向井清純と三毛猫シャルロットの飼い主
にゃあ、にゃあ。
猫の鳴き声が聞こえる。
向井はゆっくりとふりかえり、そこに赤い月に照らし出された桜木の姿を見つける。
彼女はひどく妖艶で、野生の香りを漂わせ、いつもより下品に見えた。
「桜木か。──ルールは把握したんですよね?」
桜木は、しばらく向井を見つめていた。
なにかを探ろうとしている。……なるほど、その目、きらいじゃないですよ。
「あいニャン、向井にゃんに連れて行ってほしいにゃん」
言いながら、足元の猫──あきらかに守護霊らしい──が、ぐっと背中を伸ばすような所作をする。向井を警戒しながらも、戦いは避けられると踏んでいる?
猫の動きに合わせるように、音もなく接近してくる桜木。
その一挙手一投足を、向井は氷のようなまなざしで見下ろす。
「とりもどしたようですね、きみの守護霊──名探偵シャルロット・ホームズ、でしたか?」
目に見えない霊の動きに合わせて、桜木の周囲に猫の影が走っている。
一方、向井の周囲には、なんの気配もないはずだ。
ただ、いつもと変わらない余裕だけがある。
……おまえの猫に、この意味がわかるか?
「向井にゃんは?」
探るような視線で見つめる桜木を、向井は
「この村がどうして〝皆殺しの村〟か、ご存知ですよね?」
「生き残るため、自分以外のみんなを殺すという、おそろしいゲームが行なわれた村だから……?」
考えてみれば、予備調査は彼女といっしょにした。
向井はうなずいて、相手の「民俗学」の底辺に探りを入れる。
「たしかに……人類史は、飢餓と戦争の歴史です。考えるまでもない。村に百人の人間がいる、食料は数人分しかない。さあ、どうします?」
「村から逃げ出すかにゃあ」
「土地に縛りつけられていた当時の人間に、そんなことが簡単にできるはずもありません。とすれば?」
「……怖い想像しかできにゃいお話だにゃあ」
「当然、生きる力の少ない人間から、死んでいく。さらに一歩を進めれば、優先順位をつけて、残るべきものが残るように調整をする」
桜木と見つめ合う。隙あらば、ここで喰らってもいい。
そう考えた瞬間、首筋にひやりと冷たいものを感じる。この期に及んで、猫が天性の予防線を張り巡らせていることに気づいた。
踏み込めば、ひっかき傷では済まない。負けるとは思わないが……いや、いい守護霊をもっているじゃないか、桜木。
「窮鼠も追い詰められれば、猫を噛むことだってあるかもにゃあ。きっと、すごい調整があったにちがいないにゃん」
「そうやって人類は、いままでつづいてきたのですよ。ただ、この村は、さらにその一歩先を行ったんです。──数人が生き残ったとき、残り九十人はどうなるか? 単にこの世から消えるだけでは、無駄ではないか?」
頭のわるい女子大生にも理解できるように、端的に説明してやることにした。
──つまり、こういうことだ。
現在、多くの物理法則、力学、化学を利用して、われわれは便利な製品をつくり、効率的に生きている。
だがこれは言い換えれば、地球がもともともっている資材を、役に立つように加工してやっているだけのことだ。
材料を集め、加工して、回路を刻み、電気を流してやれば、決められた法則にしたがって動く。
そういう仕組みになっている。
われわれは地球が最初からもっているルールを利用している消費者にすぎない。
あたかも神のごとく、物質やエネルギーをゼロから生み出しているわけではないのだ。
野生動物の一日分にしかならないエネルギーも、うまく調整すれば一週間分になるかもしれない……。
「魔力回路に関しても、じつは同様のことができるんです」
生き残るために戦う。
あまりにも自然な行為の結果、倒れた側の生命力のほとんどは、じつは魔力保存の法則によって、大地にもどってしまう。
そのエネルギーを、同じ量のボーナスポイントをつけて、倒した人間にもどしてやる回路がつくれはしないか?
この村には古来より、そんな呪われた回路が刻み込まれている。
魔力をもっとも増強する満月、そして新月の夜が、唯一、同時に来る日……。
「にゃん。皆既月食の日にだけ、発動する……?」
「最初は、ぼくにも信じられませんでしたがね、とある呪具が教えてくれたんですよ、そしていくつかの文献によっても
「最初は意味がわからなかったけどにゃ、あの古文書……」
それは先刻、村の資料館で発見した文献。
代々の村人の名前が書き連ねられた、一見ごくありふれた人別帳のようにしか見えないが、
「問題は別冊のほうです。儀式用に分けられたものがありましたね」
檀家別に区分された家計図のようにも見えるが、その別表の中に、一対一で名前を付き合わされた対照表らしきものがあった。
一行に、名前がふたつ。その片方が棒線で消されている。以後、消された名前は出てこない。
消されなかった名前は、以降の行に何度かくりかえし出てくる者もいるが、行数が増えるほどに当然、出てくる名前は減っていき、最終的にはわずか数名だけが残る──。
「だれが、だれを、消したか。すべては単独犯であり、全員がその罪を背負い、それらが積み重なって、歴史を刻んでいく──」
延々と名前が書き連ねられた名簿。
その列がすべて、殺し合いの結果を示している。
そんな古文書が存在すると考えただけで、桜木はぞっとしたように、
「たしかに、集団でひとりを殺すとなると、複数犯としか言いようがなくにゃる。はっきりと、だれが、とは言いづらいにゃ」
「本来、あいまいにしたいものを、はっきり個々人に認識させ、責任の所在を明確にしたうえで、その罪を末代まで背負っていこうという……どうですか、いやさか称えよ、この誇り高き殺人村!」
向井の冷たい視線に射すくめられて、桜木はきゅっと指を握りこむ。
猫が肉球のあいだに爪を隠そうとするかのように。
ふたりの間隙を縫って、猫の影が走る。
主人になにかを伝えようとするかのように。
「……向井にゃん、あいニャンを殺して、強くなるにゃ?」
じりっ、と後退する桜木。
向井は彼女を、ひどく侮蔑的に見下ろす。
「ザコを殺して簡単に上がるほど、こちとら低レベルじゃないんでね」
言葉のうえではバカにされているのだが、桜木はホッとした表情を浮かべた。
「あいニャン、向井にゃんの役に立つにゃ。だから仲間にしてほしいにゃー」
重なるように、にゃあ、と猫の鳴き声が聞こえる。
ピンポーン、とでも言いたいらしい。
向井はしばらく考えてから、ふいに桜木に視線をもどすと、
「まあ、そういうストラテジーも、ありといえばありかもしれません。よろしい、ついてきなさい」
「うれしいにゃん。シャルロットもお喜びにゃんよ」
桜木の周りを、猫の影がぐるりとまわった。
塵みたいなものだ、こいつらは。最底辺の霊力しか感じない。
こんな底辺女と低級霊など殺して喰ったところで、Aクラスのぼくの力は、1ミリたりとも増しはしない。
命を捨てて、あの猫が必殺の一撃を放とうとすれば、傷くらいはつけられるだろう。
だが、それだけだ。
リスクをとる価値はない──お互いに。
向井はそのように判断し、桜木に、戦闘にならないぎりぎりの距離を教え、それ以上近づくなと警告した。
もとより猫は、最初からその距離の1.5倍から近づこうとはしない。
……鋭い猫だ。
桜木たちに戦闘能力はない。だが正解を見つけ出す能力がある。
たしかに生かしておけば、利用価値があるかもしれない。
いままでは、ほどよくその力を利用させてもらってきた。
これからも、その利用機会がないともかぎるまい。
「……で、成瀬たちはどうしました?」
「早田っちは、やっぱり成瀬っちを追いかけていったみたいにゃん。あっちのほうで……ああ、もう決着ついたみたいにゃん」
桜木の示唆する方向、深い森のさき、成瀬と早田の戦いの末路がある。
……まあ、どっちでも同じことだ。底辺で、勝手に殺し合え。
向井が目指すものは、たったひとつ。
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