皇太子は月に焦がれる

第五話

 二年前、柄でもない一目惚れをした。その光景は、鮮明に覚えている。











 ゴン、ゴンゴン――。

 ほんのりと空が紫を帯びた橙に染まり、夜が明けてゆく早朝。女官たちが清掃を始め、シェフが朝餉のためのエプロンをつける時間。

 普段ならば静寂に包まれているはずのサビナ宮殿に、あまりに相応しくない粗暴な音が鳴り響いている。


「るっせー……」


 ベッドから起き上がったアダンがかすれた声で呟くと、少年らしい溌剌としたボーイソプラノが返ってくる。


「兄さん! ねえ、早く開けてください!」


 声の主はアダンの異母弟で、まだ十一歳のルイスだ。


「うっせーんだよ。時間考えろ。てかさっさと入れ」


 錠を外し、ガタンと乱暴に扉を開けたものの、ルイスは悪びれた様子もない。気の知れた兄の寝室は自分の部屋も同然なのである。

 とはいえアダンもそれ以上文句を言うことはなく、自身のベッドにルイスを座らせ、自分は一人がけのソファに腰掛ける。


「で、用件は?」

「明日の宴のことですよ。大陸中の王家や有力者が集まるというのに、我が国の皇太子殿下が欠席するのでは国の面子が立ちません。ですからなんとしても参加するようにとの、皇后陛下からのご命令です」


 予想はついていたことだったが、ため息が漏れた。

 会議のたびに客を招いてもてなす王家同士の宴は、民衆の間ではひそかに「合同婚活パーティー」などと呼ばれている。


 実際にはそういう目的もないこともないのだが、開催国にとって一番重要なのは、いかに豪華で華やかな宴を開き、客をもてなし、その国の権威を見せつけるかということであった。


 つまり皇后は、この国の『格』とやらを落とさないためにアダンに参加しろということらしい。


「……参列者は」

「太陽の国からはムスタファ殿下とその弟君のジャミル殿下、妹君のラディカメリア姫がお越しになるようです。鏡の国からはカイル国王陛下にマリア・ミルア王后陛下ご夫妻、海の国からは第一王子ルキウス様と第二王子マルコ様、それから森の国からも皇太子ご夫妻がいらっしゃるのと、月の国からは国王と双子の王子と姫がお越しだとか」

「マジかよ」


 黄金の国クロノスと並び、タイタン大陸の強国である太陽の国ヒュペリオン。

 その皇太子であるムスタファは、母同士が姉妹、つまりは従兄弟であり親友でもある。

 その同母弟の第四皇子ジャミルも弟の様に可愛がってきたので、久しぶりに会えるのなら嬉しいことだ。


 しかし、問題は皇女ラディカメリア。

 彼女は目下、太陽の国出身の皇后が一番に推薦する婚約者候補なのだ。

 自由を愛し束縛を嫌うアダンにとっては「天敵」とさえ言っていい相手である。


「……まあ一日だけですから。ね?」


 などと十一歳に気を使われようが、アダンにとってはなんの慰めにもならない。するとルイスは空気を換えようと、新たな話題を提供した。


「そういえば、ムスタファ様の噂を聞きましたか?」

「噂?」

「はい。なんでも、近いうちに即位されるのではないかと太陽の国の人々の間で囁かれているそうです。皇帝陛下は退位して、属州であるプラテュ島で暮らすご予定だとか」

「即位ねえ……」

 

 同い年の親友が即位間近。互いが皇位継承権すら持たない頃からの仲としては、どうにも実感しにくい話である。

 

「だから、宴に参加する若い女性は気も漫ろですよ。ムスタファ様のお眼鏡に叶う相手がいらっしゃれば、その方は太陽の国の皇后の地位に一番近いということになりますからね」

「はぁ……。アイツも大変だな」


 親友というだけあってアダンと似た気質を持つムスタファは、自由を好み、束縛を嫌う。幼少期に親から決められた許嫁に対し、はっきりと「どうでもいい」とのたまい相手を怒らせた結果、婚約が破断になったことさえある。

 この状況には、さぞかし迷惑していることだろう。


「ま、行ってやるか」


 そんな状況ならば、親友に慰めの言葉の一つでもかけてやろうじゃないか。

 こんな軽い気持ちで出向いた明くる日の宴にて、運命の出会いがあるなどは、知りもしなかった午前五時。

 

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