12 宮里有希
「……マユちゃん、なかなか起きてきませんねぇ。学校間に合うのかな」
私が焼いたトーストを食べながら、内海さんは呟くように言った。当然、今朝は二枚しかトーストを用意していない。
「マユちゃんが寝坊してても、有希さんはいつも起こしてあげないんですか?」
「ええ。もう、中学二年生ですから」
「ははっ、厳しいんですね。僕は高校卒業するまで、毎朝親に起こしてもらってたなぁ」
「……そうですか」
沈黙が下りる。テレビの中のアナウンサーが、無感情にニュース原稿を読み上げる声だけがリビングに響く。内海さんの顔をまともに見ることができない。だけどそれは、恋心によるものではなく。
内海さんに対する、怒りのせいだった。
「……あの、僕がマユちゃんを起こしに行きましょうか? さすがにそろそろ、時間的にまずいでしょう」
「いえ、大丈夫です。もしかしたら今日は、具合が悪いのかもしれないし。そっとしておいてください」
内海さんは明らかに納得していなさそうな顔で「はあ、わかりました」と、浮かせかけていた腰を下ろした。テレビ画面に目を向けながら、私が焼いたトーストと、私が切り刻んだサラダを食べている。
私が食べる朝食は味がしなかった。ずっと他のことに気を取られて、食事に集中できない。テレビにも内海さんにも目を向けず、私は下を向いたまま、味のしない食べ物を口に運ぶ作業を繰り返していた。
やがて、内海さんが勢いよく牛乳を飲み干して、立ち上がった。ふと顔を上げると、食べ終わった食器を流し台に運んでいるようだった。
そういうところは育ちが良さそうに見えるのに、昨日はどうして。
「では、少し早いですが、僕はここら辺で失礼しますね。本当にお世話になりました。後でお礼はきっちりさせていただくので」
え? と思った。危うく声に出てしまいそうだった。
「……もう帰られるんですか?」
「はい。有希さんももうそろそろ出なきゃいけない時間ですよね? これ以上負担をかけるわけにはいかないので」
私の朝食はまだ途中だったが立ち上がって、玄関先まで内海さんを見送った。座って靴紐を結ぶ内海さんを冷静に見下ろす。
立ち上がって、内海さんは私に振り返って、深々と頭を下げた。
「では、昨日は本当にお世話になりました」
「…………」
そう言って、内海さんが玄関扉に手をかける。
「えっ?」
と、今度は本当に声が出た。
まさか、このまま帰るつもり?
私は靴下のまま三和土に降りて、内海さんの手首を掴む。思いのほか力が入ってしまって、私の爪が少し食い込んだ。
「本当に帰るんですか?」
困惑した表情で、内海さんが私を見下ろす。
「……あの、何かありました?」
「あなた、このまま帰ってもいいと思ってるんですか?」
「……僕が何か失礼を働いてしまっていたのなら、謝ります。でも、はっきり申し上げてくださらないと、僕もわかりませんよ」
「失礼とか、そういう話じゃないです」
内海さんが、怪訝そうに顔をしかめる。
「昨夜のことです。よく思い出してください」
逡巡しているのか、内海さんはしばらく間を空けた。
「……僕が寝室で、有希さんに向かって言ったことですか?」
「違います。そんなことじゃないです」
内海さんは眉根を寄せる。まさか本当にわからないのか。お酒を飲んだせいで覚えていないのか。でも、寝室での私とのやり取りを覚えているなら、あのことだって覚えていなきゃおかしい。
「……ごめんなさい。本当にわからないんですけど」
「あなた、昨夜、この家で犯罪をしましたよね?」
「は、犯罪?」
「私、この目ではっきりと見たんです。しらばっくれないでください」
内海さんの目がだんだんと恐怖や不安に染まっていく。私から一歩後ずさった。内海さんの背中が当たって、玄関扉が音を立てる。
「しらばっくれているわけじゃないです。僕、本当にわからなくて……」
私は一度、大きくため息を吐いた。
「私、あなたのために実の娘を殺したんですよ?」
「は?」
私がそう言い放った途端、内海さんの顔からはみるみるうちに色が失われていき、やがて膝から崩れ落ちた。
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