小平秀人は七代の祟りを知る


「……もう、やめてくれ、くだん


 俺は嗚咽しながら、忌まわしい記憶を流し込んでくる妖怪に許しを乞うた。

 牛の首という怪談は、予備知識として巴から聞いていた。

 だが実際に行なわれた猟奇的殺害をこととは、質がちがう。


「庄屋の末裔すえよ、なぜ逃げる」


「もう逃げないよ、件。気が済むようにするといい」


 つぎの瞬間、濁流のように魔力が押し寄せてきて、俺は吹っ飛ばされた。

 その魔力の波を正面から平然と、壁のようにそそりたって受け止める件の右手が、俺の身体をその場に支えて逃さない。

 魔力の源へ、目を向ける。


 そこには向井が、鬼たちを従えて屹立していた。

 向井に取り憑いているものは、前鬼・後鬼という二匹の鬼と、それを支配する修験者姿の小柄な行者。向井はそれを「小角おづぬ」と呼んでいる。


「最初から飛ばしますよ、それだけの相手と認めてね。……小平さん、でしたか? あんたの命、わるいけど、もらいます!」


「うぉおぉろろおおーんん!」


 俺が言葉を発する間もなく、咆哮する件。

 これはわしの獲物だ、と主張するかのように。

 左右から飛び掛ってくる鬼を、件の豪腕が左腕だけで吹き飛ばす。

 右手ではしっかりと、だがどこかやさしく、俺の身体を包み込む。

 そこを弱点と認めたか、突撃しながら、小角の印が結ばれる。


「臨兵闘者皆陣列在前──! 盛者必、滅せよ!」


「他言は、無用!」


 牛のような巨体に包み隠されていたらしい牛刀を抜き去り、猛烈な速度で振り回す件が、叫びながら応じる。

 先刻吹っ飛ばされた鬼たちの肉体が、ぞりぞりぞり、と屠殺された家畜のように肉片になって砕ける。それは、小角の放った印の破壊力をも、すべてバラバラに砕きながら凄まじい力で反発していった。

 あまりにも強靭な力場、そこへ踏み込みかけた小角は本能で危険を感知、ただちに撤退する。


「すごい……ただ牛刀を振り回しただけで、この破壊力……すげえな、おい、小角よォ」


 向井の表情に、武者震いに起因する歓喜以外のものが混ざり始める。


「牛追い、祭りじゃ!」


 つぎの瞬間、件の肉体が弾丸のように弾け跳ぶ。

 回転しながら、牛の角を必殺の切っ先として、向井の喉元を狙い済ます。


 ぶぉおぉーっ!


 猛烈な疾風が、向井の身体を台風のように浮かび上がらせる。

 その下には、天狗の団扇を操る小角。

 互いに、憑代である人間を殺されたらゲームオーバーであることを知っている。

 たとえゲーム終了直後、憑代を取り殺すつもりであろうとも、朝までは手を組む──それがこのだ。


「いけるか、小角」


 小角の巻き起こす疾風で空中に足場を得た向井は、今しも飛び上がってきそうな件を、ぞくぞくとふるえながら見下ろす。


「勝敗は兵家の常。なれど修験とは、退魔の業と知れ」


 にやり、と笑う向井と、小角の動きがシンクロする。

 その指は九字切りを、その唇は光明真言を詠唱する。


「おんあぼきゃべいろうしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたや、うん!」


 文字どおり光明が現れ、それは後光のように向井と小角を包み込む。

 つぎの瞬間、放たれたレーザー光線が件の黒々とした表面を焼き尽くす。


 ゴォオォオーッ!


「浄化されろ、悪魔が!」


「怨、怨、怨、怨、怨、怨、怨、怨!」


 牛の鳴き声に近い、恨みの波動が地の底からわきあがり、高空から注ぐ光明を跳ね返す。


「まじか、うそだろ……」


 向井の表情が引きつる。


「おおぉおおーろぅーん!」


 ぱん!

 という破裂音とともに、光と闇の波動が打ち消し合って飛び散る。


「よもや、これほどとは」


 ぐらり、と体勢を傾けた向井の身体が、小角に引かれて高い木の上へ降ろされる。

 下方では件が、舌なめずりをして上空のを見つめる。

 ──それは、完全な優位に立つ


「喰ろうてやるぞ、喰ろうてもらえ!」


 牛の首が叫び、突進する直前の猛牛のように、がっがっ、と地面を引っかく。

 呼応して、向井の立つ木の周囲に黒い渦が発生する。


「な、なんだ、なにをする気だ……っ?」


 さっきまでの自称武者震いが、いまは恐怖へと塗り変わっていることを、俺の目にまで感じさせていいのかい、学生さん。

 向井はすがりつくように木の幹に捕まり、下方に集中する黒い渦を見つめる。


 それは、件が何百年かけて集めた怨念。

 世界各地から拾い集め、膨れ上がり、慟哭する憎悪の集積。

 件は指示する、喰らって仲間を増やせ、と。


 ばく、ばく、ばくうぅ!


 木の真下に現れた「暗黒の口」は、件が地面を掻く動きと同調するように、巨大な搾り器の口を、ざぐり、と引き絞って木の幹ごと空間を削り取る。


 がくん、がくん、がくん。


 だるま落としのてっぺんに立たされた形の向井は、自分が地獄の淵へ向けて真っ逆さまに落ちていることを意識して、


「小角、なんとかしろ、あいつを……」


 悲痛な叫びに呼応し、小角が空中から天狗の団扇で上昇気流を起こす。

 同時に下から発生する猛烈な吸引力が、中間地点で拮抗する。

 その力は打ち消しあいながらも、徐々に向井を重力の方向へと縛りつけていく。


「よもや、これほどとは、な」


 感心したように、小角は直下の凝集怨念と、それを操る件を見やる。


「助けて、小角、こんなところで、死にたくな──」


「なにゆえに、おぬしは、戦うか」


 徐々に落下する向井と高さを合わせながら、小角は厳かに問いかける。

 一瞬、問答をしている場合か、とでも叫びかけた向井のなかで、ぎりぎりに目覚める矜持。


「力だ。正義も、悪も、教義も、邪教も、信念も、裏切りも、すべての存在を支持するのは、競合する他を凌駕する力。おれは天才の兄貴の下に押さえつけられなくて済むし──おまえに力があれば、裏切られることもなかった。たとえ裏切られたところで、力あればそれに報いることができる!」


 カッ、と小角の両眼が見開かれた。小角の右手が、自身の左腕を引っこ抜く。

 それは義手で、引き抜かれた腕はそのまま仕込み刀になっていた。


「欲せよ、欲せよ、欲せよ。無我より出で、羅刹の境地をつかめ」


 放られた刃を、反射的に握り締める向井。

 しばし呆然とその刃を見つめ、それから悪鬼羅刹の形相となった。


「しかたねえな、くれてやるよ小角……いや、交換か!」


 冷静と狂気の間、向井は思い切り振り上げた刃を、左腕にたたき下ろす。


 ざぐっ、びしゃあぁあ!


 声にならない絶叫を漏らす肉体を、精神力で無理やり引きずるように動かす向井。

 仕込み杖を放り投げ、切断された腕を小角に投げつける。

 つづけて自身の懐に腕を突っ込み、引っ張り出したのは──鬼の手。

 その呪物の由来は知らないが、尋常ではないもの、くらいのことは遠目にも理解できる。

 いまや強大な魔力を帯びて、光り輝いているそれを──見るまでもない。


「がぁあぁあーっ!」


 激痛と憤怒の怒号とともに、向井は自身の腕の断面に鬼の手を突き刺す。

 人間が感じうる、最大限の痛みが脳天までを貫いたのだろう。

 瞬時に反転する眼球、意識を失った向井の脳を、別の精神が支配して言った。


「受け取った、人間。


 向井の背後から、小角がその身を重ねる。

 四本の腕が阿修羅のように蠢き、みずから幹を蹴って落下の速度を増す。


 ばく、ばく、ばく、ぱしゃん。


 落ちてきた向井を喰らった瞬間、その怨念の口は、石を投げ込まれた水面のように揺らめき、波紋を残して、消えた。

 あとには、屹立する本性・向井小角。




「人であることをやめたかよ、似而非えせ


 件がはじめて身を低くして身構える。

 戦いのフェーズが変わったことを、多くのプレイヤーが理解している。


「終わりだ、件。……喰ろうて、やんよ!」


 向井の身体が弾けるように飛び出す。四本の腕が、連続して件を殴りつける。

 二本の足で踏ん張りながら、あとの二本で蹴りを放つ。

 術など無用。備わった自力だけで敵を凌駕できるという自信。


 がん、ざん、どん、ざしゅ、びし、どぐぁ!


 向井の攻撃を、身体を丸くする完全防御姿勢で凌ぐ件。

 その内側に握りこまれている俺の視界には、悲鳴を上げる件の姿が見えた。


「まさか……あれが、あの件が、負けるのか、そんなに強い、相手が、そいつ」


 戦闘速度は倍加していた。

 そしてすべて、向井からの攻撃を件が受け止める一方的な戦いになっていた。

 新たな戦闘速度に件が追いつけない、というのが実態らしい。


 それでも件は。二百年かけて巻き取り、集めつづけたあやかしの糸が絡まり合い、巨大な牛のようになった体躯の内側に、俺を抱き込んで。

 ──外に出したら死んでしまう。

 彼女は、そう言った。


「そうか、おまえは俺をから、だから全力が出せないのか」


「おまえ、殺すの、わし、それが約束、だからわし以外、おまえ、殺させない」


「だけど、そのまえにおまえが死んじまうぞ、件!」


「外して、重い、足」


 絡まりあう糸のなか、身をよじるようにして、俺は件の言っている言葉の意味を理解する。

 件の足には、かつて彼女をときのままの、

 俺は唇を噛み締める。

 自分の、同じ人間を相手に、こんなひどいことをのか。


「ごめん、ごめんな、件」


 渾身の力をこめて、その枷を外そうと試みる。

 二百年、彼女の自由を奪ってきた不愉快な鉄鎖は、固着したようにびくともしない。

 それでも外さなければならない。

 先祖が犯した罪を、贖えるものなら贖い、そして詫びなければならない。


「はず、れろ、よぉお!」


 爪が割れて肉が裂け、骨がきしむ。それでも俺は力をこめる。

 鉄枷を固定する金属の部品が、ぎしぎし音を立てる。

 つぎの瞬間、それはパリンと割れた。


 金属疲労のおかげだろう、とどこか冷静に考えていた。

 直後、件の動きが変わるのが、俺にもわかった。


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