第51話 雪には足跡が一切ついていませんでした

「別荘の倉庫で火災報知器と振動検知装置が作動したようだ。誰かが侵入したのかもしれないから調べてほしい」


 そう通報が入ったのは、三年前の一月八日。午前二時頃のことだったという。


 電話主は、株で財を成した大富豪・だいもんかついえ。別荘の状況を確かめようにも、仕事の関係上名古屋にある本宅から動けないらしかった。監視カメラなどをつけていないため、状況は全く分からないという。


 まず、二人の警官が現場を訪れた。すると現場が大変なことになっていたというので、宮城県警捜査一課である俺が後になって呼ばれたわけだ。後輩の金子も一緒だった。


 夜の間にどか雪が降ったので、辺りは一面が銀世界だった。


 別荘から百メートルほど離れたところに、一本の県道が走っている。その県道にはロードヒーティング設備がついていて、雪は積もっていなかった。


 パトカーでたどり着けたのはここまでだった。別荘は例にもれず、新雪に埋もれてしまっていた。周囲には木がまばらに生えている程度。鬱蒼と森が生い茂っているという感じではない。


 だが、俺の目を引いたのはそんな細々したことではなかった。別荘のそばにある小さめの倉庫が異様な姿に成り果てていたからだ。県道から眺めても一目瞭然に分かった。


 屋根とこちら向きの壁が破壊されていたのだ。すっかり大穴が開いている。焼け焦げているようにも見えた。爆弾が使用されたらしい。


 現場には鑑識がすでに入っている。そのため、雪はもう踏み荒らされていた。


 しかし極めて奇妙なのは、最初に訪れた警官が


「雪には足跡が一切ついていませんでした」と証言したことだった。


「夜中だったから見間違えたのではないか」と問われても「懐中電灯で入念に確認した」と答えたらしい。


 まあ必ずしも倉庫に人が侵入したとは限らない。時限爆弾で爆破テロを起こされたとかなら、犯人がわざわざ訪れる必要はないのだ。そう考える一方で、俺は妙な予感もしていた。


 倉庫には貴重な骨董品や宝石が保管してあったそうなのだ。これが何者かによる強盗――最悪、世間を騒がせているミスターX――のしわざなら、厄介なことになりそうだった。


 現代日本において建物を破壊できるほどの爆弾を使える人間などそうたくさんはいないだろう。嫌な予感は風船みたいに膨れあがっていく。


「……とりあえず現場を検分することにしようか」


 金子に告げると、「そうですね」とうなずき返してきた。


 鑑識による現場保護は完了している。俺は積もった雪をザクザクと踏みながら進んだ。別荘ではなく倉庫の方へと足を向け、無惨に壊れた入り口をくぐる。


 倉庫の中は部屋が一つあるだけの単純な構造だった。


 中は完全に荒れ果てていた。燃えかすのようなものが大量に散らばっている。骨董品と思われる皿も、あちこちで砕けてしまっていた。


 近くにいた鑑識が何かを見せてきた。


「床にこのようなものが……」


 彼の手に乗っていたのは一枚の紙だった。太いゴシック体で印字されているのは……。


〈ごきげんよう。伝家の宝刀「岩切丸」を戴いていくことにする。ミスターX〉


 俺は思わず舌打ちした。隣でも金子が歯噛みしていた。


 予感は的中してしまったようだ。ミスターXお得意の犯行声明だった。


 悔やんでいるだけでは始まらない。俺は心を落ち着けるように胸に手を当てた。


 周囲を見回す。大破しているのは、さっき見えたのと同じ、屋根と一面の壁。見上げると、皮肉めいたように晴れわたった青空が広がっている。


 金子がどこにともなく問うた。


「刀はどこにあったのでしょうか?」


 さっきの鑑識が部屋の隅を指差した。


「あそこに刀剣の台座だけが残されています。おそらくあの上に載せられていたのだと思われます」


 かくいう台座には、屋根の穴から陽光が差し込んでいる。刀が載ったままなら美しい輝きを放っていただろうが……そのときは空虚さしか感じられなかった。


「雪に足跡がついていなかったと聞いたが、本当なのか?」


 俺がそう尋ねると、鑑識はうなずいた。


「はい。初めに訪れた警官たちが行き来した分しかありませんでした」


「はあ……」


 たしか雪が降り始めたのは昨日の午後七時頃だったはず。しかし警報装置が作動したのは今日の夜中の二時。爆発はそのタイミングで起こったことになる。


 雪が積もってから犯行が行われたのは間違いないはずなのだが……。いや待て。


「ミスターXが雪が積もっていないうちに刀を盗んでおいて、雪が積もってから時限爆弾で倉庫を爆発させたという可能性は? そうすれば、犯行のタイミングを誤認させられるんじゃないか」


 金子が渋面を作った。


「時嶋空の天気予報を利用すれば、何時何分に雪が何センチ積もるかを予見することはできるでしょう。つまり、時限爆弾で雪が積もるタイミングを見計らうことはできると思います。しかし、作動した警報器の中には、火災報知器の他に振動検知装置も含まれていたと聞いています。爆発とは異なるタイミングで犯人が侵入した場合、そちらが警報を知らせてしまうと思います」


「その装置はどのようなものなんだ?」


「火災報知器も振動検知装置も、大文字氏の本宅に遠隔で繋がっています。危険を察知したら通知が来るようになっていたそうです。振動検知装置は、窓・入り口・壁などに大きな振動が発生した場合に作動するものです。倉庫内に複数設置していたそうです」


 となれば、ミスターXが爆発より後に盗みを働いたのは間違いないということか……。


 金子がダメ押しした。


「それに、犯行声明の紙には焦げが一切ついていません。すなわち、ミスターXが爆発発生後にこれを置いたというのは間違いないようですね」


 三日後。警察の要請に応じて、大文字勝家が署に現れた。聴取は俺と金子が担当した。


 大文字と向かい合う。彼はとても恰幅がよく、いかにも金持ちという風体をしていた。


 俺は口火を切った。


「お頼みした通り、倉庫にあった物品のリストをお持ちいただけましたか?」


「はい」


 大文字がA4の紙を一枚取り出した。小さな写真がズラリと並んでいた。


「これが倉庫にあったものの全てです。前回別荘を去るときに倉庫内を整理したので間違いありません」


「そうですか。貴重な資料をありがとうございます」


 あの倉庫には、骨董品が所狭しと置かれていたようだ。皿やお椀の他、アクセサリーなどもあった。鑑識が提示してきたリストと照らし合わせる。すると、なくなっているものが三つあった。


 一つはもちろん刀剣「いわきりまる」。それ以外には――金貨とハサミが一つずつ盗まれているようだった。


「この金貨とハサミは何か貴重なものですか?」


 俺は左右の人差し指でそれぞれを差しながら尋ねた。大文字は戸惑いを隠せない様子だった。


「えーっと……その金貨はたしか私が小学生の時に両親に頼みこんで買ってもらったものですね。あの頃はまだ目が肥えていなかったし、わざわざ盗むほどのものではない気が……。よく確かめていないので分かりません。ハサミのほうは、何の変哲もないただのハサミです」


 ミスターXはそんなものを盗んで何がしたかったのだろうか? 俺には理解できなかった。


 結局、ミスターXの尻尾は掴めなかった。足跡トリックすらも判明しないまま、事件は迷宮入りした。

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