向井清純の本気はヤバかった件
後退する小角と入れ替わりに、すたすた、と高校生のそばに歩み寄る。
「てめえ、なにもんなんだよ、くそったれ」
拘束状態で、高校生が叫び散らす。
「こっちの台詞ですね、高校生。まさか小角が認めるほどの力の持ち主が、こんなところにいようとは」
口調を改めるくらい、正直、感心している。
すばらしい素材であることは、認めざるを得ない。
「さっさと殺せよ、くそ。……すまねえ、ばあちゃん。助けてもらう前にくたばるみたいだぜ、オレ」
走馬燈というやつかな? 彼の最後の思い出は……。
刹那、ぼくの表情が冷酷に蠢いた、と桜木はあとで控えめに感想を述べた。
皮膚の下に黒い波が走り、ぼくは自分の思いつきを褒め称えるように、深い笑みを刻む。
「せめて真実を知って死ぬがいい。──ばん、うん、たらく、きりく、あく……ウン」
ぼくの指が五芒星を描き、最後にその中心でくの字を刻んだ指先を、ぴたりと高校生の額に当てる。
これは本来、大日如来の総合的智恵すなわち「智」の秘法なのだが、この身に帯びた黒い波動は、知らないほうがいい真実を伝えるために作用した。
「なんだ、こりゃあ。くそ、なんだこの声は、てめえら、オレをだましやがったのか」
高校生の眼球がぐるりと裏返り、自分のなかの記憶と葛藤をはじめた。
ぼくは冷たい目で彼を見下ろし、
「哀れな。そんな声しか聞こえぬとは。では、嘘ばかり吹き込まれたおまえの耳に、真実を注ぎ込んでやろう。──孫が死ぬことを喜ぶ婆などおらぬよ」
ぞくり、と高校生の背中が揺れる。
──真実を知って死ね。
おまえを助けてくれようとした、おまえが生きてきた中で、ほとんど唯一感じた、暖かい記憶の裏側にある、真実を。
ぼくはつづけて呪法を紡ぐ。
相手の精神をいたぶり尽くすために。
おまえを助けてやると、祖母は約束した。おまえは、その言葉を信じた。
もともと死んでもいいとは思っていたが、その前に一族を皆殺しにしてやるという決意も、祖母の笑顔の前に揺らいだ。そうだな?
その祖母が、ほんとうは……。
「やめろ、オレの唯一の救いを、暖かい記憶を汚すな」
にやぁ、と笑う。
ぼくの心に流れ込んできた真実の言葉を、おまえに返してやるよ、高校生。
「おまえはバカか? 龍臣、甘い蜜で手なずけられて、おまえはほんとにバカ者じゃな。しかし悪いばあちゃんだよ。わしに任せろなんてさ。じっさい、あれからおとなしく鍼を受けてくれてな。亀の甲より年の功ってか。どの道、助からぬ。十九回目の鍼で、やつの身体は動きを止める。最後の一年はガチョウの肝臓を太らせる一年だ。いい時代になったものさ。意識を殺す薬と脳死した肉体を生かす設備は、どこの地方病院にだってある。そして太らせ、成長した狗神を住ませたまま、生贄の四肢を引き裂いて、それぞれの狗神筋へと届ける。やつの身体は燻製にされ、狗神さまを生かすために末永く、われら一族の役に立ってくれおるじゃろう。婆さま。そういうことじゃのう? 物言えば唇寒しじゃわい。黙っておけ。きさまの無能な神事の司のせいで、よけいな手間がかかってしもうたろうがい。龍臣はの、宿命なんじゃ。生まれたときから、わしはもうそういう目でしか、あれのことを見てはおらぬのよ」
優しかった祖母の顔が歪められていく。
自分をただの生贄としてしか、生まれてからずっと見てこなかった、一族の人々の顔が、つぎつぎと現れては消える。
なかでもいちばん信じていたものに裏切られ、喰われる気持ち。
──そうだな、血の涙を流して叫びたくもなろう、そしてもう笑うしかないな。
ぼくの目の前で、心も身体も引き裂かれる感覚に、げらげらと笑いつづける高校生。
そうだ。破滅とは、そのくらいハッキリと、もはや笑うしかないところまで行き着くべきなのだ。
左右の鬼がぐっと力をこめる。高校生の身体が、真ん中から引き裂かれていく。
もう痛みも感じないか。
引き裂かれる自分の中心を見つめ、高校生は叫ぶ。
「そういうルールだったな、そうだ、オレを喰って強くなるんだろ、鬼っ子。いいぜ、喰えよ。だれに喰われるのもおんなじだ。だったらせめて、オレを、オレの……っ」
「逝け、狗神」
ぱちん、と指を弾くのと、彼の身体が二つに引き裂かれるのは同時だった。
鮮血のシャワーが、ぼくを濡らす。
その血をぺろりと嘗め、くるりと踵を返す。
「みずからを誇っていいぞ、狗神の。まさか、やつの前に、小角まで出すハメになろうとは、思いもしなかった」
正直、この戦場では三番目に強かったよ。ただ、上の二者が圧倒的すぎただけだ。
傷だらけの前鬼と後鬼が、ゆっくりとぼくの影に重なって消える。
同時に、ばたり、とその場に倒れる高校生。
やおら靄が晴れ、冷たい月光に照らされるぼくを、遠巻きに見つめていた桜木の表情は完全に硬直していた。
ぼくは何事もなかったように、すたすたと来た道を引き返す。
途中、桜木とすれ違いながら、
「ちょっと刺激が強かったかな? 桜木」
「…………」
「……ふん、まあいい。気が済むまでそこで呆けていたまえ」
ぼくはもう桜木などには興味を示さず、北へと向き直る。
この先に、やつがいる。
目的は最初から、それのみだ。
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