森崎千夏はひとり残されて思い出す


 ふらふらと校庭を進み、廃校舎の横に沿うように設置されたトイレまで行く。

 呼んでいる。呼ばれている。


「どうして、こんな、ことに」


 脳裏には、さっきまで友人たちとはしゃいでいた時間が、走馬灯のように巡った。



 ──車中、三人で駄弁るのはいつものこと。


「ウチらがつるんでるのってさ、ほんと変な話だよね」


 いつ死んでもいいような運転をする龍臣の横には、いつも千夏がいた。


「つまはじきが集まってるだけさ」


 後部座席、飄々と冷徹な意見を宣うすずも、龍臣に勝るとも劣らない破滅的な思想の持ち主だ。


「いつ死んでも、世の中のやつらは喜びこそすれ、悲しまない三人ってわけだな。けっけっけ」


「死んでやってもいいぜ。より美しく、伝説になるような死に方ならね」


 すずがたまに読んでいる不気味な装丁の文庫本は、死を美化した退廃の詩人のものが多かった。


「ウチは、すずみたいな死にたがりやない。ただ、生きていることを確かめたいだけ」


 両手首に厳重に巻かれた包帯代わりのリストバンド。

 茶褐色のその色が、千夏自身の汚れた血の色だと、身近な連中は知っている。


「いっそ全部ぶっ壊しちまえばよかったのさ。中途半端に残すから、めくどくせえことになるんだ」


「考えられないね。死ぬふりまでしてかまってほしいとか、ほんとやめてほしい。死に対する冒瀆だ」


 龍臣の破滅にも、すずの自滅にも、千夏は同意できない。

 彼女は自分がただの女の子で、どこにでもいる愛されるべき少女だと知っている。

 だから、このなかにいれば、だれよりだと思える。


「おかしいのは、あんたたちでしょ。みんなを道連れにして死にたいとか、美しく死にたいとか、そっちのほうが狂ってる、ぜったい。ウチは、ただのやもん。そうなってもしかたないって、カウンセラーのひとも言ってた。──ウチは、オモチャだったんだから」




 再婚した母、二番目の父親は、まだ小学生だった千夏を呼んで、ひどくやさしく撫で回した。


 最初は意味がわからなかった。

 何回、何十回、何百回。

 そうして千夏は、やがて、その意味を理解した。


 それでも、やさしかったならかまわない。

 家のなかの関係がどんなに崩れようと、やさしくしてもらえるならかまわない。


 だけどあいつは、酒を飲んだ。

 その悪魔に飲まれたとき、狂気を千夏にも向けた。

 母親が見ているまえで、千夏は何度も殴られた。


 母親は娘を助けなかった。むしろ加害者ですらあった。

 千夏は殴られ、犯された。

 そしてあるとき、破綻がやってきた。


 がぶり、びしゃっ。


 そのときの感触を、カウンセリングでは、もう忘れたと言い張っている。

 だがほんとうは、よくおぼえていた。


 ぷちょり、と皮の張ったソーセージを噛み破る感触。

 茹でたて、というほどの張りはなかったけれど。

 すこし時間が経って、ややぶよっとした感触のフランクフルト。

 千夏は渾身の力をこめて、それを噛み切ってやった。


 ──その後の騒動は、よくおぼえていない。

 救急車と警察がやってきて、ほどなくそこに家庭裁判所の調査官と児童相談所の福祉士が加わった。

 千夏は親戚に引き取られ、新たな人生を送ることになった。




 千夏は嘔吐した。

 薄汚れた便器に顔を突っ込み、内臓を全部裏返すような勢いで。

 脳内の走馬灯は、まだ引き返すことのできた最近の記憶をたどる。


「──おまえの場合はさ、幽霊とか化け物が出てくる以前に、人生そのものが都市伝説なんだよな」


 運転席から降りて、この村の朽ちた神社を見上げながら、龍臣は言った。


「意味わかんない。言っとくけどあたしは、あの腐れたソーセージの御祓いにきたわけじゃないんだからね」


「げらげらげら。いいねえ、やっぱ俺たちの仲間にふさわしいぜ、おまえってやつは」


 龍臣の腕が伸びて、千夏の茶色い頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。

 すずは車から降りながら、さして興味もなげに淡々とした口調で、


「阿部定の二番煎じの都市伝説、けっこうありそうだな」


 昔、性交中に男性を扼殺し、局部を切り取って世間を騒がせた女の事件があった。


「ふーん、そういう素敵な女もいたのね。じゃ、それってよくあることなのね」


「よくはねえだろ」


 参道に向けて歩き出す龍臣について歩き出した千夏は、ふと背後のすずを顧みて、


「すずはお参りしないの? あんたも幽霊、背負ってるんじゃない?」


「だとしても、こんな神社に頼るつもりはないね。いってらっしゃい」


 すずは助手席に移り、リクライニングを倒しながら、ひらひらと手を振った。




 ──そうして、お参りをしたのに。

 神さまなら、救ってくれてもいいはずなのに。

 千夏は再び盛大に嗚咽したが、もう胃袋に吐き出せるものは残っていなかった。


「くそったれ、ウチを呼ぶな、ウチはちがう、死にたくないんだ」


 つぎの瞬間、便器からざばっと汚物を撒き散らしながら伸びてきた腕が、千夏の首筋をつかんで、その頭ごとぐいっと引き込んだ。

 暗闇の向こう側、彼女はそこに、信じられないものを見た。

 ……すず!?


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