小平秀人までには七代かかる


 赤い月はさらに赤く、血豆のように天空を穿つ。


「そうか、きょうは皆既月食か」


 神社の境内。

 秀人はまっすぐに、空を見上げている。


「近づいています……」


 ぞくり、と巴が全身をふるわせて、注意深く周囲に視線を走らせる。

 彼女を守るように、軍服を着た老人が腰を落とし、軍刀を身構えている。

 ──まさか自分にも、こんなものが見える日がくるとは思わなかった。


 巴はさきほど、みずからの守護霊をとりもどし、第二段階のステージに参戦を果たしたのだという。

 もっとも彼女は、だれと戦うつもりも、いわんや殺すつもりなどさらさらない。

 ただ自分自身を守るため以外は。


「赤すぎる……」


 秀人の目は、天の彼方を見据えて剝がれない。

 深更にいたり、皆既月食がはじまる。

 これは科学で説明できることだが、その赤い血豆のような天体が割れて、滴る血が天から降り注ぐような事態を、世界中のいかなる科学者も説明することはできない。


「おおぉお、おぉおぉーっ」


 遠吠えにも似た嗚咽のような叫び。

 それは天空から響いて、まっすぐに鳥居の頂点を貫く。


「まさか、そんな……っ」


 ひっ、と短い悲鳴を飲み込んで、巴が数歩、吹き飛ばされるように後退する。


「下がれ巴、あれは人の立ち向かえるものではな……っ」


 巴の守護霊である老人が、その場に膝をついて苦しげにうめく。

 目のまえに、唐突に出現した巨大な黒い塊。

 その物体がかもし出す雰囲気それ自体が、霊体という存在そのものを脅かす。


「……ああ、来たのか、おまえが」


「く、だ、ん……」


 軍服の老人と巴の声が重なる。

 もっとも有名な都市伝説のひとつといっていい、それは〝件〟という怪異。


 ──牛の頭をした人間。

 秀人はまず最初に、そのことを認識する。

 そして、その身体が牛のように巨大に膨れ上がって見えるのは、の両手が巻き取った長く長く、果てしなく長い運命の糸に、無数の妖魔が巻き込まれた結果であることを再認識する。


「見つけた、やっと、見つけた……」


 件は両手を開き、牛頭を天に向けて、再び咆哮した。


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