3-4

 ……同じゴールを目指していてもアプローチの仕方が異なる、ということは、充分諍いの理由になるようで。

「イリスさんはだいぶ血の気が多いですね。この一年間で増したみたいです」

「異形の敵を相手にしていればそうなるわ」

「異形だとは思いますが敵だとは思っていませんよ」

「ずいぶん呑気ね」

「私にとっては共栄共存の存在ですからね」

「話にならないわ。放っておいたらどうなるかわかったもんじゃない」

「例えばどうなると思ってらっしゃるんですか?」

「トキオはどう思うの」

「えっ」

 突然話を振られてぼくはビビる。光里さんもイリスもじっとぼくを見つめてくる。ちなみに麗子さんと相沢さんはなにかの書類を書いていて、ぼくら三人のことは特に気にしていないようだった。

「どうと言われましても」

「あなただって鬼哭アルカロイドを倒さなくちゃと思ってここにいるんでしょう」

「倒すだなんて物騒な」光里さんはくすくす笑う。「トキオさんの力はなかなか有益ですよ。前回なんて私のサポートに尽力してくださいました」

「サポートじゃなくて隊長の命令に従っただけでしょう」

「あら。私にとって望ましい方向に事が進んだんですから尽力と言っていいかと思いますけれど」

「トキオは入ったばかりなんだからあなたの意見に言いくるめるのはやめてほしいわ」

「それはこっちのセリフですね。でもまあそんなに喧嘩腰になるのはやめましょ。いくら血の気が多いからって、ほら、トキオさんもだいぶ怯えていますよ」

 ぼくが怯えているのは……二人の言い争いに飲み込まれているから、ではない。

「トキオ」

 イリスが顔をぼくに近づけた。本当に、顔だけならフランス人形なのだが。

「なんでしょう」

「あなたの意見は?」

 要するにこれがぼくの怯えている理由だ。

 ぼくはこれまでの人生で、ここまではっきりと自分の意見を求められたことがない。求められそうになったら逃げる、という感じで、しかしそれで余計なトラブルが発生したことはない。“自分の意見”というものを殊更に強調する必要がなかったのだ。そしてそれが特に変わったことだとも思わなければ弱さであるとも思わなかった。

 しかしいま、鬼哭アルカロイドに対して激論を繰り広げている彼女たちから意見を求められ、ぼくは何の意見も持っていないことがいつバレるだろうかと気が気ではなかった。もちろんぼくとしては“リフレッシュの手段”という理由でここにいる。だがその意見を口にしたとき二人がどのような反応を示すのか——それに怯え、それが怖く、かつ、面倒臭かった。

「トキオさんにはトキオさんのご意見があるんでしょう?」

 少なくとも二人に比べそんな大層な意見はない。

「世界の終わりが来るかもしれないのよ」

「大袈裟ですねイリスさん」

 くすくす笑う光里さんを横目にぼくは考える。

 世界の終わり——ね。

 確かに異形の怪物たちが街を闊歩している様子を見るとそういう連想になるのも不思議ではないと思う。イリスがこれまでどういう人生を、日々を送っていたのかは知らないし、イリスが鬼哭アルカロイドにどういった目に遭わせられてきたのかもわからない。だがおそらく、“ただ見ていただけ”のぼくと違って厄介な目に遭わせられてきたのではないだろうかという想像は容易だ。それだけ彼女は鬼哭アルカロイドを憎んでいた。

 しかし血の気が多いというのは生来のもののような気もする。

「自分の意見、と言われましても」

 ぼくは困った。ストレス解消のリフレッシュ、という説明をしてみてもいいのかもしれないし、あるいはぼくにとってはそれが理由である。

 だが——二人にどんな顔をされるのか、それがわからない。

 あるいはぼくがこれまでの日常生活で“自分の意見”というものを強く出していかなかったのもそれが理由なのかもしれない。例えば名梨は自分の意見をいつも持っている。いろんな物事に関して興味関心があるということだろう。それに比べればぼくはあまり感動しないタチであるのも含め、あまりこの世界の色々なことに対して特に思うところがない。物事はなるようになるし、なるようにしかならないと思っている。ただそれだけだ。

 しかしいま、ぼくはそれがずいぶんと弱腰の姿勢のように思えるのだった。

 だがいま、二人の女性がぼくをじっと見つめてくる(イリスは睨んでいる)様子で、ぼくはぼくで説明をしなければならない状況になっているのをぼくは理解する。

「ぼくはそのう」

「なに?」

「なんでしょう?」

「……ストレス解消の、リフレッシュの手段として」

 すると彼女たちは口々にこう言った。

「霊力が相生するわけですから快感は得られるでしょうね」

「違うわ。滅却による達成感が影響している」

「達成感とはずいぶん抽象的ですね。主観的に過ぎると思いますけれど」

「主観的に過ぎるあなたにそんなことを言われたくないわ」

 どうやらぼくの意見はぼくの意見として二人の見解に波紋を与えたようである。

 ぼくは、困った。

 こんなに自分の意見を求められたこともなければ、自分の意見がこんなに人に影響を与えたことはないのだから。

 ……それだけぼくはぼくの意見など大したものではないと思っていたのだから。

 ぼくの意見を軸に、二人はまだまだ激論を繰り広げている。ぼくはその様子を見ながら、しかしこの二人は“きちんとしている”と思った。

 確かにそれぞれの意見は反発し合っている。だがそこに人間性の否定といった様子は見られない。テレビの討論番組やSNSなどでは意見の反発があるところに人間性の否定があるのが常のようにぼくには思えるが、この二人のやり合いはそれらに比べてずいぶん——健康的だ。

 二人に特別議論の技術があるようには思えない。というより、議論の技術についてぼくは詳しくない。ただ、決して曲げない自分の意見を述べつつそれが理由で個人的な敵対関係に陥っているわけではないということはわかる。

「……」

 ぼくはこれまでのんびりと生きすぎていたのかもしれないなぁ……。


 なんてね。

 なんてことを思い自省する気持ちでいっぱいにはなったが、しかし一方で、その生き方で特に得をしたこともなければ損をしたこともぼくはない。気楽に生きていきたいのだ。ぼくは別に両親が離婚したわけでも虐待を受けているわけでも貧困生活を送っているわけでもないがのほほんと生きていられればそれが一番いいと思っている。これがぼくの気性なのだ。の〜んびりしているのが自分らしい自分だと思う。

 確かにこの二人に対して羨ましいとか憧れるとかいった気持ちがあるのも本当だ。自分の意見を言うことを怖れず、議論になることを怖れないこの二人を純粋にかっこいいと思う。だけどだからと言ってぼくもそうなりたいかと言えば話は別だ。やっぱりこの二人は鬼哭アルカロイド云々だけではなく敵の多い人生なのだろうし、敵の多い人生というのはそれだけで疲れそうだしのんびりなんて夢のまた夢だと思えてならない。気楽に生きていられればそれでいいのだ。ぼくは別に達観しているわけでも人生に諦観しているわけでもなく、ただただのほほんと生きていれればそれが善哉善哉と思っているだけである。

 ああだこうだ、ああだこうだと討論を繰り広げる女性二人を遠巻きに見つめ、ぼくはこれじゃ生きづらいだろうなぁとなんとなく思う。もっとやりやすいやり方があるだろうにとぼんやりと思う。

 そこでぼくはふとさっきイリスの言っていた“世界の終わり”という言葉がなぜか脳裏を掠めた。

 ぼくはのんびりと生きていきたいが——それが世界の終わりに繋がることもあるのかしら、などと、そんなことをぼくはちょっと考え、心の中で自嘲した。

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