第三章 将軍の涙 11
「大将」
「はっ」
「状況報告を」
「はい。敵の数は推測七千、全軍の数が向こうは三万ほどですから、約四分の一。魔導部隊はありませんが弓兵と大砲にお気を付けを」
「ふん、弓兵など構ってもおれん」
呟くと皇帝は立ち上がって吊りかけてある地図を見た。魔導部隊なしで戦争をしようとする国など、いまどきルクリーエくらいなものだろう。蛮族が、と低く呟くと、皇帝は忌ま忌ましそうに舌打ちした。この時期に戦を仕掛けるとは。おかげで予定が台無しだが、それはそれでこちらにも考えがある。彼の瞳が危険に光った。
そんな皇帝の後ろ姿を見てイヴァンは不可解だった。皇帝の軍隊金鷲隊は他の十二個師団より騎馬隊が五百多い五千百人。数はあちらが有利だが、兵士のレベルでいったらこちらのほうが数段高い。なにも一万五百で戦わずとも、ルクリーエごときの兵士、皇帝ならば自分の部隊だけでことたりるはずだ。それをなぜ?
「出陣だ」
ハッとしてイヴァンは顔を上げた。将軍不在の今、氷竜隊はアナスタシアに代わって自分が責任もって管理せねば。
「よし。魔導部隊は両翼に別れて移動せよ。囲んで重装兵。弓兵は三人一組で少し離れて行動しろ」
皇帝がてきぱきと指令を出し始めた。イヴァンは状況が圧しているにも関わらず息を飲んだ。皇帝の采配ぶりを直接見るなんて、もうないかもしれない。
「出撃!」
レリック会戦の火蓋が切って落とされた。
皇帝は自ら剣を抜いて側近と共に戦った。イヴァンも、指令に忙殺されながらも能く戦った。魔導部隊の魔法があちこちに炸裂し、空気が凍り、また空気が熱くなり、風が空を舞い、空からは雷が雨あられと降り注いだ。矢が飛び散っては血飛沫がはじけ、剣を振るうたび誰かが倒れる。イヴァンは耳鳴りでなにも聞こえないなか怒鳴り続けた。そして改めてアナスタシアの有り難さと恐ろしさを認識した。彼は後方のあたりで氷竜隊率いて戦っていたが、皇帝が前線で戦っているのは、こちらからでもよくわかった。
そしてその頃皇帝ヴィルヘルムは、最前線で側近たちと戦っていた。金鷲隊の先頭に立ち、目の前の敵と睨み合いを続けている。前にいるのは六人の男、そしてその後ろには何千ものルクリーエの兵士たち。
「皇帝か」
その内の一人が彼にしか聞こえないような声で言った。卑しい笑いを口元に浮かべている。先頭にいた男が呟いたのをまるで合図のように、他の五人も口々に言い始めた。皇帝
の側近は離れた場所にいて、傍から見れば皇帝と六人の男の睨み合いに見えただろう。
「帝国はお高いなあ」
「オレたちを受け入れないなんてほんとに目が曇ってるぜ」
「あんなにいい女を部下にもってるくせにな」
男たちはいっせいに卑しい笑い声を上げた。嘲笑のような、勝ち誇ったような。
「---------」
皇帝は黙っていた。彼らが何を言うかを、わからないながらにも待っていたのはこの男の性格だろう。
「しかしいい女だったな」
「アナスタシア、とか言ったっけか」
「実に味わい深い女だったぜ」
「なにやっても反応しないのが玉に瑕だったけどな!」
それから男たちはまた大きく笑った。その卑しい笑い方には、皇帝も眉を寄せた。それから彼は呟く、ひどく危険な光が瞳に宿る。
「貴様らか……」
皇帝の剣が、きらりと光った。
4
脅威の回復力を誇示するかのようにアナスタシアはめきめき回復していった。まだ大きく動くことはできないが、立ち歩きするくらいのことはできるようになった。あの反乱軍狩りから数日、冬がいよいよ本格的になろうという頃、アナスタシアを訪ねた者がいた。 アルであった。
「お前か」
「……」
彼は何も言わず勧められるまま椅子に座った。アナスタシアはこの時部屋で薬湯を飲もうとしていた。アナスタシアは彼がなにをしに来たかはだいたいのところわかっていたが、敢えて何も言わず彼を見つめるばかりであった。
「今回のことは本当に感謝している」
「……」
「あんたがあそこまでやってくれるとは思わなかった。正直驚いた」
「だろうな。私は世間では冷徹で通っている」
「それで……」
しかしアルの言葉を、アナスタシアは遮った。
「アル」
「---------」
「何度言っても同じだ。すまないがお前たちにつくことはできない。私が仕えるのは皇帝陛下のみだ」
「……」
「春になる前にここを去る。世話になった」
「---------」
「すまない。ここにずっといてお前たちと戦うことも……お前の気持ちに応えることも……私にはできない」
「! ---------」
彼は立ち上がった。
「アル」
静かなものだった。そしてもうその瞳には、迷いや暗さは感じられなかった。なにもかもを吹っ切ったような目をしていた。彼はそのまま何も言わずに部屋から出ようとした。「アル」
「---------」
アナスタシアは、彼が扉に手をかけようとした瞬間に声をかけた。
「お前に会うのがもう少し早かったら……陛下より早かったら……私はここに留まっていただろう」
「……」
アルは振り向かなかった。ただ扉を見据えたまま、
「……ありがとう」
と低く言ったのみであった。アルが立ち去ったあと、部屋にはアナスタシアと、差し込む夕日ばかりが残った。
年も終わりにさしかかろうという頃、男たちは麓に買い出しに出た。年末と年始の特別な食料や習慣のためのものを揃えに行くのだ。全員が出ていってしまい、残ったのはファーエにつきっきりのゼファくらいなものだったが、別にいつものことだし、誰も不安に思わなかった。アナスタシアはもう歩き回れるようになっていたが、その時はたまたま部屋で一人、くつろいでいた。悲鳴が聞こえてきたのは、そんなときであった。
「またか」
アナスタシアは呟いた。自分がいるからこんなに色々なことが起きるのか。それともただの偶然か。しかし表ではそうはいかなかった。
体躯逞しい男たちが剣、斧、それぞれの恐ろしげなる武器を片手に村を襲っている。身に纏った毛皮、かぶった獣の兜は山賊と一目でわかる出で立ち。
逃げ惑う女たちをひっつかんでは抱え上げ、食料を探しては奪っている。
「山賊……女と冬の食料が目当てか」
アナスタシアは立ち上がった。
その頃表では、女たちが逃げるか、あるいは果敢にも戦おうとしてかなわず、服を破かれ、あるいは抱え上げられ、暴虐の限りを尽くされている頃であった。
「このお、おばさんを離せっ」
ファーエは棍棒を持って山賊の一人に走りより、そのまま突き飛ばされて吹っ飛んだ。 少年を恐怖が襲った。このままいけば倉庫に追突する! 彼が目を瞑った瞬間、凄まじい衝撃が彼を襲ったが、不思議と痛くなかった。
「? ……」
「ファーエ。下がってろ」
ゼファだった。彼が身を挺してクッションになってくれたのだ。ゼファはファーエを突き飛ばした山賊を見事な剣さばきでいとも簡単に血祭りにあげると、ファーエをひょいと肩に乗せて、
「行こう」
と村のまた別の場所に走っていった。悲鳴がやまず、山賊の持っていた松明かなにかが燃え移ったのか、家が盛んに燃えている。ゼファはそれを消しにかかった。
「きゃああああああ!」
「おとなしくしなって、かわいがってやるから」
アシオスの妻のアエリアも他の女たち同様襲われていた。相手は三人、抗っても勝ち目はなかった。息子のゼティオンがしきりに泣いている。
「うるせえ。おい、ガキを黙らせな」
アエリアは蒼白になった。
「やめて!」
「おっとお前はこっちだ。旦那なんてやめてオレにしろよ」
「誰か!」
ゼティオンが山賊に抱き上げられたのが見えた。アエリアは涙も拭かずに叫び続けた。 服が破られるのも構わなかった。知らない男にのしかかられるのも構わなかった。
「誰か! 誰か助けて! あの子を助けて!」
アシオス……!
アエリアは目を瞑った。知らない男に凌辱される。息子が殺される。夫はいない。
ゼティオンの泣き声が恐怖で一層高く、甲高くなった。アエリアは喉もつぶれんばかり叫んだ。
「誰かぁぁああ!」
ザシュッ……
それは息子が刃の犠牲となる音だった。アエリアは絶望で目の前が真っ暗になった。重く息を飲み、愛する夫の顔を浮かべた。そして知らない男が重く、しなだれかかってくるのに、ようやくのことで気づいた。
「? ……」
アエリアはいくらか正気になって自分にのしかかっていた男を見た。胸に顔をおしつけたまま動かない。顔を起こして見てみると、背中からは血が流れていた。そして目の前には、黒い影。光を背にして、誰かが立っている。
ああ、その影。髪は獅子のごとくたなびき、携えた剣はさながら雷のよう。
「大丈夫か!」
氷姫だった。
「……アナスタシア……」
「な、なんだ貴様はぁっ!?」
ゼティオンを手にかけようとしていた山賊の二人も振り返ってアナスタシアに襲いかかる。アエリアは目を瞑った。あんな大男が二人では……! それに彼女は肋骨がこの前まで折れていたのだ。
「うわぁああああっ!」
しかしアエリアの聞いた悲鳴は別のものだった。目を開けると血まみれのアナスタシアと、その足元には山賊が二人倒れていた。
「大丈夫か?」
彼女はしゃがんでアエリアを見、来ていた上着をそっと肩からかけてやり、
「息子を連れて早く、リィナのいるところに。集会場だ」
アナスタシアはアエリアを急かした。そして彼女がゼティオンと共に逃げるのを見ると後ろから襲いかかってきた山賊をまたひとり斬った。
「……」
アナスタシアは胸を押さえて、しばし剣を杖に屈んだ。
まだ少し痛む……。肋骨はもう折れてはいない。が、こんなひどく不安定な状態でこのまま暴れ続ければ……---------
「……っ……」
アナスタシアは脂汗を払って姿勢を正した。胸が痛い。息が荒い。そして荒い息を整えようとすると、激しく襲う胸の痛み。
「後だ」
アナスタシアは呟くと、再び駆けるようにして山賊たちを斬りにかかった。ゼファと途中で行き会った。
「お姉ちゃん……」
さすがのファーエもアナスタシアを信じられないように見上げた。長身の彼女は血まみれだった。アナスタシアは大きく息をつくと、
「ゼファ、あっちにまだいるようだ。急ごう」
「ああ」
「ファーエ。お前は集会場に戻ってリィナに鍵をかけるよう言え。そのままそこにいなさい」
「僕も戦うよ!」
アナスタシアはしゃがんで視線を等しくした。
「ファーエ。表で戦うことだけが仕事ではない。お前は集会場に行って、女たちを守っておやり。お前が守るのだ」
アナスタシアは短剣をさしだしながら彼に言った。
「さあファーエ」
ゼファも彼をうながす。ファーエは少し戸惑ったように二人を見上げると、短剣をぎゅっと握り締めて走り去った。
「ようし本番だ」
ゼファはくすぶっている家を見ながら言った。
「あんた大丈夫なのか」
「なんとかな。行こう」
家に火をつけようとしていた六人の山賊は二人を見ると、少数と見て侮ったか襲いかかってきた。
やがてすべての山賊が息絶えた頃、アナスタシアも限界をはるかに越えていた。戦うべき敵がいなくなったのを見てアナスタシアはその場にへたりこんだ。
「アナスタシア……!」
「……やれやれ……限界か」
彼女は低く呟いた。その顔が脂汗でびっしょりなのを、リィナはその時初めて気がついた。
「と……とにかく中に!」
「その前に風呂に入りたい」
「ばか言ってないで! 誰か手を貸して!」
男たちが戻ってくるのにはまだ時間がある。家は三戸ほど焼かれたが、いずれも半焼に過ぎず、大した被害はなかった。怪我をした女もいたが、かすり傷で、これも気をつけていれば大事にはならないらしい。男たちが帰ってきたのは夕方だった。まだ燻っている家からの煙に不審を感じたのか、血相変えて戻ってきた。そして事の経緯を女たちから聞くとまず真っ先にアナスタシアに会おうとした。今風呂に入っているという。
「血だらけなの。やっと応急処置が終わって一息いれてるんだから、後にして」
そう言われるとどうしようもない。もう一人活躍したというゼファは山賊たちを葬りに行ったというので、男たちも十数の死体を抱え上げてゼファのいる場所へと行った。
そしてそれが終わって彼らも汗を流し、一息入れる頃は、アナスタシアも人に会える状態だというので、彼らは部屋へと赴いた。
「何と言ったらいいか……」
妻と息子を助けられたアシオスがまず言った。アルとテュラは反省したように何も言わない。アナスタシアはベッドに起き上がったまま言った。
「なに……それより不用心だな。ゼファがファーエのお守りでよかったと思え。いくらなんでも、反乱軍にしては用心が足りなさすぎだ」
「それは充分反省している。本当に感謝する」
アシオスは素直なものだ。アナスタシアは疲れたのか、小さく息を吐いた。また当分は起き上がれないかもしれないという。
それを見てテュラが、こらえきれないように言った。
「なんで……なんでそこまでやってくれるんだ?」
「なんで?」
「そうだよ。あんたに助けられたのはこれで三度目だ。どうしてここまで……」
「生命を救われた恩に報いただけ」
「それは食料のときで帳消しだ。借りどころか貸しじゃないか。なんでだよ」
「……一回で借りが返せるような安い生命だと思っているのか」
アナスタシアは無表情に言った。
「---------」
「なんだって……?」
他の男たちも聞き返す。
「私は帝国の将軍だ。五千人の生命と生活を預かっている。彼らの日々の生活は私がいるからこそ成り立っている。しかし私がいることで生活しているのは五千人だけだと思うか? それは違う。彼らの妻や子、或いは父母もいるかもしれぬ。それを含めば数は七千は越えよう。お前たちは私一人の生命を救ったと同時に、それを媒介に何千人もの人間の生活を救ったのだ。貸しなどと」
何も言えなかった。
たしかにその通り、そして目の前の女が帝国を語るときのその威厳に、誰もが口を開くことができなかった。
「もう疲れた。眠らせてくれ」
一方的に追い出され、彼らは部屋から出ると、まずテュラがリィナに言った。
「大丈夫なのか」
「ええ。ちょっと疲れてるだけ。さすがに帝国の将軍は鍛え方からして違うわ」
「違う。君だよ」
「え……」
テュラはリィナを抱き締めた。
「テュ、テュラ……」
「よかった……無事で……」
そしてこんな光景が見られるのは、この二人だけに限られたことではなかった。特に最愛の妻とその息子を助けられたアシオスは、家に帰るとまず、しっかりとアエリアを抱き締めた。
村の夜が更けていく。
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