幕間 微睡みの日々
第19話
万雷の拍手が鳴り響く中、一人の人物がステージに上がった。
それはふくよかな体型をした、白髪の男性だった。彼はふっくらとした面立ちに満面の笑みを湛えて、自らへ喝采を贈る人々に大きく手を挙げて応えながら、ありがとう、ありがとうと繰り返す。やがて、彼は挙げていた手をゆっくりと下ろした。すると、その高さに合わせるように拍手と歓声が消えていった。
静かになった聴衆の前で、彼は右の人差し指を喉へ押し当てた。指先に淡い光が灯り、喉へ吸い込まれるようにして消える。再び彼が口を開くと、そこからは本来の何倍にも拡声された感謝の言葉が飛び出した。
これまで支えてくれた家族と友人。ともに選挙を戦い抜いた戦友たち。そして自分を選んでくれた国民へ、ありとあらゆる言葉を尽くして彼は感謝を伝える。
そして、新たなアメティカ大統領は云った。
「今夜、アメティカは変わった」
聴衆の反応を窺うように、彼はそこで一度言葉を切った。ゆっくりと、大きな動きで会場に集まった人々を見渡す。そして大きく息を吸うと、彼は続けた。
「長きに渡って続いた、暗く悲惨な日々は今夜、終わりを告げる。新しい朝が来る。それはアメティカの若者が外国の戦場へと送られることのない朝だ。皆さんの父や母、息子や娘たちが家に帰ってくる朝だ。無意味で、残酷な戦争の日々は終わった。私と、あなた方の勝利で!!」
力強く発せられた勝利宣言に、この日一番の拍手と喝采が会場を揺らした。
この新大統領による勝利宣言から一か月後。
新政権を発足させた新大統領は速やか、かつ徹底的に公約を実現させた。即ち、アメティカ軍が世界中で行っていた軍事行動の一切を停止させ、国外に駐留、展開している全部隊の撤退を命じたのだ。
紛争を調停するために派遣されていた部隊も、アメティカによって独裁政権が打倒された国で治安維持にあたっていた部隊も、予期せぬ事態に対応するため同盟国に駐留していた部隊も、テロリストの掃討を行っていた部隊も。その全てが本国へと呼び戻された。
その結果、アメティカ軍の撤退と同時に反体制派が首都を制圧し、一夜で政権が崩壊してしまった国があった。これまではアメティカ軍の軍事力によって抑えつけられていた諸派が一斉に蜂起して、血みどろの内戦が始まってしまった国があった。アメティカ軍が抜けることによって生まれる軍事的空白から地域の安定が損なわれることを危惧し、引き続きアメティカ軍の駐留を求める国もあった。
しかし、公約の実現を優先する新大統領は、全部隊の引き揚げという決定を断固として強行した。
そして、僕も軍を辞めることになった。
別にそうするつもりはなかったのだが、やむを得ぬ事情からそうなってしまったのだ。
世界中に展開していた部隊の撤退に伴って行われた大幅な軍事費の削減により、アメティカの各軍は規模と活動を縮小させざるを得なくなったからだ。復員してきた多くの部隊が解散となる中、当然、僕ら特殊部隊にも軍縮の波が押し寄せた。
そもそも、特殊部隊というのはただでさえ金食い虫なのだ。最新鋭の高価な装備が優先的に供給されるし、隊員の練度を維持するための訓練費だって馬鹿にならない。たった数名の精鋭のためだけに、一般部隊では考えられないような大金がつぎ込まれているのだ。真っ先に仕分けのメスが入るのも、ある意味で当然だった。
それでも陸海空と海兵隊がもつ特殊部隊は対テロ専門部隊として小規模な部隊の存続が許された。そんな中で、僕ら先進魔導戦開発グループだけが完全解散と相成った。僕らの表向きの仕事である軍事魔導技術の研究開発は、すでに相応の期間が国防省の隷下に存在しているからというのがその理由だ。もちろん、本当の理由は他にもある。ベックウェル大佐の耳うちを信じるのであれば、要するに新大統領は僕らのこれまでの活動がお気に召さなかったということらしい。
先代の大統領から国家機密の引継ぎを受けた新大統領は、その中にあった僕ら先進魔導戦開発グループのこれまでの活動内容を知って絶句したそうだ。アメティカ軍の正規将兵が暗殺作戦に従事していたという事実に大統領は激怒し、ただちに部隊を解散させて、この事実を永久に闇の底へ葬るように指示したのだという。
そんなわけで、僕はもちろん、アダムスもベックウェル大佐も退役させられた。しかも、やめる際にはわざわざ、先進魔導戦開発グループの存在や活動について一切他言しないという誓約書まで書かされた。そもそも僕らには機密保持のための強力な暗示がかけられているので第三者に部隊のことを話すことなどできないのだから、そんなに心配しなくてもいいのにとは思ったのだが。まあ。誓約書にサインさえすれば名誉除隊扱いにしてくれると言われれば、僕らに断る理由はなかった。
軍を辞めた僕はほどなくして、ルアハと一緒に暮らし始めた。
そうしようと言い出したのは彼女だ。軍を辞めた後で、僕が一人で暮らしてゆけるか心配になったらしい。そして、そんな彼女の懸念を笑って流せるほど僕も自身の生活能力に自信があるわけでもなかった。
彼女の提案に従って、僕はそれまで住んでいたアパートを引き払い、退役軍人のその後をサポートしてくれる軍の福利厚生施設から紹介された一軒家を借りた。オーシャンビューの一等地とはいかずとも、首都の中心からそれなりに近く、小さな庭もついている。何より、家賃が安かった。
とはいえ、別にお金に困っているというわけでもないのだが。幸いにして軍事費の大幅な削減を推し進める新政権も、かつて国のために戦った兵士達への年金や給付金を削るようなことはしなかった。それに僕は現役の頃に年金が増額される勲章を幾つか貰っていたし、名誉除隊扱いにしてもらったおかげで給付金にも色がついているから、よほどの贅沢さえしなければ、一生不自由なく暮らしてゆけるだけの金額が毎月口座に振り込まれてくる。ある時、その明細を見たルアハが「貴方ってもしかして、凄く偉い人だったの?」と目を丸くしていた。本当のことを言うわけにも行かず、軍隊の内情などまるで知らないルアハに詳しく説明するのも面倒なので、僕は「任務中に何度か負傷したから、年金が増額されてるんだ」などと適当なことを言ってはぐらかしておいた。それを聞いたルアハは「大変だったのね」と呟いて、なにか悲しいものを見るような目で僕を見た。この頃、そうした目を向けられることが多い。たぶん、彼女はまったく的外れな想像をしているのだろうと思って、僕は溜息を吐いた。
事あるごとに前政権や軍が行った他国への軍事介入を悪し様に非難している新政権だが、そのせいで僕らのような元軍人に対する世間からの風当たりが強くなるようなことはなかった。むしろ、僕らは被害者として扱われた。私腹を肥やそうとする前政権の一部権力者たちによって騙され、無意味な戦争へと駆り出され、必要のない傷を負った哀れな被害者として。だから、退役軍人に対する支援は今もなお手厚いことを考えれば、まあありがたい事だとは思うが。ルアハもまた、戦争に行った僕のことを被害者だと信じているらしい。
元兵士たちの中にはこうした扱いに戸惑っている者も多い。特に、傷痍軍人たちがそうだった。何故なら、彼らはアメティカの理想を本気で信じて戦ったからだ。自由で平等な世界を作るため。そのために彼らは命を懸けて戦った。にも関わらず、その大義そのものが否定されてしまったら。あの戦いに意味がなかったとなれば、自分たちはいったい何のために傷つき、血を流し、手足を失ったのか。戦友たちの死はいったい何だったのか。と、途方に暮れてしまうのも無理はない。そういう意味では、彼らは確かに被害者に違いなかった。後の世になれば、時代に翻弄された哀れな兵士たちとでも語られるのだろうか。
では、僕はどうかといえば。僕もまた、自分が被害者であるとは思えなかった。
いや、むしろ。もしも加害者がいるのだとしたら。きっと、僕は共犯者だ。
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