霧島すずのバトルがマッチングされる


 すずは赤い月を見上げ、それから視線を落とした。

 だれかが近づいてくる。


「……さっきの大学生か」


 相手の状態を見極めるべく、わずかに腰を落として待ち受ける。


「やばいわね。あれはもう」


「うるさい。沈んでろ」


 足元からの声に、すずは片足を載せてサダヲの頭を沈める。


「──元気そうだな、女子高生」


 片手を挙げ、チャラい男の声が届く。

 その手と襟元に血痕が残っていることを、いまの研ぎ澄まされた観察眼はけっして見逃さない。

 どうやら相手のほうも、すずの手が泥で汚れていることと、校庭の片隅に盛られた土の下になにが埋められているのか、類推するだけの経験値がすでにあるようだ。


「お友だちはどうしたんだ、女子高生? ……あれ? ちょっと待てよ、おまえ沈んだほうのやつじゃないの?」


 開幕と同時にふたりの友人を失い、たったひとり残されたかわいそうな女子高生、という印象は、さっさと塗り替えてもらうとしよう。


「おまえこそ、お友だちはどうした? まさかとは思うが」


 自分と同じことをしてきたのか? という言葉は飲み込んだ。

 ──お互い、ひとりずつ殺している。戦闘準備はできている、ってわけだ。


 ある程度の距離まで近づいて、ふと空気の流れが変わるのを感じた。

 自分と相手の周囲、数メートルの範囲に黒い繭のようなものが結界を結んでいる。

 これ以上、接近すれば互いの結界が交わり、戦闘開始を意味する。


もご承知のようだな」


「それ以上、近づかなければ、こちらから仕掛けることはない」


「わるいけどな……餌をやらねえと、オレが食われっちまうんだよォオ!」


 月がつくりだした巨大な影。

 そのなかから、ぬうっ、と2メートルを超える巨体が出現する。


「なんだ、それは」


「知るかよォ、オレが雪山から連れてきた雪男らしいぜェ、UMAってのかな、これもよくある都市伝説だよなぁあ!」


 チャラ男が弾かれるように足を踏み出した次の瞬間、互いに力場をもって表面張力同士反発していたふたつの黒い繭が、ぱちんと割れるようにして交じり合う。

 すずの戦闘開始は、敵のステータスを見極めるところから。


「有名な都市伝説だってよ、サダヲ。たしかに雪男なら聞いたことあるな」


 サダヲはいやそうな表情で、名もない自縛霊を見下すようなすずの視線をはねつける。


「やめてよ、そんなのといっしょにするの」


 そこに向かってくるチャラ男は、もはや完全に取り込まれていた。


「死んでくれ、死んでくれよぉ!」


 殺意と攻撃衝動、そして恐怖に攻め立てられるように、猛然と突進してくる大学生。

 その手にはナイフが光っている。

 ──霊力的に見れば、ほぼ互角。だが物理的な面で完全にUMA優勢。


「自分の冷静な判断力が忌まわしい……」


 後方に跳ねながら、すずはチャラ男の横の巨体を見やる。

 ──百物語で出現した山小屋の怪異。

 六人いるはずの山小屋に出現した、七人目のモンスター。その姿は雪男に近く、振り回す豪腕は容易に鉄板をへし折る。

 そんな寝物語をほざくサダヲを鉄拳で黙らせつつ、


「醜いな、とても醜い」


 つぎつぎとたたきつけられる腕を、後方に跳びながら回避する。

 破壊衝動に飲まれたらしいチャラ男の目には、もはや「殺戮」しかない。


「どうした、女子高生。逃げてばっかじゃ、やられっちまうぞ」


「女ひとりに、ふたりがかりなんて、恥を知れよ。──おい、すこしは役に立とうと思わないのか、水死体サダヲ!」


「そんなこと、言われても、ここ水ハケ良すぎなのよォ」


 すずの移動に伴って、そのフィールドには水溜りのない場所が多くなった。

 かろうじて付近を通過しようとしたチャラ男を、サダヲの腕が捕まえて、なんとか二対一の局面は回避する。


「なんだ、この化け物、くっそ!」


「暴れるんじゃないわよ、人間のくせに、物騒なもの振り回して!」


 チャラ男とサダヲの接近戦が開始されるのと平行し、すずと雪男の追撃戦も過激さを増している。

 その巨体は、すずの対戦相手としては、あまりにも不釣り合い。

 逆三角形の顔、ゴリラに似た身体つきで、全身が黒い剛毛に覆われている。


「ちょ、サダヲ、あたしひとりでこの化け物の相手をしろって?」


「無理言わないで、アタシは水中兵器であって、陸戦には向かないんだから!」


「くっ、川まで行ければ……」


「逃がすんじゃねえぞ、ヒバゴン!」


 叫ぶチャラ男。同調するように雪男の腕が巨大な泥土の山を放り投げる。

 退路が塞がれ、回避ルートが限定される。


「だれが……逃げるって言った!」


 地面を転がりながら拾った棒を振りかぶり、思い切り投げつける。

 それはまっすぐに雪男の頭部を狙い済まし、顔面に突き刺さる。


「ぐぉおォォおーっ!」


 のけぞり、数歩後退する。

 チャラ男はややあわてたように、


「どうしたヒバゴン、不死身の山男だろ、しっかりしろ」


「あんたの相手はアタシよ、チャラ男くん!」


「くっそ、オレは生きるんだ、ぜったいに生き残ってやる」


 チャラ男は自分に言い聞かせるように叫びながら、サダヲの肩にナイフを突き立てる。

 手ごたえはあるだろうが、死肉に刃物を立てたところで、たいしたダメージにはなるまい……ま、なってもいいけど。

 そんな、すずの冷たい視線を受け流しつつ、


「痛いじゃないのよォ、あんた、いい死に方しないわよォ」


 サダヲはチャラ男の身体を押し返しながら、その四肢を自らの長い髪で絡めとっていく。


「相手、交換してやってもいいぜ、サダヲ!」


 相手が人間なら、戦い方もなんとなくわかる。

 そんなすずの思惑を、サダヲはきっぱりと拒絶した。


「人間を絞め殺すのは得意だけど、化け物の相手は無理よぉ」


「おまえもじゅうぶん化け物だろうが! ちっ、それにしてもうすのろだな。どうにかならないのか、その動き」


「言ってるでしょ、アタシは水魔なのよ、陸上での動きは鈍いの、河童と同じよ、頭の皿にお水がいっぱいにならないと、力も出ないのよォ」


「なにを言ってる、おまえ何度もあたしの周り、うろついてただろうが。けっこう行く先々、いやがらせみたいに……」


 一瞬、ぴんとくる。試してみる価値は……あるか。

 サダヲはチャラ男に力負けをしているらしく、上体をぐらぐら揺らしながら、


「人間を追い込むために水を使うのは、アタシたちの本性だもの。ねえ……あら、どこへ行くのよ、アタシを置いて行くの?」


「なんであたしが、おまえを援護するんだよ。こっちだけで手一杯なんだから……いいから黙って見てろってば……よ!」


 平屋建ての廃校舎。その屋根へ身軽に飛び上がる。

 だがそこも安全地帯ではない。

 三メートル近い巨体の化け物にとって、むしろ攻撃しやすい高さといえた。


 がん、がん、どかん!


 つぎつぎと屋根瓦を殴りつける雪男の剛腕、その軌跡のわずか前方を疾駆する。

 進行方向、数メートルで屋根は途切れている。

 戦闘の成り行きを見守りつつ、チャラ男が檄を飛ばす。


「叩き落とせ、ヒバゴン!」


「落として、みろや!」


 平屋建ての粗末な屋根の端、穴の開いた給水塔がぐらぐらと揺れていた。

 すずは誘うように樋をステップし、そのまま給水塔を飛び越えて、途中で拾った鉄パイプを引っ掛けて全体重を乗せる。


 最初から傾いていた給水塔が、ぐらり、とバランスを崩してさらに傾く。

 そこへ横なぎの雪男の豪腕。

 ぎりぎりで回避しつつ、その腕にベルトを引っかけて勢いを借りる。


 逆方向に盛大に振られた給水塔は、やおらバランスを崩して地上に落ちた。

 破片が飛び散り、そのひとつが直撃コースでチャラ男を襲うが、こちらの戦闘を注視していたおかげで、ぎりぎりで回避に成功する。

 チャラ男はこちらを見上げ、高らかに笑う。


「はっははーっ! 残念だったな、こんなもので偶然ぶっ倒されるほど、オレは運がわるくねえんだ……よっ?」


 チャラ男の視界が黒い網のようなものに閉ざされる。

 それはサダヲの黒髪。

 周囲が水浸しになった瞬間、そこは彼のフィールドとなった。


「ごめんあそばせ」


 黒髪でチャラ男の首を締め上げる。

 一瞬で蒼白になる顔面。

 パートナーが殺されかけていると察した雪男が大きく飛び上がり、地上に急降下蹴りを放った瞬間、


「背中がお留守」


 雪男の後ろから飛び乗り、思い切り振り回した踵で雪男の首筋を打撃する。

 顔をしかめるサダヲ。

 かつて水中に引きずり込もうとした相手から、この蹴りで手痛い反撃を受けたことを思い出したようだ。


「あいかわらずクセのわるい足ね」


「仕留めろよ、サダヲ!」


「わかってるわよ、こうして……吸い込めばいいんでしょ!」


 サダヲの腕が、チャラ男の胸を貫いて背中へと突き抜ける。

 大量の水を浴びたおかげで、その力は大きく増していた。

 この戦いはであり、憑代の命を奪った時点でもう片方の命数も相手に握られるルールになっている。


「ぐぉわおぅおお!」


 チャラ男を貫いた腕から発せられる吸引力に、雪男の実体がほぐれ、霊気の粒となってサダヲに吸い込まれていく。

 数秒後、そこには地面に倒れるチャラ男の死体と、立ち尽くすサダヲ、それを取り巻く霧のように霊気を散らして吸い取られる、雪男の残滓があった。


 ……これが、ルールだ。

 チャラ男の身体にはなんの傷もないが、完全に死んでいる。

 すずは冷然たる挙措で、死体を見下ろすことができる自分に、もはやおどろかない。


「予想外にな。こういう殺し方ができるなら、最初からそうすべきだった」


「そうね。まあ、あなたが溺死をきらったおかげで、アタシもこうしてここにいられるわけだし、結果オーライということにしましょうよ」


 冷たい目線を交わし、薄い笑みを浮かべる。

 チャラ男の死体などに、もはや興味もない。

 地面にできた水溜りに、すーっと吸い込まれるように消えていくサダヲ。

 周囲を覆っていた黒い結界がぐらりと歪み、満月の景色がもどってくる。


「というわけで、アタシの特性上、水の多いほうへ移動してもらえると助かるわ」


「西、か。キャンプ場みたいな場所の横を小川が流れていたらしいが、さっきの雨でそうとう水量が増えているみたいだぜ」


「バッチコイね。さっさと移動するわよ、すず」


「うるさい、命令するな」


 すずはチャラ男の手からもぎ取ったナイフを手に、西へと足を向ける。


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