第4話 王国文学 裏(1)


 ドミニク伯爵が物語趣味の好事家なのは有名な話だ。


 社交界にもろくに顔を出さず、日夜公務と趣味に精を出すその姿はまさに変人そのものである。


 王国貴族の中にはそんな彼を揶揄する者もいたが、ここ最近の小説ブームを受けてからは手のひらを返して久しい。


 ロマンタで興った新進気鋭の文化は、今や王国中に波及しようとしていた。


 小説という新たな文化を興したドミニクは、今度は演劇とやらに手を伸ばしているともっぱらの噂である。物語のもたらす娯楽に魅了された社交界のお歴々の支援もあり、今後も彼の事業は滞りなく進んでいくだろう。


 小説ブームが到来して以降、ロマンタでは作家を志す者が増えた。


 これは以前までなら考えられないことである。


 これまでの物語といえば、ロマネスク王国では王国文学が主流であった。


 王国文学といえば、修辞的で、ともすれば迂遠とも捉えられるような言い回しが特徴的だ。そもそも読むために教養が必要になるという物語として本末転倒を極める。その大半が叙事詩であり、一般の読者に向けてというよりも、王族などの特権階級が自叙伝として作家に書かせ、血統に泊を付けるためのものであった。


 そのため、内容も民衆向けではなく、その難解な言い回しからますます人々に敬遠されてきた。文学は民衆に広まることはなく、せいぜいが子供向けの寝物語くらいである。


 だが、ドミニクがもたらした『竜騎士の冒険譚』が、そんな現状を打開した。


 まるで見てきたかのような臨場感あふれる世界に、繊細な心理描写。そして比較的平易で読みやすい文章は、ロマンタの人々を魅了した。

 そして、一部の人々はこうも思った。


 もしかしたら自分にも書けるかもしれない、と。


 かくして、物語世界の虜になった人々は、与えられるだけでは飽き足らず、自らの世界を紡ぎだそうと奮闘する。


 そして、最後まで書き上げた数少ない選ばれた者だけが、作家としてデビューするのだ。


 今では黎明の物語として名高い『竜騎士の冒険譚』以外にも数多くの小説が版を重ねている。


 今や小説は、ロマンタの文化的資本であり、そして一大産業としての地位を確固たるものとしていた。


 だが、そうなると面白くないものがいた。

 それが、王国文学の作家たちである。


 彼らも物語好きのドミニクに支援されてはいたが、小説ブームが到来して以降、その地位を危ぶまれている。


 王国文学はもともとか細い業界だったのだ。作家を志す若者がいなくなり、仕事を受けているのは僅かに残った由緒正しい名家のみ。それ以外は廃業した。これからも先細る一方であろう。


 なにより、ドミニクの小説に対する入れ込みようは火を見るよりも明らかだ。これではいつ支援が打ち切られてもおかしくはなかった。


 しかし、彼らにはどうすることもできない。

 主な顧客であった貴族も小説へ流れている。伝統と格式を重んじる高位貴族は王国文学に固執しているが、それも時間の問題だろう。目的は示威行為なのだから、より多くの人々に読まれる小説のほうが合理的なのだ。


 そんな苦境の時代を迎え、文学者たちは臍を嚙みながら、忸怩たる思いでブームが過ぎ去るのを耐え忍んでいた。












 ゲーリは由緒正しい作家の家系に生まれた。


 生まれてから彼が最初に認識したのは、周囲を囲む本の壁だった。


 屋敷中、部屋の至る所に設置された本棚には古今東西のあらゆる書物が納められており、彼は幼き頃より数々の物語に触れた。


 友人を作ることなく、ひたすら家に籠って読書の日々。生きる知恵はすべて本に書かれている。そんな考えを持つ両親の後押しもあり、彼は着々と知識を蓄えていく。


 そして、十八になるころには、彼はそこらの学者顔負けの立派な知識人となっていた。


 その代償としてありとあらゆる人付き合いを絶ってきたゲーリだったが、特にこれといって問題を感じることはなかった。


 なぜなら自分には知識と教養があるから。

 これさえあれば、たとえ家を出た後であってもどうとでもなる。

 ゲーリはそう信じていた。


 ゲーリは両親と同じく作家を志した。

 自らに膨大な知恵を授けてくれた両親の背中に深い尊敬の念を抱いたのだ。


 ゲーリはまず、自分だけの物語を書こうとした。

 自分はあの偉大な両親のもとに生まれた寵児である。素晴らしいものが出来上がるのは明らかだ。であるならば、最初にして最高の傑作を生みだしたい。


 そう思った彼はまず物語の構想を練ることにした。


 偉大な父や母であっても、やはり才能という絶対の壁は越えられない。彼らは紙に物語の構造、あらゆる要素を抽出して綿密に書き出していたが、自分ならそんな工程すらいらない。


 なぜなら設計図はすべてこの頭の中にあるのだから。


 思い描くのは空想の世界――否、いずれ世に打ち出す自分だけの物語世界。その血肉と骨子。


 どんな世界で、だれが出てきて、どんなことをして、どんな結末を迎えるか......。


 次々と思い浮かぶアイデア。

 書きたいことがとめどなく溢れてくるこの感覚。


 やはり自分は天才だ、と。


 ゲーリは陶酔した思考でぼんやりと思い浮かべ、空想の世界に沈んでいく。その間、彼がペンを握ることはなかった。


 そうして月日は流れていく。

 ゲーリが物語の構想を練り始めて数年が経つ。

 彼はいまだにペンを握らない。


 否、握ったことはある。だが、いざ原稿用紙を前にすると、なんだか今日は気分じゃないような気がして、先延ばしにしてしまった。


 今日はたまたま調子が悪かっただけ。また今度書けばいい。大丈夫、書きたいことは山ほどあるのだから。


 ゲーリはそうやって自分を納得させると、再び空想の世界に耽った。


 成人となった。大人の仲間入りである。

 しかし、ゲーリは働かなかった。


 何故なら、働いている時間がもったいなかったからだ。


 ゲーリは常に考えている。

 物語を書くことこそが己の使命であると。


 ゲーリにとって、今はそのための準備期間であった。

 知識を蓄え、経験を積み、いつの日か、その全てを糧として物語に注ぎ込む。

 そのことだけを考えて生活していた。


 そんなゲーリを両親も応援していた。

 欲しいものがあれば買い与え、ゲーリの活動をその無償の愛で支援した。生活にも困らぬよう資金援助を行い、何不自由ない暮らしを保障した。


 最高の暮らしの中、ゲーリは創作活動に打ち込む。

 長い長い準備期間は終わらない。



 








 ロマンタで小説という新たな物語の旋風が巻き起こった。


 そのあおりを受けて仕事が激減したゲーリの両親は荒れに荒れた。


 ドミニクからの出資は縮小化。それに伴い収入はどんどん目減りし、残された資産で食いつないでいく毎日が続く。


 空気の悪くなった家に居づらくて、ここ最近ゲーリは散歩することが多くなった。


 商業地区のバザールには様々なものが売っている。

 食料品や日用雑貨、装飾品など多種多様で、その中には小説も含まれていた。


 ゲーリは小説の棚を眺めるのが好きだった。


 だが、小説が好きなのではない。

 小説を馬鹿にするのが好きなのだ。


 ゲーリにとって、至高の物語とは王国文学であり、断じて小説などというぽっと出の輩ではなかった。


 物語とは高尚なものだ。

 知識、教養。あらゆる知が納められている叡智の塊であるべきなのだ。


 それを小説ときたら、頭の悪い低俗なものどもが読むことができるようにと、平易でつまらない文章をだらだらと並べ連ねて、ひどく下品である。


 ゲーリはそう考えて、小説のことを見下していた。


 ある日、公園で試しに買ってみた小説を読んでいると、ゲーリに話しかけてくる男がいた。


 曰く、彼もゲーリが読んでいる小説が好きなのだと言う。同好の士を見つけてついつい話しかけてしまったらしい。


 だが、ゲーリはその小説が好きでも何でもなかった。

 むしろ、あまりにひどい内容で、ゲーリはいらいらしている有様だった。


 ちょうどいい。

 楽しそうに語る男を遮り、ゲーリは口汚く小説をこき下ろした。


 ありとあらゆる欠点を並べて、いかにこの物語が不出来であるか、そしてこの物語を好む読者がいかに愚劣であるか。次いでこの小説に比べて王国文学がいかに素晴らしく高尚なものであるか。


 ゲーリが懇々と説明してやると、男は涙目になって逃げだした。


 ゲーリは勝ち誇った。


 ほれ見てみろ、返す言葉がないのだ。

 やはり、王国文学のほうが優れているのだ。


 ゲーリはこれを論破と捉え、以降も目についた輩に議論を仕掛けていくことを日課とした。


 そんなことを毎日続けていたものだから、次第に噂は広がり、人々に相手にされなくなってからしばらく。


 暇を持て余したゲーリは、その持て余した自尊心の発散先を探していた。


 話を聞くところによると、両親は昔、貴族の子息を師事していたという。


 ゲーリは考えた。

 物語を練る傍ら、教師として幼き才能を伸ばすのも一興である、と。


 しかし、ゲーリの知り合いに貴族などいないし、その子息などもってのほかだ。そこらで遊んでいる子供に声を掛けようにも、野良論戦を吹っ掛けまくったゲーリは警戒されている。


 そもそも、ゲーリには教える相手というものがいなかったのだ。


 そんな折、諦めかけたゲーリがバザールで暇を潰していると、見覚えのない小説売りを見つけた。


 それは大通りを外れた脇道に出店していた。

 脇道と言っても、人通りがないわけではなく、軒を連ねる店はそこそこに繁盛している。

 しかし、その小説売りの店だけは、誰一人として客は寄り付かなかった。


 その原因は一目瞭然であった。


 まず、店が店としての体裁を整えていない。


 看板もなく、呼び込みも皆無。地べたに広げられた薄っぺらな敷物の上に、小説――と思われる紙束――が野ざらしで置かれている。等間隔できっちり揃えられたそれらに店主の涙ぐましい経営努力を感じられるが、それだけだ。


 商品である小説は製本されておらず、そもそも本としての体裁を保てていない。表紙に書かれたタイトルを見て、ようやく小説だと理解できる程度である。


 そして極めつけは店主であった。


 着古したシャツに身を包んだ少女だった。座り込んで身を縮こませているその姿は、何らかの責め苦を耐え忍んでいるかのようである。


 ゲーリがしばらく眺めていると、ふと、俯いていた少女が顔を上げた。


 うっそりと、前髪の隙間から覗いたその瞳は、まるで飢えた獣のような光を湛えて、ギロリと往来する人々を睨み付けた。


 射止められた人々は身震いをして、これはたまらないと逃げ出す。


 客が寄り付かない明らかな原因であった。


 それから数日、ゲーリは散歩のついでに少女の様子を観察していた。


 来る日も来る日もめげずに店を出している。

 しかし、一度として売れているところを見たことがない。

 否、少女の様子を見る限り、今まで一度も売れていないのであろう。


 店仕舞いをしてとぼとぼと帰路に着く少女の背を眺めて、ゲーリは確信した。


 あの少女こそ、己が導くべき若人である、と。


 商売の仕方などゲーリにはわからないが、あの店構えがまずいことくらいは理解できる。


 だが、ゲーリはそんなことを指摘するつもりはなかった。

 何故なら、ゲーリは商品が高品質であれば、すなわち物語が面白ければ店構えなど関係なく売れると考えていたからだ。


 ゆえに、ゲーリは物語の何たるかを教えて、彼女の商売を間接的に救ってやろうと考えた。


 そしてあわよくば、小説などという下賤の物語はやめて、王国文学を志すように説得するつもりであった。


 思い立ったが吉日。

 ゲーリは少女に声をかけた。


「キミ、最近ずっと小説を出店してる子だよね?見る限り全然売れてないみたいだけど」


 振り返った少女は胡乱な表情を浮かべると、すぐさま踵を返す。

 ゲーリは慌てて呼び止めた。


「おっと、待ちなよ。きみ、作家になりたいんだろう?なら私がきみに物語のなんたるかを教えてあげるよ」


 少女は呆気に取られている様子だった。

 付け入る隙を感じたゲーリは更に畳みかける。


「もちろん、お金なんていらないよ。私はね、この国の文学を憂いているんだ。キミのような若者に僕の知識を少しでも授けることができれば、この国の文学も安泰だろうと思ってね」


 そう言うと、少女は訊ねた。


 お前はどのくらい物語を書いている、と。


 ゲーリは答えた。


「どのくらい?愚問だね、私は物語から生まれたようなものだ。言ってしまえば、時代の寵児のようなものだね......」


 ゲーリはしたり顔でそう言った。


 今の自分はまさに幼子を導く指導者の顔をしているだろう。

 その証拠に、少女もそんな自分に感銘を受けたのか、何やら興味深そうな顔をしている。


 自尊心が満たされたゲーリは恍惚とそんなことを考えていた。

 

 逡巡を経て、少女が頷く。


 こうして、ゲーリは少女という生徒を得た。











 ゲーリの予想通り、少女は作家志望であった。


 聞くところによると、作家になるために田舎から飛び出してきたものの、早々に資金が底をつき、小説を売って食い扶持を繋ごうとしているらしい。


 安易に労働に身をやつすのではなく、何が何でも物語で食い繋ごうという姿勢に、ゲーリは内心で感服する。


 この少女なら自分が正しく指導すれば、きっと素晴らしい作家になるであろう。

 ゲーリは確信をもって、少女の指導に当たった。そして予想の上回り、少女は博識であった。


 ゲーリが現在の小説ブームについて語ると、少女も負けじと食らいついてくる。


 なればと王国文学を語れば、少女もその年齢に見合わぬ知識を披露する。


 ゲーリが聞く限り、少女は田舎の村出身である。であるにもかかわらず、己と比肩するこの物語に対する造詣の深さには感心しきりであった。


 恐らく、村にあった数少ない書物を読み漁り、そして上京してからは少ない金でコツコツと物語を買い漁ったのだろう。少女の涙ぐましい努力にゲーリは敬意を表した。


 しかし、これでは指導の甲斐がない。

 生徒が優秀なのは喜ぶべきことだが、それはそれとして己は教師なのだ。指導者として、あらゆる面で生徒に優越していなければならない。


 不満に思ったゲーリが王国文学について少し踏み込んだ話をすると、流石に少女も面食らったようで、以降は興味深そうに耳を傾けていた。


 気持ちよくなったゲーリの語りは止まらない。

 ぐるぐると強風に煽られた風見鶏のようにあちらこちらへ話題が飛びながら二人の夜は更けていく。


 こんなにも楽しい時間は久しぶりであった。


 それから暇を見つけてはゲーリと少女は公園で語り合うようになった。


 主にゲーリが王国文学についての講義を行って、その日の話題が終われば各々の物語を語り合う。


 それは即興の作劇会であったり、構想を練っている物語の中途進捗報告会であったり、時にはバザールの小説売りを冷やかして回り、同じ小説を持ち寄って口汚く批評した。


 特にゲーリがもう何年も構想を練っている物語の設定を語ってやれば、少女はあまりの壮大さに目を丸くしていた。その目には明らかな畏敬の念が籠っていたものだから、


「ふ、この偉大な私を見習いたまえよ」

 

 と、胸を張って少女の尊敬に応えた。


 ある日、少女が意気消沈していた。


 曰く、己の力不足を痛感したという。

 これは指導者たる自分の出番であるとゲーリは息巻いた。


「とにかく書け。そしてそのすべてを最高に面白く仕上げろ。そうすればキミの腕も上達するだろう」


 その後、少し考えて、


「ちなみに私は毎日十の物語を作っている」


 と、付け加えた。


 ハッタリであった。

 ゲーリは一日に十の物語など書き上げてはいないし、そもそも人生で一度も物語を完結にまで漕ぎつけたことはない。なぜなら今は準備期間なのだから。


 だが、嘘も方便である。

 これで少女が元気づいてくれるなら何の問題もないだろう。


 それに、自分は毎日頭の中でいくつもの物語世界を夢想しているのだ。

 所詮はそれを現実に書き出すか否かの違いでしかない。


 故に、自分は十と言わず、もはやそれ以上の物語と毎日触れ合っているといっても過言ではない。


 ゲーリはしたり顔でそんなことを考えていた。

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