第四章 冬籠もりの間に 5

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 不動将軍ラシェル。

 めったにものに動じぬ冷静な男。帝国十二将軍のなかでもアナスタシア、カイルザートと共に帝国の頭脳と賞された男。第九個師団藍蓮隊は彼の采配のもと一糸乱れぬ動きを見せその戦い苦しむことを知らぬという。知性に富んだ男で、前述した二人と共に帝国の三大知識人とまで言われている。この三人が共に組んで戦をすれば恐いものなし、敵は采配する三人の将軍の名を聞いただけでも竦み上がって降伏するに違いない。しかしラシェルは、アナスタシアともカイルザートとも違った恐怖を敵に起こさせる男だった。いつも冷静で、アナスタシアとは違って何を考えているかちょっとわからない、掴みどころのない部分がそうさせるのかもしれない。

 それは、彼の通ってきた人生でやっとのことで辿り着いた、かけがえのないものなのだが、他の将軍たちのように彼と近しくないと、わからないものなのかもしれない。

 幼い頃から覚めた少年だった。あまり笑わず、友とも遊ばず、気が付くと一人で木陰でなにか考え事をしているというのが通例だった。なのに友の間では人気があって、いるのかいないのかわからない、どうでもいいと扱われているということはなかった。ある意味では大人だった。そして少年は、早すぎる大人のぬかるみにはまった。彼はいつも思っていた、

 生きてきた意味は? なんのために生まれてきたのか? なにをするために。そしてはたと思う、自分の存在価値のことを。次いで考える、自分は別に、生まれても生まれなくてもよかったのではないか、自分が生まれなくても、なにも変わらないのだったら、生まれても生まれなくても、どちらでもよかったのではないか。一度考え始めればきりのない

ぬかるみ。

 厭世的な影は少年につきまとった。そして死んでいく。---------何が起こる? なにも起こらない……。

 それは苦しいものだった。どういういきさつで少年にそのような哲学的な悩みが生まれ出でたのかは謎だが、とにかく彼はそういうわけでずっとそんな悩みを、解決の糸口もないまま抱え続け、成長していった。十五歳、中尉扱いで軍に入隊した。軍隊に入れば少しはなにかわかると思ったが、何も、少しも変化はなかった。彼はずっと答えを探し続けた。よく男は、いつも精神的に飢えていないと魅力がないと言うが、ならばそんな彼は魅力的だったに違いない。しかし目的のない分、そこにはなにか虚ろな瞳があるのみで、近寄りがたい獣のような崇高すぎる光を放っていることも事実だった。しかも何かの答えが見つかると思って入隊した軍の生活は彼に良い影響を与えなかった。

 戦い、負け、または勝ち、栄え滅びていく。

 いつかは滅ぶとわかっているのに、なぜ無益なことをする? そんなことのために戦をするな。いつかは滅びるものなのに、なぜ栄えようとする。無駄な。無益だ。時間も金も人の生命も。それが人の営みだというのなら、そんな営み自体が間違っている。

 しかしそんな彼の思惑とは逆に、彼はどんどん出世していった。元々、兵法や剣術には長けている。そしてこれは生まれつきというか、天性のものなのだろうが、彼は人を使うのがうまかった。実に的確に、その人間の個性や性格や得手不得手を見抜いては、てきぱきと命令を出していく。五年で淮佐になった。相変わらず悩みはふくれたまま。ある休暇の日、レーリェにいる大伯父に会いにいった。かなりの距離なので騎馬でも三日かかった。 彼は途中アデンの街に立ち寄り、かつての栄えぶりが嘘のような街の変わりように驚愕し、そしてああ、こんなものだと思った。

 いつかはこうして滅びるもの。

 アデンの荒廃ぶりは象徴的だった。

 彼はため息まじりで滞在するはずだった街を通過しその近隣の中都市に泊まった。途中で小さな村の側を通った。

 子供が元気に走り回っている。その中に、白い肌と、おそろしくきれいな青い瞳、金の髪の少年が彼の目をいっそう引いた。少しやつれた後があるが、幸せそうだ。思わず馬を止めて見ていると、どうやらその少年の母親らしいのが呼びにきた。父親もあとから来ている。そこでラシェルは意外に思った。

(あの少年はあの二人の子供ではないのか)

 どちらにも似ていなかった。両親とおぼしき二人は、茶色の髪と黒い目で、顔立ちも少年とは似ても似つかなかった。しかしそんなことにも構わず、ラシェルはその日の午後すぎにレーリェに到着した。大伯父は今年九十八。一族でも一番の高齢で、ちょっと変わったところがあり、現役を引退すると一族と遠く離れてさっさと隠居してしまった。

 ラシェルは彼が大好きで、よく昔から話を聞かせてもらったり、のた自分の話を聞いてもらったりしたものだった。

「どうじゃ、答えは出んかの」

 ラシェルのうなづきに大伯父はうむ、と呟いたのみであった。彼は、いつも生き生きとしていて。何もかもが楽しそうで。

「伯父上は、楽しいですか?」

 思わず聞いてしまった。窓の外を見ていた大伯父は、振り向いて破顔した。

「楽しいとも。毎日毎日が楽しくでたまらん。ハッピーハッピーじゃ」

「……」

 思わず沈黙するラシェル。

「……伯父上は……」

「うん?」

「伯父上は、何のために生きているのですか?」

「---------」

 大伯父は真面目な顔になった。

「お前は相変わらず真面目だのう。目標がないとそうやって納得するまで答えを探す」

「……伯父上は、ご自分の生きてきた意味を掴んだんでしょうか」

「ふうむ。……」

 大伯父は腕を組んだ。そしてしばらく考えた後、

「ではラシェル、明日儂と一緒に丘へ行こうか。そうだな、夕方の方がいいか。悩むのはその後でもよい」

 そしてラシェルは結局その晩レーリェに泊り、かつて栄えていた男爵家の屋敷後を見て所詮栄枯盛衰の運命と感じいり、さらに追い打ちをかけるように、昨日の村がアデン党に襲撃されたことを聞いて、どんなものも滅ぶという運命からは逃れられない、ならば最初から生まれいずる意味もないと、ため息をついた。そしてちらりとあの幸せそうな少年のことを思った。なんでも、村の人間やアデンから逃げた者たちは浮浪して今はリューヴに流れつく者もいるとか。あの少年は無事だったろうか。そんなことを思う内、時は夕刻、大伯父と丘へ行く時間になろうとしていた。

 野を歩きながら、しかしラシェルは内心では何の意味もないように思った。こんなことをして、何になるのだと思っていた。

「ほれ見ろ」

 ハッとして大伯父を見た。顔が真っ赤に染まっている。そして彼は、まっすぐ彼方を見つめていた。何を見ているのかと思いその視線を追う。

「---------」

 それは、見たこともないくらいの美しい夕日だった。息が詰まった。何か言おうとして何も言葉が出ないことに気付いた。

「どうじゃ、きれいじゃろ」

「……」

「自然はみな美しい。そしてこの自然の環の中に生まれた以上は、何の意味も持たずに生まれたきたものなどない」

「……意味……」

「そうじゃ。生命が生まれてくる意味。

 それは今こうして美しい夕日を見ることでもある」

「---------」

「そして今まで、そしてこれから出会う人間に、出来事に、出会うために人は生まれる」

「---------」

 大伯父はラシェルの方を見た。

「こうしてお前と夕日を見るのも、儂が生まれてきた意味じゃよ」

 ラシェルは、何も言うことができなかった。


 その晩青年は眠らずにずっとベットに腰掛け、明かりを一晩中点けて動かなかった。彼の九十八になる大伯父は、それに気付いてはいたが、放っておいた。

 次の日ラシェルは明後日の休暇明けに向けて帰還することになった。青年の顔からは、今までの迷いのような、おかしなもやもやした空気が全身から消え、晴れ晴れとした空のように澄んだものが代わりに佇んでいた。大伯父はそれを見て、

「悟ったようじゃの」

「はい。色々伯父上にはお世話になって」

「よいよい。また遊びに来い。待っておるぞ」

 ラシェルは強くうなづき、そして会釈すると、馬に乗り大伯父に別れを告げた。その後ろ姿を見つめ、一言大伯父は、

「ふふふふ……あれは大物になるぞ」

 六年後、その言葉は真実となる。


 不動将軍ラシェル。

 冷静で、何を考えているのかちょっとわからないと人は言う。しかしその冷静さが、長く悩んで悩みぬいた後にやっと手に入れた悟りがそうさせるものだということを、そう言う者たちは知らない。その表情に潜むやさしさにも。


 何のために人は生きる……

 今、在るために。


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