曾我部龍臣の回想モードはフラグ
中学に上がったばかりのころだ、オレが自分の運命を知ったのは。
「うちの故郷に、しとぎ祭り、ってのがあってな。まあ古くからある地鎮祭なんだが」
オレ自身の口から、ごく親しい間柄の友人に打ち明けたことがある。
なぜか目の前には縫がいて、その顔だけがすずに置き換わっている。
すずは神妙な表情でうなずき、さかしらに言う。
「神様に捧げる餅、いわゆる
こいつ頭いいんだよな。滅びの美学とかの本ばかり読んでやがるから。
──本来、神饌祭と書くべきところを、この地方では神餌祭と書いた。
読みのむずかしい固有名詞がひらがなに直されていく時流に乗って、現在は「しとぎ祭り」として地域興しの一環を担っている。
この、そもそもの文字が、地域の闇を内包している。
神の餌、すなわち。
「もともと
本来、形式化されて、たとえば人間を生き埋めにする代わりに埴輪を埋めたように、古代の凄惨な儀式は様式のみを残して形骸化するものだ。
が、一部に残忍な行為をそのまま踏襲している地域が、ないわけではない。
「毎年、祭りには参加させられていた。そのときは、身体のあちこちに鍼を刺されたよ。なにをやっているのかわからなかったが、痛みはそれほどなかった。曾我部の子どもがみんな、受けなきゃならない儀式だって言われてた。──その年も、腕に鍼を刺されたんだが、そこで異変が起こった」
脳裏には、忘れたくても忘れられない……記憶。
「バカ、逆だ、それは
つぎの瞬間、従兄弟が、その場でのたうちまわりはじめた。
呆然とするオレの前で、いっしょに鍼を刺されていた従兄弟が運び出されていく。
鍼を刺した当の神官は、べったりと仮面のような笑顔を貼りつけて、オレに向き直る。
「なに、心配することはないよ、龍臣くん。ちょっとした手違いなんだ。きみにはぜったいにだいじょうぶ、さあ、腕を出して」
あらためて持ち込まれた
「ふざけるな、それ毒だろ、そんなもん刺されてたまるか」
叫び、大人たちを突き飛ばして駆け出した。
しばらく逃げまわったが、結局は連れもどされて、本家の大広間に座らされた。
「あれはな、染神餌といって」
「うるせえよ、くそ、なにがしめじだ」
「しめじではない。そめしんじ……神様に喜んでいただくための味付け、のようなものじゃ」
長老と呼ばれる老爺も含めて、一族全員に取り囲まれるような格好だった。
「ある種の人々には、たしかに猛毒にもなる。しかし龍臣よ、おぬしに関しては、むしろ逆じゃ。予防接種のようなものと思うがええ。強いワクチンなので、ふつうの子だと副作用のほうが強く出てしまう。さっき見たとおりじゃよ。しかしおぬしの場合、強くなければ意味がない。効かぬのじゃ」
ぞわぞわっ、と体内をなにかが這い回る感覚。オレは自分の身体を抱き、
「なんだよ、これ」
「神の餌らしく染めねば、それは供物として捧げるに足らぬ──」
周囲の視線を受け止め、オレは子どもながら、強固な反骨精神を示す。
「ざっけんなよ、俺は餌じゃねえ、エサじゃねえぞ!」
「思い出せ龍臣。おぬしがまだ子どもだった時分、身体に卵が植えつけられたじゃろう」
手術した膝の裏からは、孵化した後の卵の殻がびっしりと見つかった。
「たまご……」
時折、自分を物語る不気味エピソードとして、友人に語り聞かせることもある。
「あの卵から孵った幼生はいまも、おぬしのなかで着実に育っておる。おぬし自身が、それらの餌となってな。しかし、みずからが食い尽くされることなく餌となりつづけるためには、それにふさわしい色に染めねばならぬ」
「あの鍼で、神様好みに、肉体改造って、ことかよ」
声が震える。忌まわしい。ひたすら全身が、呪わしい。
「もう引き返すことはできぬのじゃ。途中でやめれば、おぬしが食い尽くされて終わるだけのこと。しかしそれほど長くはつづかぬよ。龍臣、おぬしが二十歳になったとき、おぬしのなかで育った狗神さまのなかから、一族にそれぞれふさわしい狗神さまが選ばれ、配られる。そうやって、われらは狗神筋を守ってきたのじゃよ」
「狗神を、配る?」
「そうすれば、おぬしはもう狗神さまを飼う必要もない。晴れて自由の身じゃよ」
それでも、容易にほぐれないかたくなな態度に、ひとまずわしがあずかろう、と祖母の部屋へと連れて行かれた。
そこで一服やりながら、祖母は優しい口調で、オレに諭し聞かせた。
「あれは、うそじゃよ、龍臣」
オレはきょとんとして、問い返す。
「どういうことだ、ばあちゃん」
「毎年、鍼を刺さなければ食い尽くされて死ぬ。これは本当じゃ。しかし二十歳になって、おぬしから狗神さまを抜けば、おぬしが自由になる。これはうそじゃ。おぬしから狗神さまを抜き出すとき。これはおぬしの身体を解体し、その部位ごとに狗神筋に分け与えることを意味する。どの道、おぬしは助からぬ」
「そんな……くそ、ふざけるなよ」
さっきとは別の震えが全身に走る。
「よく聞け、龍臣。鍼は打たねばならぬ、それをせねばおぬしは死んでしまう。じゃが殺させはせぬ、わしが守ってやるぞ。十九の祭りのとき、ここへ来い。最後の神餌染を済ませたら、つぎの儀式までの一年をさらに延ばせるよう、特別な鍼を用意しておく。それを持って、一年かけて遠くへ逃げろ、龍臣。いつまで生きられるかはわからぬ。だが、二十歳より長くは生きられるじゃろうて」
思わず顔を上げ、祖母の顔を正面から見つめる。
「そんなこと、したら」
「老い先短いババアのやることじゃ。たいしたことにもならぬじゃろ」
「そんなこと……どうして話してくれたんだよ、ばあちゃん。どうして」
「孫が死ぬことを喜ぶ婆などおらぬよ。龍臣。どうか生きておくれ……」
祖母の声が、オレの脳裏にくりかえし、反復する。
「みんな殺して、オレも死ぬ。そのつもりだったんだけどな、ばあちゃん」
オレは諦めに満ちた笑いを浮かべ、目の前の戦場を眺めやる。
解放された狗神が荒れ狂い、目の前の餌、赤と青の鬼の肉体を、残虐極まる有様で食い散らかしている。
尋常じゃねえな、この力ァ。
この力があれば、みんな殺せる。
そんでよ、いっしょに行こうぜ、すず。おまえが探してる〝深淵〟ってやつの向こう側へよ。
「つぎはてめーだ、鬼っ子!」
こいつも強かったが、相手が悪かったってこった。
「……やれやれ。まさか、こんなに早く出番とは、すまんな──
瞬間、ぞくり、と冷たいものがオレの背筋を貫いた。
男の言葉に応じて、新たな影がゆらりと現れる。
──それは一人の修験者。
鬼のような巨体でもなければ、狗神のように不気味でもない。
ただ、黒い靄のようなものに乗って、ふわりと中空に浮く小柄な人間の姿にしか見えない。
なんで、オレはこんなものを恐れたんだ?
「なんだァ? いまさら三匹目のとっておきが出陣にしちゃ、ちょいとショボすぎやしねえかよ、なあおい!」
「小角の力が見えぬとは、しょせんその程度ということかな、高校生」
男は偉そうにそれだけ言い、またしても後ろへと引き下がる。
頭に
小角と呼ばれたそれは、その手のほら貝を持ち上げ、ゆっくりと口をつけた。
ぶおぉおーっおぉんぉっ。
低く、腹の底に響くような低音が、ほら貝を加工した楽器から放たれるのと、無数の狗神が動きを止めるのは同時だった。
しばし、何事が起こったのか理解できない。
オレは、最強を信じて疑わなかった狗神の群れが、あっという間に戦闘不能に陥っている事実を、とうてい納得できない。
「うそだろ、おい、そんな犬笛があるかよ、くそったれ! 目ェ覚ませ、狗どもが!」
オレが地団太を踏むと、間近にいた狗神から順に目を覚まし、すこしずつ動きをとりもどしていくが、まだその動作は鈍い。
「上もすこし気になる。あまりゆっくり付き合ってやれる間もないようだ。……片付けてしまえ、小角」
男の言葉に、修験者はなにも言わず、頭巾の下の表情もまったく見せぬまま、狗神をつぎつぎに踏み潰しながらオレに近づいてくる。
「く……っ、囲え狗神!」
オレの指揮に合わせ、地面を無秩序に走っていた狗神が動きを揃え、直後、柱のように屹立してオレを取り囲む。
無造作に振りまわされた小角の錫杖は、その壁に隔てられて弾かれる。
小角は、自分の手を痺れさせた相手の結界を、なかば感心したように見上げる。
「……惜しいな。育てればいくらでも強くなれそうなものを」
そりゃ現時点、クソ弱えって意味か、おい。
「なんだてめェ、その余裕ぶっこいた態度はよ!」
まだ狗神は死んでねえんだぞ。
「最初から別次元の強さに出会ってしまった不運を、あの世で嘆くがいい。──臨兵闘者皆陣列在前!」
小角の指が九字を切る。
強烈な光が溢れ、狗神の囲いを貫いて走る。
数秒後、そこにはぽつねんと独り佇む、オレ。
「なん……なんだ、こいつ」
異次元って、こういうことか。
「殺生は好まぬが、やむを得ぬ。……前鬼よ、ただ力のみにて敵は倒せぬと知ったか。後鬼よ、夫婦がゆえにすべてを乗り越えられるとは
ぼろぼろの身体を引きずって、二匹の鬼が小角の指示にしたがう。
左右からオレの身体をがっしりとつかみ、あらためて微動だにしない。
死ぬ……。
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