森崎千夏に残された選択肢
「げほっ、げほ……っ、す、すず!? あんた、生きてたの?」
便器から突き出された腕を支点に、千夏を巻き込みながら、すずはようやく死地から這い出した。
「ちょっと、向こう側でね、あの化け物の話を聞いてきたのさ」
ゆっくりと立ち上がりながら、あごをしゃくるすずに合わせて、千夏は視線を泳がす。
便器から上半身を出した、薄汚れたワンピースの長い髪が、恨めしげな視線をこちらに向けていた。
「あれって、その……」
「引っ込んでろ、サダヲ!」
すずが叫ぶと、サダヲと呼ばれた化け物の口が苦情を言いかけたが、睨まれて、しぶしぶと便器のなかへもどっていく。
きょとんとして成り行きを見守っていた千夏は、
「サダヲ、って、あの幽霊? えっと、サダコじゃなくて?」
「あいつは男だ。変態オカマ野郎のくせに、このあたしを溺死させようとしていたなんて、ほんと許せない」
やや見当外れな怒りをぶちまけつつ、すずは、びしょびしょの上着を脱いで思い切り絞った。
すずの薄い胸が上下するのを見るたびに、千夏は自分のほうが愛されるべき女の子なのに、と世間の評価の正反対を恨んだこともあった。
「男、なんだ。へえ、あはは、なんか変だね。けど無事でよかったよ、すず。ウチさ、タッちゃんもすずもどっかいっちゃって、一人ぼっちになっちゃって……」
泣き言を言いかける千夏を、すずは厳しい表情で押し止める。
「そんなことより千夏、おまえに憑いてた化け物と、おまえ、まだ合流してないのか?」
「う、ウチの化け物? ええと、それってなんだろ、例の水子かな、それとも病院の幽霊かな」
「病院の幽霊? おまえ、いったい何匹の化け物を引き連れてんだよ」
「わかんないけど、えっと、そいつはね」
いちばん思い当たる話といえば……そう、それは千夏が、いつものように狂言自殺をしたとき、病院で聞いた都市伝説だ。
そいつは車椅子を押す看護婦の骸骨で、見た者を死へ誘うという。
「これ、タッちゃんがくれたお守り。このおかげで、ウチ助かったのかな」
すずはそれを見て、ややげんなりした顔をする。
「同じやつもらったぞ、龍臣から。秘宝館で買ったやつだから、やらせろって。ぶん殴って返してやったけど」
「ぶっ! それ子宝とか安産的なやつ? クソ野郎、お守りまで使いまわしやがって……」
「まあ、龍臣らしくていいじゃん。じっさい、お守りの役は果たしたわけだし。……千夏が連れて行かれる代わりに、新しく生まれるはずだった生命が連れて行かれた、って話だろ」
ぞくり、と背筋をふるわせる千夏。
思い当たるところが多すぎる女……というのも、どうかと思われてもしかたない。
「そっか、そうなんだ。……あの車椅子、胎盤でできた椅子に座るとね、それは地獄への一本道なんだけど、とても安心するんだって。だけど立ち上がらなきゃならない。立たないと、それが大人になるってことなんだから、いつまでも子宮のなかに過ごしてなんかいられない、それが成長なんだよって、みんなは大人になれって言う、うっせーし、黙ってろし、ウチはウチやん、あんたならわかるよね、すず……すず!」
見上げる千夏の目が、恐怖に見開かれる。
すずも背後に冷たい気配を感じたらしく、ふりかえりながら立ち上がる。
その瞬間、それはすずと千夏の間に立って、まっすぐに千夏を見下ろしていた。
「つかまえた、あたしの赤ちゃん、お帰りなさい?」
そこにはナース服をまとった骸骨が一体。
それは恐怖で失禁する千夏を、慈愛をこめて抱きしめた──。
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