向井清純は絶望に行き止まる


「くそ、いやだ、負けたくない、死にたくない……」


 地面に頭をつけ、ぼくは何度も首を振る。


「わるいがな、許してやれそうもないぜ、学生さん。頭にがんがん、響きやがる、この歌が、くそ……これが根絶やしの歌かよ」


 牛の首は全身を痙攣的に揺すり、苦悶に近い声を漏らす。

 ──なるほど、わかるよ。たとえあんたが、ぼくを許してやろうと決めたところで、根絶やしの歌が、牛の首が、地球がそれを許さない。

 ああ、そうだろうとも。条件は同じだ。


「助けろ、助けて、小角……」


 左手で虚空をつかむ。求めても得られないものを。

 小角は件に、馬乗りならぬ牛乗りされて、自分の戦いを凌ぐのに精一杯だ。


 ぼくは視線を転じる。黒い繭の外、戦いを観戦する女たち。

 皆殺し村の鉄壁のルールに従い、戦場の内部からも外部からも、その影響を与えることは許されていない。

 近寄ろうとすれば圧倒的なパワーで反発され、外を見るな、目の前の敵を倒せ、と根絶やしの歌が響き渡る。


 相手もわかっている。いま、ここにいる敵を倒すのが大前提だ。

 そのルールを踏まえた上で、──そうだ、これはそういう戦略なんだ!


「桜木! その女をつかまえろ!」


 絶叫する。

 黒い幕の外で、びくん、と桜木が反応する。


「にゃ、にゃん?」


 そのまま牛の首をかぶった小平とかいう男に視線を転じる。


「たいせつなんだろ、その女が、なあ牛の首ィ! だから、てめーから件に呑みこまれてまで、ここに立ってるんだよなァ! ……桜木! そいつを殺せ、こいつがぼくを殺したら、おまえもそいつを殺してやると、このクソ野郎に教えてやれ!」


 ぴたり、と動きを止める牛の首。

 繭の外に視線を投げる。


 そこには女がふたり、並んで立ち、桜木の足元には守護霊の猫がうろついている。

 もうひとりの女の背中は空虚で、いままで彼女を守っていたものはなにもない。先刻、そういう愚かな戦いをしたばかりだ。

 桜木は、一瞬きょとんとして動きを止めたが、すぐにあちこち見比べながら、


「えっと、そのー、にゃりーん」


「ルールの盲点だ、これは違反じゃない、単にクレバーな戦い方ってだけだ、牛の首、いいかてめえ、ぼくを殺したらてめーの女も死ぬぞ、それがいやなら素直に殺されろ!」


 突き出されるぼくの仕込み刀を、冷然と受け止める牛の首。

 ──ふざけんなよ、正義の味方はこんなとき、仲間のために死ぬんだ、すくなくともピンチに陥るんだよ!

 正義の味方? 内心の冷笑が、全身を痙攣的にふるわせる。


「…………」


「逆らうんじゃねえ、くそ、桜木やれ、こいつ抵抗したぞ、その女に思い知らせろ!」


「む、向井にゃん、だって……その」


 分家筋の女は、静かに桜木を見上げている。

 ──そうだ、おとなしく捕まっておけ。もうおまえに戦闘能力はないんだ。

 だが、そのときぼくは、心から不愉快なものを見た。いや、最初から気づいてはいたんだ。桜木がを考えれば、そんなことは最初からわかっていた。


 答えは、おのずと出る。

 桜木とその女のあいだに立って、と呼ばれる猫が鋭く鳴いた。


 にゃあぁあ!


「あ、あの、聞きたいことがあるにゃん?」


 おずおずと手を挙げ、彼女はこちらを向いて言った。


「なんだ?」


 同時に答えるぼくと、牛の首。

 その対応に、桜木はむしろ向けて、問うた。


「戦いが、その、終わったあと、あいニャンを、そっとしておいてほしいにゃん?」


「心配するな、桜木、おまえみたいな弱いやつを食ったところで、ぼくの力は……っ」


「いいだろう。おまえとは戦わないと、約束しよう。──だが、その女に傷ひとつでもつけてみろ。そのときは、約束してやる、おまえの肉片ひとつ残らず」


 にゃあぉお!

 桜木の猫が鋭く鳴いて、恐ろしい形相で見つめるのは、ぼくに殺せと命じられた女ではなく、自身の宿主、桜木藍那その人。

 ──この女に、手を出してはならない。

 それが、桜木の守護霊が、桜木を守るためにした決意、ってわけか。


「し、しにゃい、しにゃい、触れたこともにゃい。あいニャン、平和主義者にゃんにゃん」


 ぴょこん、と横に飛び跳ねて、女から距離をとる桜木。

 猫は満足そうに、にゃあ、と鳴いた。


「バカな、桜木、きさま……っ」


 くそが、こんなときまでやがる。


「勝ち馬に乗るのは当然だ、そうだろ、学生さん?」


 どすん、ごぶりっ。

 重い右ブローが、ぼくの腹をえぐりこむ。

 ぐへぉえあ、と嗚咽し胃液をまき散らす。


「や、めろぉうあ」


 反射的に身体をそらした視線のさき、鬼の手が、しゅううっ、と蒸気のようなものを発してしぼむ。

 ──どういうことだ。この力は、小角の……。

 見上げれば、女の首。


「喰ろうて、やぁる」


 いつの間にかやってきていた件が、ばくり、と鬼の手ごと、ぼくの肩口まで食いちぎった。

 そうか、そっちも決着ついたのかよ。


「……っ!」


 目を見開き、大きく口を開くが、そこから悲鳴は出ない。

 ゲームは終わった。

 いまはただ、この激痛を凌駕して、残さなければならない遺言がある。

 血走った目を限界まで見開き、自分のする。


「そうか、それじゃ、しかたねえな。くくく、ぐぇおお、っははは! いてえな、ちきしょうが! おい牛の首、聞いてるか! 使ぞ、その力を、件。言ったはずだ、に、切り開かれる新しい地平」


 ぐばぁ、ばくぅ。

 件が食いちぎる、もう片方の腕を。

 のたうちながら、それでも叫ぶ。自分の血の海を泳いで、溺死するまえに。


「くだぁあん! おまえが、集めた、憎悪のなかの、いちばん巨大な、! 染め上げてやるぞ、くだん! よく覚えておけ、おまえは、おまえらは、ぼくたちはんだ! 逃げられやしない、絶対に、世界中が、そいつらの、言いなりなん」


 ばく、びしゃっ!

 噴水のように、ぼくの首から血の柱が上がる。

 最後の一撃を加えたのは、牛の首。


 オォオォオォオォオー!


 二匹の咆哮が重なる。

 そこには無数の怨霊たちの声も混じっている。

 震顫しんせんする叫喚の渦に押しつぶされるように、ばしゅっ、と黒い靄が弾けて消える。

 それが、ぼくの首が見た、最後の光景……。


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