霧島すずもひとり暗い水の底で思い出す


 ある夏の日、すずは友人たちと海水浴にきていた。

 そこは入り江の岩場だった。


 周囲は岩礁になっていて、ボートが沈んでいることもある。

 事故で死んだ人間もいるらしいから気をつけて。

 そう言われていた。


 その場所へ、すずは誘われるように泳いでいった。

 いや、泳ぐというよりも、浮き輪に身をもたせ浜沿いを流れているだけ。ごく近くに見える浜辺が、彼女から危機感を奪っていた。


 それは逆に危険なことだった。

 本来的に、海水の流れに乗っていれば、時間帯からいっても沖へ流されるのが普通。

 しかしすずは、海辺に沿いた。

 ほとんど不自然に、ある場所だけを目指して。


 は、突然にやってきた。

 ぱん、という破裂音。

 浮き輪から空気が抜け、浮力を失った身体が海水に沈む。


 最初は、それほどあわててはいなかった。

 すずは泳ぎが苦手ではない、むしろ得意といってもいい。

 十数メートル先には、つかまって登れる岩場。さほど流れが強いわけでもない。


 ──そのとき、強烈な寒気を感じた。

 海水が渦を巻いている。飲み込まれたら危険なのではないか。


 泳ぎだそうとして、がくん、と海面下にはじめて頭が沈んだ。

 すぐに浮かび上がり、手足を動かして渦から逃れようとする。

 瞬間、はっきりと気づいた。

 あきらかに不自然で、強力な渦が、すずの身体を中心に巻き込みながら、引きずり込もうとしていることに。


「たすけ……っ」


 直後、再び頭が沈んだ。

 こんどは一気に、1メートル以上も深く。


 なんなの……海草?


 手足に絡みつくものを感じ、力をこめてその抵抗を押しのける。

 しかしそれは意思をもったものであるかのように、すずの手足に絡みつき、下へ下へと飲み込んでいく。

 つぎの瞬間、全身に痙攣的な恐怖が走った。


 海草ではない感触。はっきりとした力をこめて、すずの足をつかむものがある。

 なかばパニックに陥りながら、下に視線を向ける。

 ──そこには女がいた。

 黒髪を、すずの身体に巻きつけながら、腕を伸ばし、引きずり込もうとする女が。


「がは……っ」


 肺に含んだ空気の過半を漏らしつつ、混乱のきわみで本能的に手足をバタつかせる。

 女はすずの足首をつかみ、さらに強く引きずり込もうとする。

 すずは渾身の力をこめて、反対側の足で蹴りつける。何度か髪の毛に絡みつかれながら、思い切って引き込まれる力よりも早く潜る。

 そして近づいた距離から、女の頭部を蹴りつけた。


 がん、がん、がん。


 さらに深く沈みながら、何度も何度も蹴りつづける。

 ぶちぶちぶちっ、と髪の毛がちぎれ、足首をつかむ力が弱まった瞬間を逃さず、両足で女の頭を踏みつける。

 そのまま一気に海面まで浮き上がり、泳ぎだす。


 ──すずは生還した。

 彼女を水死の淵に引きずり込もうとするものの手から、そのときは。


 その後、その海で死んだ人間の話や、脈絡をつけるための因縁話をいくつか耳にはした。

 そこは危険な海で、流れ着く自殺死体や、事故で死んだ者もいるという。

 彼らが仲間を求めて、魅入った海水浴客などを誘うのだと。


 だが、すずにとって、物語を聞いて納得するなどということは、たいした問題ではなかった。

 彼女の足をつかみ、海中に引きずり込もうとしたものがいる。

 そうやって、彼女を溺死させようとしたものが。


「溺死なんて、冗談じゃない。ぶよぶよになって、苦悶の表情は醜くて、美しく散るべき者の最期としては、とてもゆるせない」


 それを聞いた龍臣はゲラゲラと笑い、途中まで空恐ろしげに聞いていた他の友人たちも、なんとなくばつが悪そうに困ったような表情を浮かべた。

 ──こいつらはアブねえ。

 まともな生徒たちは、そう正しく判断して、すずたちの周囲から離れていった。


 すず自身、自覚している。

 そうして残った危ない三人が、いま、こうして呪いの村に流れ着いたのは、ほとんど必然といってもいいかもしれない。


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