6-2
六時になったのでぼくら中学生組は帰らなければならない。みんな別に門限があるわけではないが遅い時間に帰宅するのは避けなければならない。
「じゃあね」
と、ぼくはみんなと別れ河川敷へと戻っていく。ぼくの家は河川敷を渡って行った先で、他の子たちと唯一方向が違うのだ。
が、道の途中で麗子さんが声をかけた。
「あ、トキオくん。一緒に行きましょう」
「?」
ぼくに用があるのか、さっきの噂話を聞かれたのか、と思ったが麗子さんは、
「図書館に本を返さなきゃならなくてね」
と言ってカバンの中から一冊の本を取り出した。
なるほど、自分が主役の発想はやめよう。
「さっきの噂話も聞こえちゃったし」
不安が的中することもあるものである。
「すみません」
「いいのよ別に。隠してるわけじゃないから」
それならよかった。
「好き……なんですか」
「うーん……」
「?」
河川敷に入る。川のせせらぎを聞きながら麗子さんの言葉を待った。
「ずっと兄妹みたいに育ったし、陰陽連合の仲間として同胞としての絆も強いしで、自分の感情に真剣に向き合ってこなかったのよね。わかるかしら」
「そのまま受け止めます」
「いい子ねトキオくん」
と、麗子さんはにっこり微笑んだ。
「まあ、シンプルに好きなんだけど、ただドキドキするとかじゃないのよね。それはもう昔からなんだけど。なんとなーく、あー私、結婚するなら翔悟とするんだろうなーと漠然と思ってた感じで」
麗子さんはレッドさんを唯一本名で呼ぶ女性だったな、と、なんとなく思った。
「ふむ」
「ただ私がねぇ……」
そこでやや渋い表情をしたので、大人の恋は何かと複雑なのだろうとぼくは思ったのだが、ところが麗子さんは意外なことを口にした。
「いつまで経っても霊力が衰えないし……」
はて。
「霊力?」
「うん。翔悟もだけど。普通は子ども時代がピークなんだけど、個人差があるもので私たちは未だに。まあそれでも弱体化自体はしてるから右肩下がりにはなってるんだけど、でもとても一般人レベルとは言えない」
「それが麗子さんの恋愛と何か関係があるんですか?」
「子どもができたとして、その子を霊能力者にしたくないのよ」
むむ。事態はぼくが思っていたより厄介なようだった。
「それはなぜ……とは思いませんが」
「そうよね、トキオくんならわかるね」
「ぼくも、こんな力、なきゃないでない方がいいとは思いますし」
小さい頃から他人に共感されない世界を見てきた。鬼哭アルカロイド。今年の春まで、別にそいつらから何かの攻撃を受けたわけでもなければ、何らかの被害を受けてきたわけでもない。ただ、誰に話しても「あなた大丈夫?」という顔をされるためついに話さなくなった。誰にも話を聞いてもらえないという割と孤独な子ども時代だったのだ。別に今も子どもだが。
それが陰陽連に入って理解し合える仲間ができた。それ自体はとてもよかったと思う。でもやっぱり、こんな力はないならないでない方がいいに決まっているのだ。不思議な力を持った人間が特に何の力もない普通の人間たちの社会で生活していくのは何かと不便なこともあるのだから。
「となると子どもにも同じ道を歩ませたくないでしょ」
ふう、と、ため息をついて、麗子さんは説明を始めた。
「私の両親も能力者じゃないから、こういう力っていうのが突然変異の可能性もあるんだけど、なんと言っても両親共にってなると遺伝の確率が高くなると思うの」
「なんとなくわかります」
「大変なことだからね。普通の人には見えないものが見えるっていうのは」
「はい」
「だからまあ、霊力が完全に収束していったら、動いてみようかなとも思うんだけど、さていつになるやら」
ここで気になることがある。
「レッドさんの意思はどういう感じなんですか」
麗子さんは即答した。
「私を尊重してくれているわ」
「でもそれって、男の時計が女の時計よりも遅いから、ってことなのでは」
ピタッと一瞬静止したのち、再び麗子さんはため息をついた。
「急かせても私が困るわけだからなぁ……」
やや沈黙。
「女の人って大変ですね」
恋というか、男女のこと、この場合大人の男女の場合わからないことが多すぎる。
「まあ、この社会は男性にとって都合のいいようにできているから女性が生きづらいってわけね」
突然のフェミニズム論だったが、しかしぼくの霊能力者としての考えに近いものがある、と思った。
「ぼくの友達が、女には女の論理があって、それが男の論理では理解できない、みたいなこと前言ってました」
「ただそれって結局、“男女”の話でもないと思うのよね」
「と、おっしゃいますと」
「だから、もし女だけの世界があったとして、そこは何の問題もない平和な世界なのかっていうと私はそうかなぁって思うの」
「どうして」
「結局、その世界では、男性的な女性と女性的な女性に分かれるだけなんじゃないかしらって。体力のある女性は男性がやるような仕事をやって、そうではない女性は女性がやるような仕事をやるっていう」
なるほど。
「AI社会になったら何か変わるんでしょうかね」
「コペルニクス的転回だわ」
「でも、それなら女だけの国じゃなくてもよさそうですね」
「私が思うに……」
と、少し考え、やがて麗子さんは言葉を紡ぎ始めた。
「別に西洋の価値観が全てじゃないし、日本は日本で、私たちは私たちで独自の男女平等を目指してもいいと思うの」
これはこれは……いつの間にかかなり高度な話に展開したようだった。
「ふむ」
「まあ確かに論理は最終的には唯一の方向に収束するのは、それはそうなんだけど」
「はい」
「私、差別とか人権とかっていうのは、我慢とか妥協とか譲歩とか、折り合いをつけるっていう領域にはないと思ってるけど、それでも“妥当であるかどうか”は大切にするべきなのよ。だからもちろんケースバイケースなんだけど、そもそも“男と女”で区別すること自体が乱暴な場合がある気がする」
「難しい話になってきました」
「そうね。だから、難しいことを難しいまま考えられるかどうかがポイント」
「難しい話が続いていく……」
そこで麗子さんはぼくに笑いかけた。
「世界を変えるのは複雑なことを複雑に考えることをやめない人よ」
「……」
ぼくはぼんやりと、以前名梨とした会話を思い出した……。
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