2-7

「双方にメリットがある、というのがベストです。何事もそうなんですけれど」

 ダーツを投げて鬼哭アルカロイドを“相生”させた光里さんが言った。

「はあ」

「わたしたちは鬼哭アルカロイドによって存在を維持できる。鬼哭アルカロイドはわたしたちによって存在を維持できる。持ちつ持たれつ、です」

 ぼくらはいま、すでに手を離してそれぞれに迫り来る鬼哭アルカロイドと対峙している。それでも相変わらず小動物たちはハンマーを持って散らばっている。ただ、半径三メートルぐらいを超えると“線”が途切れるような感覚をお互いに覚えているようで、だからぼくと光里さんはほとんど付かず離れずで行動している。ぼくはハンマーで適当に鬼哭アルカロイドを相手しているが、どうもそれでいいようで、一定のダメージ(?)を与えた辺りで彼らは光を放って消滅していく。とりあえずこれで今後単独行動自体はできそうだ、と、ぼくはほっとしている。

「でも」とぼくは疑問を呈した。「この間……つまりレッドさんと初めて会ったときですけど、あのときはぼく、鬼哭アルカロイドに押し潰されそうになりましたよ」

「その頃はトキオさんもどうすればいいのかわからなかったのだし、無理もないですよ」

 光里さんは一見お淑やかだが、強烈な強かさがあるようにぼくには思えた。鬼哭アルカロイドの見解や考え方に関しても、その柔らかい印象とは裏腹に強固な意志を持っているようにぼくには思えるのだった。確かに“自分は絶対に正しい”とは思っていないのかもしれないが、明らかに彼女の中で世界観が完全に構築されているとぼくには見える。

 しかし——それに関して言えば、ぼくだって大した違いはないような気はする。自分だって、正しいのは自分だとそういうふうに思うよりも先に自分の中でものの見方に対しての論理基盤が出来上がっているような気がするのだ。

「まあ、無理に考え方を変える必要もないとは思いますよ」光里さんはくすくす笑う。「人って、どうしてもこういうふうに考えたいっていうのもありますし」

 だが、それはまさに彼女がいま陥っている状態なのではなかろうか。確かにぼく自身、鬼哭アルカロイドを倒すことでリフレッシュ効果が得られるわけだから相生というのもそれなりに説得力はあるが、しかしぼくはどうしても街を闊歩する異形の怪物に対しての回答としては、それでは足りないように思える。

 ぼくがそううっすら疑問視している様を見抜いたのか、光里さんはややと思ったようだった。

「ただ、たまにいつもと違うチョコレートを買ってみたりするだけで充分です」

「チョコレート?」

「いろんな考え方が世の中にはありますよー、こういう考え方もありますよー、というお話です」

「はあ」

「トキオさんは、世の中、大企業とか一流企業とか、そういうものに支配されている、みたいに思うことってありますか? 政治とか宗教とか、なにか大きなものに自分の生活が支配されている、って」

 光里さんがなにを言いたいのかはよくわからなかったが、質問自体の内容はわかったのでぼくは答えた。

「ありますよ」

「でも、どれだけパワーがあってもスポンサーの意向には逆らえないんですよ」

 そういえば龍王院家は元財閥ということだが、いまでも政財界に力があるのだろうかとぼくはふと思った。

「それでなにかが変わったとき、ああこういう考え方もあるんだな、と、ちょっぴり思えたら、世界は変わるんじゃないでしょうか」

「世界?」

「はい」

 と、光里さんはくすくす笑った。

「世界を変えるのはそんなに大変なことじゃないんですよ。世界を変えるのは権力者ではなく民衆——道端の小石も世界を変えていきます。あるいは前線に出なくても、後方支援や物資供給などいろいろなことができます」

 それはそうだと思う。

 以前ネットで、上部構造は下部構造に支配されるという話を読んだ。民衆が動くことで世界が、社会が変わっていくというのは間違いがないだろう。

 でも、ぼくらはそれを何だかんだで制限されているのではないだろうか。それはどちらかというと外部の力によるものというより、内部の力で、ぼくらは自分たちを制限しているのではないか。なぜなら、ぼくらには個人としての生活がある。世界の未来より自分の将来を優先することが間違っているとはどうしても思えない。そうなると、不買運動ができるのは余裕のある人たちだけだ。どんなに自分と相反する暴力的な思想を持った会社の商品だろうと、安いものを選ぶことが責められることだとは思えない。確かに光里さんの言うように世界を変えるのは思っているより難しいことではないのかもしれないけど、でもそれを実行するためには僕らの生活には余裕がなさすぎる。たとえ自分がそれをすることで世界が悪い方向へと変わっていくことがわかっていたとしても、あるいはそれに自分自身矛盾を覚えていたとしても、今日食べるものがない人にあこぎなお金の稼ぎ方をするななどと言ってしまっていいのだろうか。それは結局のところ、余裕のある者の、あるいは理解した者の傲慢に過ぎないのではないだろうか。

 あるいは自分を、自分の生活を犠牲にしてまで戦うのは勇者かもしれないが、愚者でもあると思う。それでも自分の信念に対して清廉潔白でありながら守るべきものを守ることができたら、それはそれでいいのだろうか。そうでなければ世界を変えることができないなら——ぼくはたぶん、なにもせず自分の世界を守ることを第一に考えるだろう。

 などとそんなことをぼんやり考えていたら、“気”が消滅したのを感じた。

「あ」

「任務完了、ですね」

「やあ、お疲れ様」

 と、レッドさんがぼくらの元にやってくる。相沢さんと麗子さんもやってくる。

「助かったよ二人とも」

「任されましたから」

 光里さんはにっこり笑う。

「トキオもありがとうな」

「いえ」

「これで全部撃破できたっぽいな」

「そうね」と、モニターを表示させた麗子さんは答える。「ただ、もしかしたらまだ冬眠中である可能性はあるけれど」

「たぶんトキオの力でいい結果にはなっただろうけど、一応結界を張っておくよ。実際、展開しながらやってたし」

「そうね。その方が無難ね」

「それにしても自然発生した感じなのかな?」と相沢さん。「ボスっぽい感じのやつはいないっぽいけど」

 言われてみれば今回は神社のときとは違って発生源たる大物はいないようだった。これも光里さんたちからすればそれぞれ独自の理由があるのだろう。

 そして、それは相容れないものなのだろうか?

 ぼくがなんとなくそんなことを思っていると、レッドさんがこともなげに言った。

「それはしょっちゅうだろ? と、いうわけで! いつものやーつ行くぞ!」

 するとそのとき例の一眼レフがどこからかふよふよと現れ、撮影の準備を開始した。

 レッドさんは楽しげに叫んだ。

「行くぞ! 合言葉は、イエース‼︎」

 みんなでポーズを取って、その様を写真に収めたカメラは再び消えてなくなった。

 ——結局、これで今日の任務は終了ということだった。であるのであれば、ぼくはもう帰宅しなければならない。人払いの術というものに疑いの気持ちがあるわけでもないが、いつまでもここにいるわけにはいかないし、いつまでもここにいる理由もない。明日も学校だ。光里さんの言った世界を変えるという目標も興味深いが、それよりも自分の生活を最優先にしなければならない。

 それがたとえ、有害な発想であったとしても、あるいはちょっとした何らかの行動によって考え方を変えられるかもしれないという予感があっても、ぼくはそれに逆らうことなどできないし、また逆らう気などないのだから。

 それがぼくの論理基盤であるから——と、そういった考え方に、やや甘えの意識を覚えていたとしても。

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