霧島すずは新たな絶望を教わる
「冗談じゃないな……」
あたしは首をすくめて、彼方で繰り広げられる激戦の結末から目を背けた。
「なによぉ、お友達のカタキ、討ってあげるんじゃないのお?」
いつものように低い位置から、サダヲの声が届く。
「安心しろ、いま、牛の首が代わりに討ってくれたよ」
逢魔が辻に捨て置かれた龍臣の
サダヲは、つまらなそうな口調を演じて、
「ふうん。じゃ、残敵掃討はしないのね」
むしろ掃討されるべきは自分たちなのだろう、と予想はできている。
「ま、まあ、きょうのところは見逃してやろうかな」
「死にたがりの鈴としては、絶対始末してもらえる安心クオリティの相手じゃないの?」
「バカか、見たろ、あんなふうに食い散らかされることの、どこが美しい死に方なんだ」
「まあいいわ。正直、アタシもああいうやつらの相手はしたくないし」
サダヲは、へらへら笑いながら水たまりに沈んだ。
そのとき牛の首が、ぐるっ、と周囲を見回す。
一瞬、目が合った気がして、あたしは思わず尻餅をついた。
「あら? なんかダッシュで石段を降りてる人いるわねぇ」
水溜りから顔だけ出して、サダヲが言った。
ハッとしてそちらに目を向ける。
パンプスを脱いで脱兎のごとく逃げる女子大生を、少年を背負った女が追いかける形。
それをさらに件が追いかける気配は──ない。
「それにしても、あんなにあわてて逃げなくても……」
言いかけて、ぴたりと言葉が止まる。
そのとき不意に、地面から聞こえたのだ。
ぜったいに聞きたくない、聞いたことのある歌声が。
「根絶やしの、歌? 待ってよ、ちょっと、近づいてないだろ、なんでよ、あたしはあの牛と戦うつもりは……っ」
「逃げるのよ、鈴! 膨張してる、繭が膨張してるのよ」
あたしより冷静に、サダヲは状況を分析していた。
女子大生たちが必死に逃げ出した理由は、まさにこれのようだ。
「膨張? やめ、ふざけんな、あたしは……っ」
地面を蹴って駆け出そうとするが、忌まわしい運命は逃亡を許してくれない。
足に蔦が絡みつき、崩れた泥土がずるずると推力を奪う。
件には、もはや敵を探し、接近遭遇する必要はないらしい。
無差別の黒いドームを村いっぱいに広げ、残敵を掃討する。
最強の位を手にした件には、ルールの範囲内で、あらゆる選択肢があるってわけか。
「やめ、あたしは、戦わない、やめろ、やめてぇえ!」
叫びもむなしく、黒い繭があたしたちの力場を飲み込んだ。
遅かれ早かれ、飲み込まれていたのだ。
いまは、そう諦める以外にない。
接近して戦闘を観察していようがいまいが、どこに逃げ隠れていようがいまいが、件が村全体を黒い繭で覆うほどの力を持っていたなら、結局は同じことだ。
あたしは新しいロリポップをくわえながら、憮然として、目の前の処刑台を見つめた。
「趣味わりぃな。弱い者いじめなんて」
棒の先をとがらせた唇でつんと立て、最後の虚勢を張る。
祭壇に横たわる件。
牛の首をかぶった男──秀人さんと呼ばれていたな──そいつは悠々と、件の背に片手をかけて寄りかかっている。まっすぐ背中を伸ばし、虚空になにかを見据えて。
獲物を捕らえるや、黒い力場は引き戻され、再び神社の大半を包む程度の戦闘フィールドを形成している。
内側に二人のプレイヤーと、二体の憑依体。
秀人&件
──戦闘開始、ってか。
水溜りに潜る気力もなく、サダヲはふてくされたように、その場に座り込んでいる。
「ばかみたい。こんなの、戦いじゃないわよ。一方的虐殺よ。ねえ、すず」
お互い最初は、一矢を報いようと戦意らしきものを発揮しよう、と努力した瞬間もあった。
だが、件の姿を目にした瞬間、へなへなと全身から力が抜けるのを感じた。
あんなものは、もはや戦うというレベルの相手ではない。
「根絶やし根絶やしうっせえな。そんなに殺したいなら、さっさとしてくれ。あ、でもちょっと待って。一撃でやってくんないかな? 顔が汚れないように。ここ、このへん一撃で」
あたしは心臓の辺りを指差し、死にたがりの最期の矜持を示した。
サダヲも、もう止めるべき言葉を持たない。
「あら、すずったら、女子なら美しい胸の形を残してもらうべきじゃないの? 曲線美の魅惑的な……ああ、でもすずは最初からえぐれ胸」
「うっさい、サダヲのくせに! 殴んぞ!」
「殴ってる、もう殴ってる」
どこか緊張感のないあたしらを、無言で眺めているのか、それとも興味がないのか、牛の首はただ虚空に視線を投げたまま動かない。
件は優しく、男の身体を抱き寄せる。自分の息子のように、そのじつ獲物であることを確認すべく、鋭利な爪を首元に這わせながら。
「……同士討ちしてくれたら、おもしろいのにね」
ぼそっ、とサダヲが言葉を漏らしたのを、あたしは聞き逃さなかった。
「サダヲ、おまえ夢魔を吸ったろ」
「ああ、
「相手の力を吸ったら、おまえにもそれと似たような能力が身につくんだろ?」
さっきのやりとりは、まさにそのフリだったにちがいない。
しかし、サダヲはバカにしたように、ふふんと鼻先で笑った。
「二流のシナリオライターが考えそうな大逆転劇は、このさい諦めたほうがいいわね。桁外れのデカブツに、たとえどんな夢を見せてやったところで、喰ろうてもらうのがオチよ。夢だけにバクバク喰う、なんてね」
「殴んぞ!」
「だからもう殴ってるのよぉ」
その漫才が興味を引いたのか、牛の首がゆっくりと動いたように見えた。
「お目覚めみたいだな」
「おっけー、終末カウントダウン」
サダヲは両手を挙げ、指折り諦念をさらけ出す。
「──わるかったな、サダヲ。おまえに殺されてやれなくてさ」
「そのつもりもないくせにい」
そのとき、あたしはぴくりと反応した。
猫の鳴き声が聞こえたような気がしたのだ。
ルールは厳格であり、第三者がこの戦いに干渉することは不可能。たとえ猫であろうとも、戦いに参加することはできないはずだ。
──音を発していたのは、猫のシールがべたべたと貼られたファブレット。
それがいま、地面の上、にゃあにゃあと鳴き声を発して、だれかを呼んでいる。
「どう考えても圏外だろ、ここ」
「……霊界電話よ。あのひと昔まえのアイドル目指して失敗しました的な女が、守護霊の猫の力を使って呼びかけてるんだわ」
サダヲが、さして興味もなさそうに謎を解く。
なるほど、戦闘に干渉はできないが、情報を送る程度なら許容されている、か──。
あたしは無造作に通話画面をフリックし、
「おかけになった番号は現在使われてないぜ。この高そうな端末、どうしても取り戻したいなら、あたしが殺されたあとにでも拾いに来な」
「時間がありません。件に気づかれないように話せますか?」
にゃんにゃん言う痛い女の声を想定していたが、聞こえたのは落ち着いた別の女の声。
その緊張感から、ふざけている場合ではないと意識を切り替える。
サダヲの冷たい顔が、薄っぺらな端末を挟んでぴたりと寄り添い、
「とりあえず、アタシらなんか眼中にないみたいで、なんかボーッとしてるわよ、あの牛の首さんたち」
「その声、水妖の方ですね。わたしは一条巴といいます。時間がありません。集中して聞いてください」
なんかおもしろそうな伏線、回収してくれるってわけかい。
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