第三章 将軍の涙 8

 冬が来た。一年中雪のここら一帯では大して変わりはないだろうと思っていたアナスタシアは、やはり季節の違いで気温ひとつをとっても違うのだと、思い直していた。朝の冷え込みは一段と厳しく、夜もたいていは吹雪いている。アナスタシアはまだ立つことはできなかったが、ようやくベッドから解放されて、部屋の外に出てこの前のように長椅子に座り、リィナの手仕事の手伝いくらいはできるようにった。将軍だからそんなことは死んでもやらないだろうと思っていたリィナは、少々拍子抜けした。死ぬほど退屈なのだろうと思ってそれを言うと、

「なに……軍隊にずっといたからな。あまりそういうお高い気持ちにはならん」

 と疲れたため息をつきながら言った。まだ少し、起きていると疲れてしまうのだ。

 村人はアナスタシアの人柄に惹かれたのか、暇があるとリィナの診療所は人がいるということが多くなった。特にファーエはつきっきりだ。

「帝国はなぜあんなに戦を続ける?」

 ある日テュラが真面目な顔で言った。

「いくつもの国を支配下において、いったいなんのためにそんなことを?」

 アナスタシアは手元を見て、それから顔を上げると言った。

「お前の言っていることは少し違っている。帝国が今支配下に置いている国は七つだ」

「え……だって……」

「戦争で負けた国を属国にするのと支配下に置くのとは違う。属国は、国としては独立しているし国王もいる。すべての決定は国王とその民にあるし、法もその国のものに基づいている。単に帝国の庇護を受けているというだけだ。支配下は違う。支配下に置くというのはすべて帝国の世話になるということだ。経済も何もかも。だから次の国王が決まるときは必ず皇帝陛下に挨拶しにいく。まあこれは、属国でも同じだがな」

「……ではなぜ毎年のように戦を……?」

「さあ……私にも陛下のご真意はわからない。しかしテュラ、お前に聞くが、なぜ反乱軍などといってシェファンダに抵抗している?」

「……それは……暴政や税金の取り立てがひどいし……軍人が幅をきかせててちょっとぶつかってもすぐ斬り捨てられる。国民を人と思っていないんだ。道具なんだよ」

「そのシェファンダが世界を統一したら悲惨だろうな」

「あ……!」

 アナスタシアは口元に微笑を浮かべた。やっとわかったかと、その藍色の瞳が言っていた。

「陛下が大陸統一に乗り出したのは、そんなシェファンダの動きを防ぐため。そして人々がより平和で誰もが豊かな生活を送るため。帝国はそれを実現する力を持っている。支配下にせず属国にするのもすべてを縛る意志がないからだ。……と私は思う」

「---------」

「でも陛下のご真意はわからない。なぜ戦を続けるかも、陛下はおっしゃらない。あんな苛烈な生活をしているにも関わらず、陛下はいつも余裕をもっていらっしゃる。春は戦、夏は政をしながらひとときの避暑に。暗殺、謀略は当たり前、冬は宮殿に籠ってずっと政をしておられる」

「そんなに……」

 テュラは絶句した。あの皇帝ヴィルヘルムの魅力の凄まじさは彼も聞いている。なにゆえの魅力であろうか。そして彼は、目の前のこの氷姫と他の将軍と共に、平原を駆け何を思うのであろう。平原を駆って駆って、さらに彼方まで、貪欲に飽きることなく。

 ふと顔を上げるとアナスタシアは窓の外の雪を眩しげに見ていた。

 皇帝のことを考えているに違いなかった。

 白は、アナスタシアを彷彿させる。そして水色もだ。冷たいイメージの色は彼女によく似合う。案外皇帝も同じことを考えて氷竜隊の象徴色を考えついたのかもしれない。朝の光はまぶしく、テュラも思わず目を細めたときだ。

「たっ大変だ!」

 村人の一人のティコが、息を切らせてテュラのいる診療所に駆け込んできた。

「どうした」

 テュラも尋常ならざる空気に剣を引き寄せる。

「シェファンダの……反乱軍狩りだ!」

「なに!」

「単独で五百ほど。麓にキャンプしているから、昼にはいっせいに来るぞ!」

「リーダーは……アルは!」

「今数人と調べに行ってる! テュラ、あんたも来てくれ!」

「よし……!」

「待て。単独ということは、シェファンダ本国はこのことを知らぬのか」

「そうだ」

「わりとよくあることだという顔だな」

「南や西でも同じことがよくある。本国には何も知らせないで、見つけたらすぐに討伐に出るんだ」

 テュラは言い置いて子供たちを中に入れ、リィナに鍵を閉めるよう言うと、自分も表へ出ていった。外では男たちが武器を手になにごとか叫びあっていた。集会場のリィナの診療所は、すぐに女たちや子供でいっぱいになった。

 アナスタシアは爪を噛んだ。五百といっていたか。戦では大した数ではないが、この村の男の数を考えれば圧倒的に多い。アナスタシアは近くのファーエを呼び寄せた。

「ファーエ、こっちへ」

「お姉ちゃん……どうしたの? 怖い顔」

「お前は身が軽い。それに以前この山は自分の庭だと言っていたな?」

「うん。ゼファもついてこられないんだ。目を瞑っても歩けるよ」

「よし。村はもうじきシェファンダの兵士に囲まれる。私が動けない以上はお前たちを使う他ない」

 ファーエとアナスタシアの話は、防備に余念のない支度を始めている女たちの慌ただしい様子で誰にも気づかれない。

「ファーエ。よく聞け。お前はこれから山をひとめぐりして、その様子をすべて私に伝えるんだ。どこに木が何本あるか、雪の状態はどうか、どれくらい人が通れそうか、方角、傾斜、すべてを見て聞いて、昼までに戻ってこい。やれるか」

 肩をやさしく掴まれたままファーエはうなづいた。瞳は強い光を放っていた。

「よし。もし兵士を見つけても絶対におかしな真似はするな。気がつかれないように逃げてこい」

「わかったよ」

 ファーエは言うと、台所の裏口からそっと出ていった。誰もそれに気付く者はいなかった。ゼファですら、表の警備のためその時は外にいた。


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