小平秀人はゲームのルールを更新する
正直、小細工の気配は丸見えなのだが、件は気にしていない。
それでいい。
件は俺という獲物を手に入れて、今のところ満足している。
目の前の貧弱な獲物が、外部との連絡手段を持っているなどとは、想像もしていないし、仮に知っていたとしても、だからどうした? という程度だろう。
──それにしても悠長すぎるぞ、件を止めておくのも……限界だ。
何の気もなく件が魔力を放った瞬間、どうやら通話が切れたらしい。少女と妖怪が見た目にも哀れなほど、ぶるぶるとふるえている。
ふりかえれば、件がまっすぐに彼らを凝視している。
見られただけで心臓が縮み上がる、か。まあ、そうだろうな……。
「や、やあ、お目覚めみたいだね」
「は、ハロー。あたしサダヲ。こちら、すず。よろしくにゃん」
言いながら、サダヲと名乗った水妖が、水溜りにゆっくりと沈んでいく。
ぽちゃん、とその身が完全に姿を消す直前、すずという少女との間に視線が交わされたことを確認し、俺は少しだけホッとする。
ロールプレイだ。役割を果たしてくれよ。
やがて残された少女は、ロリポップの棒のさきを小刻みに揺すりながら、なにやら慎重に観察している。
舞台装置と相互の位置情報を把握、計算している、というところか?
見まわせば、神社の境内にもまだいくつかの水溜りが残っている。なかでも件の付近には、思わず目を背けたくなる大量の血溜まり。
そこに目を止めた理由は? 単なる恐怖か?
なるほど、客観的に見ても、牛頭の人間と、女の顔をつけた牛の横に、引き裂かれた人肉の残滓と、大きな血溜まりがあったら──ちょっと怖いとかいうレベルの話ではないが。
「さて……この距離なら、一撃くらいは回避して、最短距離をとれば……」
少女がつぶやいたつぎの瞬間、彼女の目の前は真っ暗になっただろう。
──残念だったな。回避とか、そういうレベルじゃないんだよ。
彼女の目の前、指呼の間に、件の巨大な黒い身体がある。すこし視線を上げれば、不気味な女の顔がある。
「ひい……っ」
件は少女の襟首をつかまえると、引き返してきて、俺のまえにそれをぺたんと置いた。
「喰うか?」
母が子の前に餌を置くような感覚だと気づいた。
──そうだ件、それでいい。
少女はごくりと喉を鳴らし、俺を──目の前の〝牛の首〟を見上げる。
「こ、こんばんは、あたし、霧島すず、です。その……」
「心配は、いらないよ……」
ちゃんと聞こえたかどうか、自信がない。
この首に圧迫されて、うまく唇が動かない。
どうやら聞こえたようだ。彼女は高速で、なにかを考えている。
「秀人さん、ですか?」
俺は安堵しつつ、わずかにうなずいて見せた。
それを、件が恐ろしい表情で見つめていた。
件は白い唇を動かし、何事かを言った。
「ならば、わしが喰ろうて」
「だめだ」
俺の手が、件の動きを制した。
件と少女の間に割り込むような位置取りで、少女の耳に大事な言葉を伝えるべく試みる。
「心臓の、位置に、要石で、いいのか?」
その瞬間、ぞくり、と少女の背中が痙攣した。
俺の視線は、数時間まえに俺自身が恐怖で立ちすくんでいた場所を探して動く。
──そこだ。数歩先の場所。
かつて本尊として祀られていた、聖なる石の痕跡。
そこに心臓を押し当て、霊脈と直結する。
それでうまくいくかどうかは……わからないが。
とりあえず少女とのコンタクトには成功したと、いまは信じておこう。
じりじりと、俺たちが移動していることに、件はまだ気づいていない。
「喰らわぬか、たいらの裔」
「やめろ、件。これは、俺の……」
俺が思いどおり少女を喰わないことに苛立った件は、地団太を踏んだ。
「おぬしは、わしのものじゃ! おぬしの命は、わしが喰う、ゆえに、おぬしのものは、わしのものじゃ」
いましも飛びかかっていきそうな瞬間、絶妙のタイミングで少女が動いた。
手にしていたファブレットを投げつける。それは件を大きく外れて足元へと落下する。
当たる気遣いはないし、当たったところでダメージはない。
だが彼女が、自分のいる方向に対してなにかを投げつけた、という行動に件は逆上した。
「喰ろうてやる!」
がしっ!
その後頭部に、真後ろから踵落し。
水妖か、と即座にふりかえって、一撃必殺の斬撃を繰り出した──そこに予想どおりのものがいたならば、攻撃は瞬時に完結し、件は返す刀で少女を引き裂いたことだろう。
が、そこには件の予想を裏切るものがあった。
真っ二つにするために繰り出した件の腕の先には、すでに真っ二つに引き裂かれた後の下半身だけしかなかったのである。
それは、さっき自分たちが殺したばかりの向井の下半身。
「……?」
件は状況が理解できない。俺も正直、納得のいく理解はしていない。
だがここで重要なのは、理解できないものを理解しようと、件が考え込んだその空白の一瞬を、俺たちが見逃さなかったという事実だ。
巴の心霊トークに共感できる部分は多くなかったが、彼女の描く「魔術回路」ってやつには、エンジニアとして得心のいくアルゴリズムがあった。
だから彼女が描いた「死体操縦の呪符」という魔術回路が、情報端末を経由して転送され、死体の下半身が動いたとしても──そりゃおどろくが、その理屈まで、江戸時代からやってきた件に推測できるはずもない。
本来、他者の力を借りることはできないはずの戦い。
しかし、これはルール違反ではない。
道具は最初から戦闘フィールドにあり、情報の往来は許諾されている。ならば外部から情報を入力し、内部にある機械を操作して戦わせる、という戦法も可能なのではないか?
想定の裏、ルール違反ぎりぎりの喫水線で、俺たちは力を合わせ、件の動きを霍乱した。
──それは、全員がもたらした勝利の瞬間。
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