一条巴は人類の闇と絶望を知る


 くだんの手は、頭陀袋をかぶった妖怪の首根っこを捕まえ、その妖怪は小さな少年の身体を抱きしめていた。

 ああ、そんな、まさか……。


「探せ、目玉」


「どうだ、ガキ。おまえの目には見えるだろう。どこにいる。男はどこにいる」


 ぶるぶると震えながら、少年は顔を上げる。

 もちろん、彼には見える。妖怪には見えないものが。

 人間であるがゆえに。


 神社の真ん中に、秀人が立っている。

 ルージュの経文で守られて。


 少年の唇が震える。

 そう、そこに男がいる。そのことを教えてやれば、自分は助かるんだ。

 彼の唇が、いま、その事実を紡いだとしても、だれにも彼を責めることなどできない。

 わかってる。わかってるけど……。


「だめーっ!」


 私が少年の身体に近づいた瞬間、黒い繭がぶわっと弾け、境内いっぱいに広がってから、きゅっと収束した。

 さすがの件をも、弾くほどの力。

 ああ、これが……皆殺しの村のルール。


 ──第二段階同士が、戦闘局面へ移行。

 ルールにしたがい、厳密に一対一の戦いを強いられる。

 件をも退ける、ガイアの力を背景とした鉄壁の戦闘フィールド。


 私は選んだ。

 このことを。


「巴、おまえ……」


 軍服の守護霊──おじいちゃんは、悲しげに私を見下ろした。

 私は唇をきゅっと結び、首を振る。


「なにも言わないで、おじいちゃん。──お願い。あの人を地獄に落とさないで」


 少年の身体を捕まえ、心からこいねがう。

 しばしきょとんとしていた少年は、やがて首を振り、


「どういうこと? お姉ちゃん、だれ? ぼく捕まっちゃったよ、この妖怪目玉に……」


 漠然と把握はしていても、まだよく意味がわかっていないらしい。

 ──そうよね、子どもに、わかるわけない。こんな汚らしい、忌まわしい、大人たちが築き上げた、呪われたシステムなんて。


 ざぐっ!


 つぎの瞬間、左腕に鋭い痛み。

 私はハッとして、その場から飛びのく。

 魔力の刃を突き出したのは、少年の横に立つ目玉。

 致命傷を負わなかったのは、おじいちゃんの軍刀がぎりぎりで防いでくれたから。


 私を殺そうとする目玉と、私を守り抜くことだけが仕事の守護霊。

 これが「戦闘開始」ということ。




 視線を転じると、件が全力で目の前の繭を引き裂こうとしているのがわかる。

 だが、その強大にして兇悪きわまる力をもってしても、ガイアのルールを破ることはできない。


「おのれ、おのれェ、片付けろ、目玉、早くそいつを片付けろ!」


 件に言われるまでもなく、目玉は全力で敵を──私を殺そうと奮戦する。

 ここでは、憑代である人間を殺した側が勝利。


 もちろん、私の守護霊である帝国陸軍軍人も、その本来の役務に徹しようと努める。

 私を守る。軍刀の気合一閃、目玉の妖怪を力で押し返す。

 目玉もそれなりの魔力を持っているようだが、戦闘タイプの妖怪には見えない。


「うう、頭が、痛いよ、ぼく……」


「だいじょうぶ……?」


 少年に近寄ろうとする私の足が、ぴたりと止まった。

 止まらざるを、得ない。


 ころせ、ころせ、そいつを、ころせ。


 呪いの言葉が脳内に響き渡る。

 これが……根絶やしの歌。

 このような恐ろしい歌を聴かされて、まともな精神を保つのは──不可能だ。


「いや、いやぁあ!」


 いかにそれがルールとはいえ、自分の手でだれかを殺すなど、私には想像できない。

 だがそれは、目の前の少年にしても同じことであるはずだ。

 実際問題、小学生の彼が、女とはいえ大人の私を殺せるわけがない。


 だったら霊体同士で決めてもらう。

 事ここに至っては、そうするのが最善の選択である。

 そんな私の思惑は、すぐに挫かれる。


「おまえも、手伝え、ガキ」


 目玉が魔力をこめた瞬間、少年は突然、苦しみだした。

 思わず駆け寄ろうとする私を、おじいちゃんが鋭く制する。

 少年が、おぇえーっ、と何かを吐き出す。

 ぼたり、と地面に落ちたそれは──目玉。


「ひ……っ」


 短く悲鳴を漏らして退く私の目の前で、恐ろしい惨劇が展開する。


「ぎゃあぁ……ぁあ……っああ!」


 ぼこぼこぼこっ、と少年の皮膚に丸い嚢胞のうほうのようなものが無数に浮かび上がり、つぎつぎパチンと弾ける。

 天然痘を思わせる、閲覧注意の不愉快画像。

 ──それは目玉。


 無数の目玉が、少年の全身に浮かび上がっていた。

 それらはつぎつぎ生えては、ぼたぼたと地面に落ち、おたまじゃくしのように、ずるずると這いながら私の周囲を取り囲んでいく。


「くそ、こんなもの……っ」


 私を守るべく、軍刀を振り回して目玉をつぶしていく守護霊。

 けれど、その圧倒的数量に追いつかない。

 蛙の卵のごとく膨大に生み出されたそれは、連綿とつながって伸びながら、その先端から生まれては弾け、生まれては弾けをくりかえす。


「どこへ隠れても逃さない、その目がどこまでも追いかける……」


 索敵と監視の能力は一級だが、それをいかに戦闘に適した能力とするか。


「いかん、見るな、巴」


 忠告を受けて目を閉じる。

 それまでも本能的に、あの目玉と視線を合わせてはいけないと感じ、わずかに焦点をそらせつづけてきたが、いまや無数の目玉に全方位から睨まれる状況では、目を閉じる以外に選択肢がない。


「見えないものを、避けられるのか」


 目玉の妖怪がにやりと笑った、ような声音。

 その動きに合わせて、生み出された目玉に生えた手足が、成長した蛙の動きで、ぴょんぴょんと飛び跳ねているらしい、音。


「ええい、くそっ!」


 かなりの数を打ち落とす守護霊の力も、完全に防御しきることはできない。

 おろおろと身を揺するだけの私に、目玉は小さな爆弾として降り注ぐ。


 ぱん、ぱん、ぱぱん!


 膿のような汁を飛びしながら、目玉が弾けて私の皮膚を溶かす。


「きゃあぁあ! 熱……っ、熱い!」


「酸か、くそ、どうやって……っ」


 おじいちゃんの見ているものが、私にも伝わってくる。

 視線のさき、つぎつぎと目玉を生み出しつづける少年の身体が、すこしずつ痩せ細っている。

 ──これは魔力で強化されただ。


「きさま、憑代の肉体を食い尽くす気か」


「こいつが死ぬ前に、おまえたちが死ねばいい。どの道、負けたほうが死ぬ。命を懸けて戦うの、あたりまえ」


 私は絶望的な気持ちで、霊たちのやり取りを聞いている。

 理屈としては通っている。

 方法はともかく、妖怪は少年の肉体を道具に変え、ある意味、二対一の構図を作り出しているといっていい。


「きさまごとき、ものに、わしの大事な、子孫を……っ」


 おじいちゃんの振り回す軍刀は、確実に目玉をつぶしている。

 でも、生み出す速度がそれをわずかに上回っているように思われた。

 同時に、それは急速な少年の衰弱をも意味している。


 このまま守りきれば相手が自滅するのではないか。

 そう、これは一種の兵糧攻めだ。


 おじいちゃんの冷徹な軍略が、伝わってくる。

 しかし、それこそ歴史のページをめくるかのごとく、新兵器の登場によって当初戦略は変更を余儀なくされる。


「武器になれ!」


 突如、目玉が恐ろしい行動に出た。

 がぶり、と少年の指に噛み付いたかと思うと、それを食いちぎったのだ。


「ぎゃあぁあーっ!」


「バカな、憑代を殺せば戦いの意味そのものが」


 こちら側のまっとうな理屈を、あちら側の狂気が塗りつぶしていく。


「殺さぬ、殺しはしない、ただなってもらう、なって、さあさあ、ごろうじろ。かんらかんら、遠慮はいらぬ、楽しむがよい、このおもしろき興行を。? そうとも、見たかろうなあ! これ、ことごとく、おぬしらがやってきたこと。おぬしらはそうやって、このようなものを、見るために、であろうが?」


 無数の目玉が、うれしそうに笑い声を上げる。

 それは心の裏側を、ぎざぎざの爪で引っかかれるような、猛烈な不快感を伴って私の精神をたたきのめしてくる。

 そして私は、目の前の妖怪がことを理解する。


 人間たちの邪悪な部分を凝縮して形作られたもの。

 高い霊位を獲得した守護霊である先祖霊の対極に、事実、悪趣味と邪気のみを寄せ集めて捏ね上げられた、このような妖魔が存在する。


「だるま、だと」


「みんな知ってる、じゃ。見たいであろう、おぬしらも見たいのであろう、知っておるぞ、め、木戸銭を払うても、それを見せろ、早く見せろと、おぬしらは集うてきた。隠すな、否やはない、背けてはならぬ、から、その目を! これ、このとおり、わしはこれだけの目玉を、のじゃ」


 妖怪の動きに合わせて、無数の目玉が同意を示すかのように波打つ。

 は、すべて人間を源泉とする闇。

 両手両足を失い、壁に固定され、舌も抜かれた慰み道具の女を、金を払って見に来る観客は事実、多く存在したのだ。


「うえっ……」


 生理的に受け付けない。

 この怪談の道具に、少年を変えてやろうという。

 噛み切られた指を放り投げると、それは弾丸のように空中を疾って、私の皮膚と心に突き刺さってきた。

 さいわい守護霊の力によって、すんでのところで皮膚を切り裂く程度で済んだが、私の足元に突き刺さった「少年の指」という現実が、打ちのめされた心に恐慌をもたらした。


「いや、いや、こんなのいや、助けて、おじいちゃん……っ」


「まだまだ、つぎつぎいくぞぇ」


 がぶり、がぶり。びしゃ、ずるずる。

 腕からの激痛に、さいわいにもと言おうか、少年は意識を失ったようだ。


「殺しはせぬ、殺しては興行にならぬ、生きて達磨になれ、達磨になれ」


 事実、出血は少なく見える。

 目玉のひとつが肩の血管を圧迫し、脱落の四肢に生命までも奪われぬよう最善を尽くしているのだろう。


 ただ──俗悪趣味のために。道具として、生かしておく。

 二本、三本。噛み切られた指が、つぎつぎと弾丸に変えられる。


「おのれ、外道がァア!」


 突進しようとする老軍人の背後、目玉が待ってましたとばかり私を襲う。

 ハッとして距離を取り直し、私を守る戦いのみに集中する。


 消耗戦だ。

 このまま守りに徹すれば、さきに戦闘不能になるのは相手である可能性が高い。それまで、なんとしても守り抜くのだ。

 そんな老軍人の思惑が、心にしみこんでくる。


 だめだよ、おじいちゃん、それじゃ、ダメ……!


「いけない、おじいちゃん。あの化け物を倒して、そうじゃないと、あの子が!」


 ぐっ、と老人の動きが締め付けられるように沈んだ。

 相手を殺さなければ、戦いは終わらない。

 そういう戦いが、ここでのルールだと──ならば相手の自滅を待つのも、適切な戦略だろうと考えるのは、妥当なこと。


 でも、それじゃ……。


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