13 西城紗英への取材
ええ、有希とは小学校からの親友で、幼馴染です。だからもう、三十年以上の付き合いになりますね。小学校から続いているのは、もう有希だけになっちゃったのかな。毎年年賀状のやり取りだけが続いているような人は、他にも何人かいるんですけど。
はい、ごめんなさい。今までずっと取材を断り続けていて。あれからもう半年経ったんですね……。事件の直後はなかなか気持ちの整理が追い付かなくて、マスコミの取材に答えていられる余裕なんかなくて……。正直今でもまだ信じられないくらいなんです。でも、本当に良いんですか? こんなに時間が経っちゃえば、世間の人たちはもう、あんな事件のことは忘れちゃってるんじゃないですか?
……いえ、そうですよね。あんな事件、なんて言い方をするべきじゃなかったです。あの事件のことは、誰かがずっと覚えていなくちゃいけない。本当に痛ましい事件でした。
私もずっと、有希の家庭はちょっと特殊だなって思ってたんです。……どっち? ああ、そうですね、両方です。有希が生まれ育った家庭も、有希が結婚して作った家庭も、両方、ちょっと特殊だったんです。
小学生のときから、有希はずっと優秀でした。勉強ができるのはもちろんなんですけど、生活面でも品行方正で、理想的な生徒でした。でも、品行方正な生徒って、大人たちからしたら理想的かもしれませんけど、同級生たちからしたらむしろ理想とは真逆なんですよね。有希は昔から同級生の粗相についてうるさく口を出すような子だったので、一部の子からは嫌われていました。特に男子からは相当目の敵にされていたみたいで。有希ってかなり美人なほうだと思うんですけど、小中学校のときは、有希が男の子から告白されているところは見たことなかったです。男子全員から嫌われていたわけじゃなかっただろうし、少しは有希のことを好意的に見ている人もいたと思うんですけど、有希は気が強くて頭が良かったから、誰もおいそれと近づけなかったんでしょうね。
小学生の頃……たぶん、五年生くらいの頃だったかな。有希の家に遊びに行くことになって。それまで私、自分の家に有希を招くことはあっても、有希の家に遊びに行ったことって一度もなかったんです。お母さんが嫌がるからって、いつも断られていて。でも、そのときはなんでか有希の家に遊びに行けるってことになったんです。家の中は意外と普通で、有希の部屋の中も、私の部屋に比べたら漫画やゲームが少ないように見えたけど、まあ普通で。今までどうしてあんなに家に来ることを嫌がっていたのか不思議に思ったくらいだったんです。それから夕方になって、一度有希のお母さんに挨拶してから帰ろうと思ったんですけど、そこでお母さんに引き留められて。紗英ちゃんは中学受験を考えていたりするの? って言われて、いきなりなんでそんなこと聞くんだろうと不思議に思いながら、考えてないですよって普通に答えたら、クラスの子の中で、中学受験するって言ってる子はいる? 学校で優秀な子って誰がいるの? 今の担任の先生ってあんまり教育熱心な方じゃないわよねぇ……みたいな感じで、マシンガントークで質問攻めにしてきたんです。ちょっと変な人だなとは思ったんですけど、無視するのは失礼だと思って私も曖昧に答えていたんです。そしたらだんだん、話題が有希のことになってきて。本当にこの子はダメな子でねぇ、この子学校であんまり友達いないでしょう? 学級委員なんかやってるみたいだけど、クラスメイトから全然信頼されてないような人がやったらむしろ迷惑よねぇ? 運動も全然ダメで鈍くさいし、頭の回転も遅くて機転が利かないし……って、ずっと有希を否定するようなことばかり言い始めたんです。その場には有希も一緒にいたから、私は相槌を打ちながらだんだん気の毒になってきて。でもちらっと有希を窺ったら、全然平気そうな顔をしてたんです。普通、自分の友達の前で親に自分を馬鹿にされたら、すごく恥ずかしくないですか? なのに有希は平然と黙っていて、私、有希にちょっと苛ついちゃったんですよね。家族相手なんだし、もっとちゃんと口答えすればいいのにって。極めつけには、あの母親が、この子、ちょっとした知的障害があるんじゃないかって疑ってるのよね、って言ったから、私、絶句しちゃって。たとえ本当に知的障害があったんだとしても、そんなこと娘の友達の前じゃ絶対に言っちゃいけないじゃないですか。さすがに酷すぎますよね。それでも有希は黙ったままだったから、私、言ってやったんです。あんまり私の親友の悪口を言うの、やめてもらえますか? 不愉快です。って。そしたら有希のお母さん、急につまらなさそうな無表情になって、あらそう、よかったわね、とか言って、そそくさとリビングのほうに戻って行っちゃったんです。でも有希は、ごめんね、お母さんの話長くて、って言うだけで。全然お母さんへの文句とか言わなくて、私、そのとき少しだけ有希のことが怖くなったんです。
当時は私自身子供だったし世間のことも知らなかったから、ああいう母親がいても普通なのかと思ってましたけど、今から考えても異常ですよね、あんなの。
その一件以来、有希の母親とは会っていません。有希の実家に遊びに行ったのはその一度きりだったし、有希は結婚式をしなかったので。今どうしているのか知りません。だけど、有希はあの母親のせいでかなり人生を歪められてしまったんだと思います。いわゆる毒親、ってやつですよね。
有希の家庭は、近所でも有名だったみたいです。同じ小学校だったけど、同じ町内ってわけじゃなかったから私はあまり知らなかったんですけど。有希のテストの答案用紙を毎回玄関先に貼り出していたんですよね。嘘みたいな話ですけど、あの母親ならやりかねないと思います。
でも、あんな家庭で育ったとは思えないくらい、有希は私にとって良い友達でした。もちろん何度か喧嘩をしたこともあったけど、そのたびに仲直りして関係が続いていますし。私も学校では真面目なほうだったので、有希とは馬が合ったんです。でも学力の差はけっこうあって、高校からは学校が別になっちゃったんですけど。
高校が別々になっても、有希とは週に数回会うような関係が続いていました。二年生の終わりぐらいに、私に恋人ができてからは有希と会う頻度が減っちゃったんですけど、有希は全然嫌な顔をしませんでした。私から有希に恋愛相談することは頻繁にあったんですけど、高校時代は有希から一回もそういう話は聞いたことなかったです。有希の学校は、学年の九割以上が東京や関西の有名な大学に進学するようなところだったから、そもそも色恋沙汰が起こるような雰囲気じゃなかったのかもしれませんけど。
だから大学生になった有希から、婚約している人がいるって聞かされたときは本当にびっくりしました。まさか有希が私より先に結婚するなんて、信じられなかったんです。
話を聞いてみたら、お相手は雑誌編集者だったみたいで。というか、その前に有希が読者モデルとしてスカウトされてたって話も全然聞いてなかったからびっくりしちゃって。それで、モデルの仕事をしているうちに雑誌の編集者の人にやたらと気に入られて、そのまま結婚することになったそうなんです。歳が一〇も離れている男の人で、色々びっくりすることばかりだったんですけど、私勝手に有希はもうこの先一生結婚できないかもって心配してたから、なんだかほっとしちゃって。素直におめでとうってお祝いしたんです。有希は大学を卒業してすぐに結婚して、旦那さんと二人暮らしを始めました。有希の能力と学歴があればかなり良い就職先を見つけられただろうけど、旦那さんもかなり良い仕事をしているみたいだし、大丈夫だと思ってました。
こんなことになるなら、あのとき一度、有希も社会に出ておいたほうが良かったんですかね。
有希の旦那さん——宮里誠司さんとも、何度かお会いしたことがあります。有希が実家を出てからは、私が有希の家に遊びに行くことが増えたので。でも、マユちゃんが小学校に入るくらい大きくなってからは、あんまり誠司さんの姿を見ることはなかったですね。仕事が忙しくて、ほとんど家に帰ってこられないそうで。有希とマユちゃんと私の三人で食卓を囲んだことも何度かありました。でも、五年前、私の子供が生まれてからは、そういう機会もめっきりなくなっちゃいましたけど。
……はい、そうですね。私たちの世代は晩婚化が進んでますから、たぶん私のほうが平均だと思います。年賀状で見る私たちの同級生のお子さんも、小学校に入ってたり入ってなかったり、ってぐらいの年齢ですから。有希はかなり産むのが早かったと思います。あのとき、マユちゃんはもう中学二年生でしたからね。
有希は結婚したのが二十二歳で、産んだのが二十三歳のときでした。二十三で子供を産むなんて、私からしたら想像するだけでも恐ろしいですけど、有希は実際に産んだんですよね。たぶんそのときも、有希はまわりからプレッシャーをかけられていたんだと思います。誠司さんは当時三十三歳で早く子供が欲しかったでしょうし、有希の母親も、結婚したのにいつまでも子供を産まないなんてみっともない、とか言いそうですし。
私の思った通り、有希はマユちゃんを産んだこと後悔しているようでした。
マユちゃんが幼稚園に通うようになって少し落ち着いた頃、久しぶりに会った時はなんだかやつれているように見えましたけど、そんなにマユちゃんのことについて悩んでいる様子はありませんでした。子供って幼稚園に入るまでは本当に大変ですから、あれくらい疲れた顔を見せるのは普通だと思います。
でも、マユちゃんが小学校に入ったくらいの頃、有希がぽつりと零したんです。
マユにどう接すればいいのかわからないの、って。
自分の母親と同じように、マユに厳しく接するべきじゃないことはわかっている。マユに自分と同じ気持ちは味わってほしくない。でも、だからって甘やかしすぎるのもマユの人生にとって良くない。何でも厳しく言っちゃダメだけど、絶対に厳しく言わなきゃいけないことだってたくさんある。どの程度のことなら厳しく言うべきなのか、言わなくていいのか。そのさじ加減がわからない。
マユに嫌われたくない。マユに嫌な思いをしてほしくない。マユに私みたいな人生を送ってほしくない。
どうすればマユは私みたいにならなくて済むのか、わからないの、って。
有希はそう言ってました。
当時は私も相談に乗り切れなかったんですけど、自分も人の親になった今ならわかります。そういうのって、理屈で考えることじゃないんですよね。なんとなく感覚でわかるんですよ。これは絶対にきつく言いつけておかないとダメだ、とか、これくらいは許してあげよう、とか、そういうのって別に何かの法則や理論があるわけじゃなくて、なんとなくわかるものなんです。
でも有希は、子育てを理屈でしか考えられない。
たぶん有希は、愛情の注ぎ方がわからなかったんだと思います。有希は誰からも愛されたことがなかったから。子供の頃は、母親からプレッシャーをかけられるばっかりで全然愛してもらえていなかっただろうし、誠司さんだって、有希を本当に愛していたのか怪しいんですよね。誠司さん、プライドがものすごく高い人で、それで有希は誰もが羨む美人じゃないですか。だから誠司さんは有希のことをトロフィーみたいに見做していて、俺にはこんな美人の妻がいるんだぞって、まわりに誇示するためだけに結婚したように思えるんです。実際、全然家庭を顧みていなかったようですし。
有希は本物の愛を知らないんです。二十年以上の付き合いの私にはわかります。
マユちゃん、有希のことを有希姉って呼んでますよね。確かに有希は若々しいからマユちゃんと並んでいると姉妹みたいに見えるけど、実の親子なんだから普通は、お母さんとかママって呼びますよね。それで有希に、なんでなのって聞いたら、私がそう呼べって言ったのって、答えたんです。
私に誰かの母親になる資格なんてないんだから、お母さんって呼ばれたくないの、って。
マユちゃんが有希姉って呼び始めたのは、確かマユちゃんが小学校三年生くらいの頃からだったと思います。そのときから、有希もマユちゃんもお互いに対してものすごく気安い感じで、まるで本当の姉妹みたいに仲が良くなっていきました。
全然、親子の距離感って感じじゃなくて。
マユちゃんが小学校五年か六年生のときに、マユちゃんが学校で男子連中に揶揄われて困ってるって話を聞いたんです。マユちゃんは有希に似て美人だからそういうことが起こってもある程度仕方ないと思うんですけど、私がびっくりしたのは、マユちゃんがそれを有希に相談したってことです。女の子って思春期が早いから、小学校高学年くらいから親と衝突することが増えるじゃないですか。少なくとも私はそうだったから、その年頃の子が、自分が学校でいじめられていることを親に相談するなんて、絶対できないと思ったんです。普通そんなの、プライドが許さないんですよ。でもマユちゃんは有希に学校であったことを全部包み隠さず相談して、もう学校に行きたくないって、はっきりと言ったそうなんです。
あの二人の関係性は、きっと有希が最大限マユちゃんの幸せを想った結果だったんだと思います。確かにマユちゃんは有希みたいに嫌な思いをせずに済んでいたし、有希もマユちゃんも幸せそうでした。でも、本当にこのままでいいのかなって、私はずっと考えていて、今でも答えは出ていません。
そんなとき、今回の事件が起きた。
内海さんのことについては、前々から有希に相談を受けていました。まあ、言い逃れようのない不倫ですけど、いつも家庭より仕事を優先する誠司さんが悪いし、やっと有希が本物の恋愛をしてくれたんだと思って、私は応援していたんです。
だからあの事件が起きてからずっと、私は自分を責めていました。
まさかこんな結果を招くなんて、思いもしなかったんです。
内海さんも一度逮捕されたんですよね。あの日、有希と内海さんは、二人で一緒に自首したから。
有希が殺人で、内海さんが未成年淫行。
有希は二人の行為をその目で見ていたんですよね。自分の娘と、自分の初恋相手との、そういう行為を。直接の動機となったのは、それを見たからですよね。
有希はマユちゃんを殺した動機について聞かれたとき、間違った人間だから、の一点張りでしたけど。
間違った人間って、どういう意味なんでしょう。
マユちゃんが未成年なのに大人の男の人とそういう行為をしたから、間違っているってことなのか。自分の初恋を邪魔する存在だから嫉妬して、間違っているって言ってるのか。
そもそも、間違った人間というのは、本当にマユちゃんのことを指しているのでしょうか。
有希が、自分自身のことを間違った人間だと言っていたのかもしれません。
マユちゃんとの関係を間違えて、実の娘に対して本気で嫉妬してしまうような自分が悉く間違っているのが嫌になって、そんなときに二人の行為を見てしまって、感情がぐちゃぐちゃになって発狂して、マユちゃんを殺してしまったのか。
……でも、何にしろ、どうして有希は、マユちゃんを殺して内海さんは殺さなかったんでしょうね。
どうして内海さんを残したんでしょう。
だってマユちゃんよりも、未成年に手を出すような人のほうが、どう考えても間違った人間だと思いませんか。私はそこが、どうしても引っかかって。
……え? 貴重なご意見? いや、別に私の言うことなんて全然大したことないですよ。私も結局、有希のこと全然理解してなかったんですから。
そうですよ。私もある意味加害者かもしれないんです。
私がもっと、親友として、有希のことを本気で愛していたら、こんなことにはならなかったかもしれないんですから。
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