを防ぐことは、僕にはできない。襲い掛かってくるのならもちろん戦うが、今は自衛だけで精一杯だ。

 そうやって自分を騙しながら家路を急ぐ。家に帰れば安全だなどとは考えていない。けれど、寝室のクローゼットの奥にはルアハにも内緒で隠し持っている呪杖がある。軍で長年使い慣れたのと同じモデルの杖だ。民間モデルなので威力は低いし、セミオート機能しかないが、それでも今持っている骨董品のような杖よりは役に立つだろう。


 ようやく郊外へと続く通りに出た所で、少々厄介な現場に出くわしてしまった。

 道を挟んで、三人の警官と暴徒の集団が撃ち合っていた。年代物の呪杖で武装した十人ほどの暴徒相手に、警官たちは半壊したパトカーを盾に応戦しているのだが。警官の一人が滅茶苦茶苦に撃ちまくっていてとてもじゃないが通り抜けられそうになかった。なにやら、酷く怒っているようだ。建物や看板の影に身を隠しつつ、隙を見て反撃してくる暴徒たちに向かって「出てきやがれ」、「この卑怯者ども」などと怒鳴り散らしている。

 どれだけ怒鳴ったところで素直に出てくるヤツなんていないだろうにと、僕はそのトリガーハッピーな警官を呆れた目で見た。何に怒り狂っているのかは、まあ想像できる。だが、あれでは魔力を無駄にしているだけだ。二人の同僚ともまるで連携が取れていない。あれでは同僚たちもいい迷惑だろう。

 と、その時。隙を見て反撃に移った暴徒の一人が放った呪弾が、その警官のこめかみを掠めた。間一髪、直撃は免れたらしいが、被っていた制帽が勢いよく吹き飛んだ。

 露わになったその顔に、僕は驚いた。アダムスだった。

 軍を辞めて以来、一度も顔を合わせたことはないが、長年の相棒だった彼の横幅のある厳つい顔面を見間違えるはずがない。まさかこんな形で再会することになろうとは。奇妙な巡り合わせに驚きを覚えつつ、僕は身を低くして通りを渡り警官たちへ近づいた。アダムス以外の二人がすぐに気付いて、警告とともに杖を構える。僕は両手をあげて敵意がないことを示した。話がややこしくなるのを防ぐために短杖も捨ててあるから、ただの市民にしか見えないはずだ。あからさまにほっとした様子で二人が杖を下ろす。僕はその横をすり抜けて、アダムスに近づいた。


「アダムス、おい、アダムス!」

 何度か呼びかけるも、まるで聞こえていないようだ。肩を掴んでパトカーの影に引き込もうとするも、乱暴に手を払われてしまう。仕方ない。そう思った僕は大きく息を吸いこんだ。

「アダムス・グレイ上級曹長!!」

 指揮官の声で怒鳴った僕に、ようやくアダムスが振り返った。

「……ウィル?」

 ぽかんとした表情で僕を見る。

「アダムス、落ち着け」

 僕はそう声をかけた。しかし、アダムスの顔面は再び憤怒に染まる。

「落ち着け? 落ち着けだと? これが落ち着いていられるかってんだ!!」

 久しく、こんなにも剥き出しの感情に晒されることがなかったからか。僕はアダムスの発する怒りの奔流に打たれて思わず身震いをした。

「アイツらが何をしやがったか、分かってんのか!?」

 怒鳴り散らしながら、アダムスが腕を伸ばした。示された先にはたくさんの市民の死体が転がっている。

「ああ、分かってるよ。僕も同じものを見た」

 僕は辛抱強くアダムスに語り掛けた。

「怒るなといってるんじゃない。奴らを殺したいなら、効率よくやれといってるんだ」

 僕はクソったれな指揮官の仮面をかぶり、意識して低い声を出す。

「好き放題暴れるだけ暴れて撃ち殺されたいんならそうしてもいいが。彼らの仇を討つんだろ?」

 言いながら、僕は市民たちの遺体に目をやった。アダムスが悔しそうに呻いて、口を真一文字に引き結ぶ。その時、通りの向こうから暴徒たちが一斉に撃ってきた。一発の呪弾がパトカーのフロントガラスを突き破って、僕らに破片の雨を浴びさせる。ちょうど良い気分転換になった。

「なにか武器はあるか?」

「トランクに一本、杖がある。結晶散弾だ」

 空の両手を見せた僕に、アダムスが答える。どうしてそれを使わなかったのかと訊くと、思いつかなかったとのことだった。敵の攻撃が止んだところで、アダムスの援護を受けつつトランクをこじ開けて杖を取り出す。それを見たアダムスの同僚の一人が咎めるような声を出すが、今は取りあっている暇がない。操作法を簡単に確かめた僕は、よし、と呟いた。

「敵を誘い出す。援護しろ」

「了解、大尉殿」

 数年ぶりの相棒からの応答は、会っていない期間をまるで感じさせないものだった。

 そこからは簡単だった。散発的な呪撃を行いつつ、わざと空白の時間を作って敵を誘い出し、姿を晒した目標から順番に撃ち殺していくだけの単純作業だ。


 仲間が半分ほど殺されたところで、暴徒たちは引き揚げていった。逃げる連中をアダムスが追いかけようとしたので、僕は慌てて止めた。奴らの仲間が何人いるのかも分からない状況で、下手に深追いなんてしたら返り討ちに遭う危険の方が大きいからだ。

 どうにかアダムスを落ち着かせたところで、僕は何が起きているのかを尋ねた。しかし、アダムスたちもこの事態が何なのか、ほとんど理解できていないようだった。

 アダムスたちはパトロールの最中に、僕と同じく遠隔投影式の攻撃術式による攻撃を受けたらしい。どうにか直撃は免れたものの、パトカーは半壊して走行不能に。そこへ、先ほどの暴徒たちが現れて市民を襲いだした。その後の展開は僕の知っている通りだ。

「なんにせよ。さっきは助かった」

 話している内に冷静を取り戻したのか、アダムスが礼をいってきた。こちらこそ、また会えてよかったと返しておく。

「警官になったんだな」

 僕は改めて制服姿のアダムスを眺める。

「ああ。まあな」

 アダムスはぶっきらぼうに応じた。そういう態度は昔のまんまだ。

「つっても、働き始めたのは最近だけどな。今の部署に配属されてから一週間ってところ」

 言いつつ、「お前は?」と聞き返される。この近くのスーパーで交通整備員をしていると教えると、アダムスは妙なものでも見るような顔で僕を見つめた。

「駄目です。署に連絡しても応答がありません。交信設備がやられたのか。それとも本部もそれどころじゃないのかは分かりませんが」

 半壊したパトカーに頭を突っ込んで交信具を弄っていた若い警官が、車から這い出してきて不安そうな声で報告した。

「どうしましょうか」

「まずは署に戻るべきだろう」

 泣きそうな声の若い警官に、一番年配の警官が答える。

「しかし、これじゃ署まで辿り着けるかどうか……」

「ウィル。お前さんはどうするつもりだったんだ?」

 これからの行動について話し合っている警官たちをぼんやり眺めていると、ふいにアダムスから声をかけられた。家に帰るつもりだったと答えると、アダムスは少し考え込む素振りを見せる。

「家は何処だ?」

 再びの質問。僕は自宅の住所を教えた。それを聞いたアダムスは、僕を家まで送っていこうと言い出した。

「市民を警護するのは警官の使命でしょう」

 突然の提案に驚いている同僚二人に、彼は警官たるの職業倫理を説く。

「それに、郊外のあの辺りは元々軍が持っている物件が多い。だから住んでいるのも俺や彼みたいな元軍人ばかりだ。こんな状況では、下手すれば軍の基地と同じくらい安全かもしれません」

 そう説明するアダムスに、そうだったのかと僕は一人で驚いていた。近所付き合いなんてまるでしてこなかったので知らなかった。

「それでいいか、ウィル?」

「え? あ、ああ」

 そりゃ、そうしてくれるのならありがたいが。と思って頷いた僕に、アダムスがずいと顔を近づけてきた。

「だから、お前さんの家に行くついでに俺の家にも寄っていいか? アリーナとミシェルが無事か確かめたいんだ」

 小声で尋ねる彼に、僕はもちろん構わないよと頷いた。どうやら、それが本当の目的らしい。と、そこで僕は首を捻る。それはつまり、アダムスの家も同じ方向にあるということか。訊くと、アダムスが今住んでいるのは僕の家から三ブロックしか離れていない場所だった。そんな近くに住んでいたのかと驚く僕に、世間は狭いなとアダムスは笑った。

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