第四章 冬籠もりの間に 4
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大佐殿……私は大佐殿のようになりたいです
冬になれば思い出す……・あの日微笑み、あの日散っていった部下のことを……
豪傑で知られる将軍・第一個師団霞暁隊ヌスパドは別名を豪快将軍と言われる通り気さくな男だ。誰とでも気軽にわけ隔てなく接し、部下から慕われること字の如し。豪と言われたその剣さばきは定評があるが、彼はまた多くの武術を器用にこなす軍人でもある。剣をはじめとして弓、槍、なんでもござれなのだ。だからそんな彼が、有名な槍師のディドーンと懇意の仲であるというのは別に不思議ではないことで……ヌスパドが最後にディドーンの元へ赴いたのはいまから五年前のことだ。ヌスパド四十五歳、帝国で大佐という階級にいる頃である。
ディドーン師の庵は山のなかにあって、ヌスパドが訪れたのは冬も盛りという頃、吐けば息が白く染まり凍りつくのではという山の中。
ディドーンには多くの弟子がいる。みな少年といっていい年齢ばかりだが、さすがに名槍師の子弟だけあって誰もがいい槍さばきをしている。一年を通してどんな時も、山の庵からは勇ましい掛け声がやまないという。
「ディドーン殿」
「おおヌスパド殿。今年も来られましたな」
だいぶ高齢のディドーンは胸までの真っ白な髭と伸びた眉でほとんど顔が隠れてしまっている。が、杖に頼らなければならない身体とはいえ、その眼光の鋭さはさすがのもの、これが今、槍を持ち敵が襲いかかってきたのなら、老人の意志に関係なく身体が勝手に反応してしまうということは、ヌスパドはよく知っている。実に恐るべき老人なのだ。つい先だっても、皇太子が槍のてほどきを教わったとか。
暖かい客間に通され、談話している内に扉がノックされあまり見覚えのない少年が入ってきた。十三歳くらいだろう。
「お師匠さま。お茶を」
「おおすまんな。そうじゃ紹介しておこう、ヌスパド殿、一番新しい弟子の者です」
ヌスパドは少年を見た。
上質の銀のようなすべすべした白い肌をしている。冬の山のなかではまるで氷の精霊のようだ。金の髪はさらさらとしていて暖炉の火を受けて時々きらきら光る。青い瞳は落ち着いた光を讃えており、並みならぬ知性の輝きすらそなえていた。きりりと結ばれた口元は意志の強さをよく表していて、男のヌスパドですら見とれたくなるような美しい少年であった。
「シャルクと申します」
「ほほう、東。かわった名前だ」
少年はちょっとうつむいた。そしてヌスパドと師に会釈をすると静かに退室した。
「ふむ……ディドーン殿、あの少年は相当使いますな」
「わかりますか。いやいやさすがはヌスパド殿ですな。つい一年ほど前にリューヴで放浪していたのを拾いまして」
「リューヴ……あの士官学校のあった街ですな」
「左様。骨と皮ばかりになって痩せ細っておりましてなあ。近寄ると獣のように怯えて、可哀相によほどひどい生い立ちだったようです」
「ほう……」
「例の、あのアデンの街の出身というのですからなあ。あまり言いたがらないので追及はしていませんが……槍を持たせるとあれは天性のものですな」
「ふむ。一度手並みを見てみたいものだ」
「ご滞在中に機会をつくりましょう」
二人は豪快に笑いあった。
ヌスパド滞在三日目、彼は朝、表の井戸で顔を洗った帰りに、台所の前を通りかかり、ディドーンの弟子たちの声を物陰から聞いてしまった。
「おいシャルク、随分お師匠さまにかわいがられてるじゃないか」
「いったいどうやって取り入ったのさ」
「……」
「なんとか言えよ新入りのくせに」
ドンという音がした。多分あの少年は突き飛ばされたのだろう。ヌスパドはそっとため息をついて別の入り口から中に入った。あれは昨日今日のことではないようだ。ディドーンは修業は厳しいが修業以外の時は致ってやさしい老人だ。よく声をかけてねぎらったりしてやっているらしいが、ひとえにシャルクの今まで味わった辛い経験のことを思ってのことだろう。彼以外はみな貴族の出身の少年ばかりだ。
シャルクはあの通りの美少年だし、昨日槍の手並みを見たがあれは素晴らしい器だ。修業を始めて一年たらずだというのにもう筆頭の弟子と並ぶくらいの腕だとか。妙なところで誇りの高い貴族の息子たちには何もかもが面白くないに違いない。どちらにしても、かなりの不幸な境遇であったはず、強く生きてほしいとヌスパドは思った。
シャルクが、彼が見聞きした以上に辛い目に遭っているなどとは、想像もできずに。
ヌスパドは昨年の冬のことを思い出していた。自分が大佐になって二年が経とうという頃だ。一人の部下……自分を慕ってやまず、純粋で、心のやさしい部下のことを。彼は自分に憧れていると言った。自分のようになりたいと。
「大佐殿はどうしてそんなにお強いんですか」
「と、言われてもな」
ヌスパドは苦笑いした。淮佐であるこの部下は、時々戸惑うほどにひどく純粋だ。
「お前は強くなりたいのか」
「はい。強ければ自分の大切なものを守れます。それだけが大切というわけではありませんが、大佐殿を見ていると、強くなりたいです」
ヌスパドは豪快に笑った。
「はっはっはっはっ。そうか。では頑張れ。お前の年齢で淮佐ならば望みは充分ある。なんでも帝国の軍隊は近々解体されて新しい制度をいれるらしいが、今の兵士に負担はないそうだ」
「頑張ります」
ヌスパドは微笑した。なんと純粋な男か。これだけに一生懸命な男は、見ていて思わず応援したくなってしまう。彼が次に功労賞をとったときには、自分も口添えして昇格させてやりたいと思っている。その冬、未だ現在のような十二個師団制度ではない帝国は、解体を前にして尚戦に出掛けなければならなかった。解体前も後も、冬に戦があるのが珍しいというのだけは変わらない。しかし未熟な軍の制度はしばしば戦場に混乱を呼んだ。
「大佐殿!」
「どうした!」
「右前方! 大規模な弓隊が突進してきます!」
ヌスパドは歯ぎしりした。
「残る兵士は!」
「百もいません!」
彼は拳を強く握った。これではとてもではないが乗り切ることすら出来ない。第一こんな激戦区にたった五百名なんて……!
「仕方がない……私が出る! 動ける者だけついてこい!」
ヌスパドは乱暴に馬に乗って叫んだ。今、ここを切り抜けさえすれば、あとは大丈夫な
のだ。---------自分は今、こんなところで死ぬわけには行かない!
ヒュンヒュン……
ざくっ
ざくざくっ
次々に流れ矢にあたって味方の兵士たちが倒れていく。ヌスパドは自分でもなにを叫んでいるかわからないまま怒鳴り続けた。
ヒュン……
「こっちだ! ---------続け!」
耳鳴りのなか、どこかで自分の名を叫ぶ人間がいたのを記憶している。ヌスパドだ。敵の大佐。首をとれば褒賞だ。
---------ヒュッ!
「大佐殿!」
ドン、と信じられないくらい強い力が自分を突き飛ばした。そのときヌスパドは傷ついた馬を捨て、徒歩で戦っていた。身体を伝わってざくっ、という生々しい感触が全身を貫いた。
「---------」
目の前に散る鮮血……それはゆっくり、もどかしいほどゆっくりと。戦場に咲こうとして散った赤い華……
ヌスパドは倒れかかってくる味方を助け起こして驚愕した。
「---------淮佐!」
「……大佐殿……」
「しっりしろ淮佐!」
ヌスパドは懐から布を取り出して止血しようとした。しかし首にしっかりと突き刺さった矢を見ると、さすがの彼も歴戦の兵士ゆえ望みなしということがよくわかる。ヌスパドはぎり、と唇を噛んだ。
「---------淮佐! しっかりしろ!」
「いいえ大佐殿……も、もう目の前が……大佐殿のお顔がよく……」
どんどん腕の中で重くなっていく部下。大混乱の戦場でヌスパドは彼を抱えて座り込んでいた。
「淮佐……死ぬな。しっかりしろ」
「---------大佐殿……大佐殿のようになりたかっ……」
ヌスパドの目の前が暗くなった。途端に鉛を呑んだような重みが全身を襲う。
大佐殿……自分は大佐殿のようになりたいです
その腕をぐっと握り……ヌスパドは顔を上げた。
鬼神の顔だった。
部下の生命を奪われ怒りくるう鬼。温厚で人なつこい男の真の怒りが爆発する。
---------その後のことは、彼はよく覚えてはおらぬ。部下の話によると右手に剣、左手に槍を持ち、少々の傷は構いもせず、敵陣を突破したのだそうだ。味方すら近寄りがたい、恐ろしい顔だったという。
ヌスパドはこの戦で傷を負ったが、どれも大したものではなかった。
今回の戦で帝国側は勝利したものの、著しい数の戦死者を出した。これはあとでわかったことだが、兵士の人数を調整する者が、大幅にそれを減らして、その分支給される給金や物資諸々を横領していたそうだ。
のちに皇帝直々の許しを得てヌスパドは部下の仇を討つことになる。今回の戦死者は千五百の人数削減という悪環境のなか奮戦したことを讃えられ、栄誉の二段階昇格を死後賜った。遺族には毎年昇格した後の金額の給金が補償金として支給される。
これ以上ないくらいの手厚い処理に遺族は不満よりむしろ恐れ入っていたが、皇帝は十二個師団が成立された現在でも、その話題がのぼると沈痛に眉を寄せ、額に手をやる。まだ慣れぬ皇帝としての気配り、それが取り返しのつかない悲劇を巻きおこしたことに彼は猛烈な後悔の念を抱いているばずだ。ヌスパドはそんな皇帝を尊敬している。この男に仕えていてよかったと思っている。
---------しかし、あの部下、あの自分を庇って死んだ淮佐に、そう思わせるほどの男だろうか、自分は?
ヌスパドは忘れられない、あの淮佐の言葉、あの重さ。
冬になれば思い出すのだ。
---------くすくす笑いの絶えない夜……身を切るように冷たい空気が、あたかも避けるかのように渦巻く熱気の周囲にひらめいている。手足を押さえる腕……代わる代わる自分の上に乗る少年たち……シャルクはただ、今までのように耐えるだけ。
「もっと足を開かせろ」
無理矢理口づけさせられる。肌の上をすべる指、熱い息、そして軽侮、侮蔑のくすくす笑い、凌辱の言葉、自分を嘲る視線の数々。
「ほらこっちを向けよ」
「淫売め。どうせ今までもこうやって人をたぶらかしてきたんだろ」
ここに来て彼らに凌辱され、それが初めてだったということを承知の上で彼らはシャルクを侮蔑する言葉を次々に吐いては、彼を代わる代わる犯していく。そう、毎晩毎晩。
最初の時も泣いた。泣けば彼らが一層喜ぶとわかっていながらも耐えられなかった。今も時々声を上げずに泣いている。声を出さずに泣く習慣が、たった十三歳の少年の身についてしまった。シャルクは泣き続ける。
毎晩毎晩……
「それでは、ディドーン殿。お世話になりましたな」
「奥方によろしく」
冬の朝ヌスパドは庵を辞した。自分のような部外者が首を突っ込んでもどうかと思ったので、敢えてあの朝見聞きしたことは言わなかったが、ディドーンほどの者だから、ある程度のことはわかっているのかもしれない。
馬上でそんなことを思いながら、ヌスパドは白い息を吐き山を降りた。山から見る平原の朝の美しさはたとえようもなく、一瞬馬を止めて見とれてしまったほど。ディドーンが下界を嫌ってあんな山奥に住むのもわかったような気がした。
目を細め平原に散った一人の部下のことを思う……。
---------冬が来れば思い出す、あの部下の微笑み、あの言葉。
そしてヌスパドはまた馬を進めた。帝国では、愛する妻が自分を待っているはず。
大佐殿……自分は大佐殿のようになりたいです
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