第20話

 一緒に暮らし始めて間もなく、医術学校を卒業したルアハは治癒術士として首都にある大きな病院で働き始めた。一方の僕は、これといった仕事に就くわけでもなく。朝にルアハを見送り、あとは家で小説を読み耽りながらその帰りを待つという、ダラダラとした日々を送っていた。

 そんな生活が一年も続いた頃のことだ。

「そろそろ、仕事でも探してみたら?」

 ある日、帰宅したルアハからそう切り出されて、ソファの上で寝転がったまま本を読んでいた僕は言葉に詰まった。日がな一日、そうやって過ごしている僕を見て、なにか思うところがあったのだろう。確かに、自堕落な生活をしているという自覚はあるので返す言葉もなかった。しかし。

「仕事、かあ」

 僕はあからさまに気乗りしない態度で応じた。というよりも、骨の髄まで兵隊に染まりきってしまった自分が今さら、他の仕事に就けるとはとても思えなかったのだ。何をすればいいのか、皆目見当もつかない。そんな僕にルアハは続けた。

「そう。いえ、なにも仕事じゃなくてもいいの。お金には困っていないし、これまでずっと大変な仕事をしてきたのだもの。でも、ずっと家に籠りっぱなしなのは良くないわ。もっと外に出なくちゃ。たとえば、趣味を見つけるとか。なにかやってみたいこととかないの?」

 もちろん、ルアハにはそんなつもりないのだろうが。僕はまるで尋問を受けているような気分だった。そもそも僕にはやりたいことはおろか、こうなりたいと思う目標や願望もない。だから、周囲に流されるがまま軍に入隊し、それきり惰性で軍隊生活を続けてきたのだ。特殊部隊員になったのだって、当時の上官から選抜テストを受けてみるように勧められたからで、自分から成りたいと望んだわけじゃなかった。

 だから、いきなり趣味を見つけろなんていわれても途方に暮れてしまう。

「たとえば、どんなことをすればいいのかな?」

「それは私が決めることじゃないわ。ウィルが自分で見つけなくちゃ」

 諭すような彼女の声に、僕はますます困り果てた。趣味。趣味とは何だろうか。それは生きるために必要なのか。そんなこと、誰も教えてくれなかった。

「君が決めてくれれば、そうするよ」

 そう縋るようにいった僕へ、ルアハは少し怒ったような表情を作る。

「私が決めたら意味がないじゃない」

 叱るような、どこか心配するようなその声音に、僕は天井を仰ぎ見る。しばらくそうやって、考えるふりをした。どうせ、どれだけ考えたところで何も思いつきやしないのだ。それでもこうやって困っている姿をみせれば、基本的に世話好きなルアハは必ず助け舟を出してくれる。そう、この一年で学んでいた。

「たとえばだけど……」

 案の定、何を考えるわけでもなく天井にある小さな染みの数を数えていると、ルアハが見るに見かねたように口を開いた。

「ウィルは身体を鍛えるのが好きみたいだから、今度、首都で開かれるマラソン大会に参加してみるとか」

「分かった」

 僕はその助け舟にすぐ飛び乗った。別に身体を鍛えるのが好きなわけじゃないが、確かに僕は軍を辞めてからも日々のトレーニングを欠かしたことはない。それは単に、訓練兵時代からの習慣というだけなのだが。マラソン大会に出るなら持久力トレーニングを増やした方がいいだろうな、とそんなことを考えていると。

「もう。また私の言った通りにしようとしてる」

 ルアハが呆れたように小さく息を吐いた。

「ウィルっていっつもそう。何かする時も、何処かへ行く時も。なんでもかんでも私に決めさせるんだから。もっと自分の意見を出してよ」

「うん。ごめん」

「謝って欲しいわけじゃないし、怒ってるわけでもないの」

 ルアハは焦れったそうに唇を尖らせる。

「ただ、あなたはもう軍人じゃないのだから、誰かのいうことに従う義務なんてないのよ」

「うん。そうだね」

 彼女の言葉に、僕はただ頷く。

 ルアハが何を問題としているのかは僕にも分かっている。僕がしているのは、自己決定権の放棄だ。自分では何も考えず、決断もしない。迷いや葛藤は他人に押し付けて、自分はただ誰かの決定に従うだけ。かつては軍に、そして今はルアハに。僕は選択を丸投げにしている。自分でも狡い生き方だと思う。兵士ならばそれで良かった。けれど、今の僕はもう兵士ではない。彼女はそう言いたいのだろう。

 しかし、それならば一体、僕はなんなのだろうか。ふとそんな疑問が思い浮かんだ。そこへ畳みかけるように、ルアハが僕へ問いかける。

「ウィルには人生の目的とか、そういうものがないの?」

 彼女の質問はまるで、異国の言葉のように僕の耳に響いた。

「人生の、目的?」

 その意味をかみ砕くように、ゆっくりと僕は繰り返した。そんなこと考えたこともなかった。いや。そもそも人生に目的というものが存在するなどと想像したことさえない。

 強いて言えば、生きること、生き残ることが僕にとっての目的だった。そのために肉体を鍛え、訓練を重ね、技術を磨き、思考を培ってきた。それでも。もしもこの国に政変など起こらず、先進魔導戦開発グループでの任務に従事し続けていれば。僕はいずれ、何処かの戦場、何時かの任務で命を落としていただろう。そして、青い魔法火に焼かれて骨も残さず燃え尽きる。きっとそうなるのだろうと、漠然と思って生きてきた。それが目的だったかと問われれば首を振らざるを得ないけれど。

 しかし、その未来はなくなってしまった。僕はもう二度と軍務に就くことはできない。それが軍を辞める際に、政府と交わした誓約だった。

 だから、今はただ流れてゆく日々をやり過ごしながら、たまに出る好きな小説の新刊を心待ちにする。それくらいしか思いつかなかった。


 その後もルアハは色々とアドバイスをしてくれたのだが、結局僕には趣味を見つけるなんてことできるはずもなく。すっかり暗礁に乗り上げてしまった趣味探しはひとまず切り上げて、僕は仕事を探すことにした。

 頼るのは、家を借りた時と同じ軍の福利厚生施設だ。再就職をサポートしてくれる窓口に出向き、担当者に氏名と軍籍番号を告げる。すると、僕の軍歴を確認した担当者の女性は目を丸くして、たくさんの求人情報を紹介してくれた。とてもその場で全てに目を通すのは不可能な数だったので、その中から僕にでも出来そうな簡単な仕事だけをピックアップしてもらい、資料を家に持ち帰ることにした。

 それでも相当な数になり、僕が持ち帰った資料の山を見て、仕事から帰ってきたルアハもびっくりしていた。手早く夕食を済ませた僕らは、さっそく二人して山を切り崩しにかかる。ルアハがまず取り上げたのはとある警備会社の求人だった。といっても、警備員として雇ってもらえるわけではなく、特別訓練アドバイザーとかいう肩書で年に数回、社員の訓練を見て三言二言アドバイスするだけの仕事らしかった。たったそれだけのことで、びっくりするくらいの報酬がもらえる。

 確かに報酬は魅力的ではあるけれど、常勤というわけではなく、それでは今の生活と大して変わらない。そう思って僕が首を振ると、ルアハはそれじゃあと次を探す。僕も一緒になって資料を漁るが、出てくるのはどれも訓練アドバイザーだとか、インストラクターだとか、同じような内容のものばかりだった。どうやら、簡単な仕事という僕の出した条件を、担当者が勘違いしたらしい。僕としてはこんな大仰な肩書のあるものではなく、もっと施設の警備員だとか、清掃係だとか、そういった誰にでも出来そうな仕事を紹介してもらいたかったのだが。

「もうさ。いっそのこと、警察官とかはどう?」

 何個目かの候補に僕が首を振ったところで、ルアハが投げやりな声でそういった。

「公務員だし。それに警察官って元軍人さんが多いじゃない」

 確かに、軍を辞めてから警官になる人は多い。というのも、アメティカの警察は軍隊経験者を優先的に採用するからだ。軍隊ほどではなくても、警官も危険な仕事ということに変わりはない。時には武装した犯罪者の相手をしなければならない時だってある。元軍人であれば、そうした危険に対処するための技術と心構えを持っているから、というのが優遇されている理由だ。

 しかし。警察はあくまでも犯罪者を逮捕するのが目的の組織だ。僕が軍で磨いてきたのは敵魔法使いを素早く効率的に殺すための技術であって、そんなものが警察で役に立つだろうか。

 と、煮え切らない態度の僕の前で、ルアハが大きなあくびをした。一日中働いてから、僕の仕事探しに付き合っていたのだ。疲れているのだろう。そう思って、この日の職探しは一旦、切り上げた。

 後日。僕は再び軍の施設を訪れ、今度はちゃんと自分の要望を伝えた。提案された幾つかの求人の中から、僕は家からほど近い大型スーパーマーケットの駐車場で交通整理をする仕事を選んだ。この手の業務は陸軍時代に経験しているというのが、その決め手だ。そんな僕を、担当の女性はずっと不可解そうな顔で見ていた。

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