第41話 small diameter

 個室に通される。家の自室より少し広いが、ベッドが置かれていない分それは広く感じられる。部屋は充分綺麗だ。整理整頓されている。

「貴方の好きなようにして。」


 部屋の横側には大きくて分厚い一枚板で出来た机が置かれており、その上にはキーボードとパソコンのモニターが三台展開されている。

「ここは仕事部屋なの。」

彼女が電源を入れる。しばらくするとpasswordという文字が浮かび上がる。僕は彼女の方を見た。彼女はそのデスクに座り、画面に向かい合うとキーボードに手を伸ばした。

「lainfield」

するとパソコンのロックが外れた。あるショートカットプログラムが自動で立ち上がる。でもデスクトップはいつまでたっても真っ暗なままだった。それは何の反応も示さなかった。


「まずは、バイクの取得からね。」

バイクの取得?

物事は丁度始まったばかりのように思えた。終点の藤沢で降りると自宅に帰る。銃は持たない。


 放課後、クロスバイクに乗って教習所に寄る。取得申請を出したのは、オートマの小型二輪免許だ。その理由は最短で免許取得が可能だからだ。今までギターに割いていた時間を免許取得に当てればいい、簡単な話だ。そして二俣川の免許センターに行き、紫乃華の言う通りその場で国際免許の申請を出す。


 僕はそれらの退屈で、ユーモアに欠け、自分が死んでいくような感覚を味わえる事務作業を片した後、紫乃華に電話を掛けた。三コール目で彼女は応答した。

「免許を取ったよ。」

「いい調子ね。」

「明日うちに来なさい。」


「お待たせ。」

「こっちよ。」

彼女のガレージには軽自動車とバイクが置かれている。このバイクはたぶん、前回はなかったはずだ。

「アプリリアのRS4。」

それは黒い機体に赤のサブカラーのレーシングバイクだった。

「イタリアンバイク、125cc。

付け加えるなら、その中でも最速のバイク。」

「いや、これにはおそらく乗れないはずだ。」

「その通り、ここではこれに乗れないわ。」

「ここでは?」

「国際免許の申請はしたでしょ?」

「ああ。」

「国際免許の場合は乗れる、ということよ。

とりあえず、このガレージ内でマニュアルについて勉強して。」

その彼女の顔を見て僕は思わず口笛を吹きそうになった。その後僕はそれを試乗した。確かにかなりスピードが出るようだった。

「どうだった?」

「これなら二分で教習所のコースを終えられたのに。」

「じゃあ決定ね。

あとこれ」彼女はスマホを渡す。

「もしもし。」

電話の向こうからは堅い声がした。

「樫江です。

聞きたいことがあって。」

「ブロンドガールについて?」

「ええ。」

「教えたいのは山々だが、こちらにもその情報は入っていない。」

「入っていない?」

「考えられることはいくつかある。

しかしどれに該当しても、今私が出来ることはない。

今私に出来るのは、君にヒントでも与えることくらいだ。」

「ヒント?」

「まあヒントとは言えないな。

私からのささやかな手助けだ。」

「はあ。」

「君はそのことについてどう考えている?」

「彼女は今君の元を離れ、行方不明になっている。」

「そうだろうな。

何故彼女はそんなことをしたんだろう?

または誘拐されたのだろうか。」

それは僕がずっと考えていたことだった。

「何かから逃げたのかもしれない。」

「逃げる?

何から?」

「この現実の世界から彼女は音もなく消えた。

アハトワの晩餐会は彼女に何かを示唆したかもしれない、でもそれが関係しているとは言えない。」

彼女は千緋炉の駐車場と莉乃の自宅を間借りしていた。

「彼女の失踪に目的があるか定かではないけれど、もしあるなら、それは何かから逃げるのか、進むためかが分からない。

もしかしたら彼女は、貴方達から逃げたのかもしれない。

または」そこで少し考えて言う。

「僕から逃げたのかもしれない。」

「嫌われるようなことでもしたか?」

「分からない。」

「・・・私から二つほど助けを用意しておく。

まずはそのバイク。

もう一つは彼女に聞いてくれ」そう言うと彼は通話を切る。

 

 部屋に行くと、何かを取り出し僕に渡す。 それはカタール航空のドーハを経由して羽田からバルセロナへと行くフライトチケットだった。時間は……

「今夜?」

確かにチケットには今夜の十一時前発と書かれていた。

「頑張っているみたいだから」そう言うと彼女は微笑んだ。それで僕はこんな彼女を疑っていた自分が心底嫌になった。

一つは行きの航空券。

ビジネスクラスを取っておいた。

これがどういうことか分かる?」

「修学旅行としてではなく、仕事として行けと?」

「その通り。

スーツにビジネスバック一つで来てもらいたい。」

「念には念を。」

「そう。

アハトワの晩餐会でスーツを着ていたでしょ?」

「一応。」

「構わない、それを着てきて。

入国審査でも目的を聞かれたら情報系のビジネスとだけ答えて。

ノートパソコンを持っていく必要はない。

奴らはそこまでは確認しないから。」

「彼女は今スペインにいるのか?」

「そのようね。

でもそこから先は誰にも分からない。」

僕は国道一三四号線を直進し続け帰宅した。やれやれ、彼女と会わなければ、僕はバイクの免許なんて高校生の内に、いいや、生涯の内にまず取ることはなかっただろう。 僕の時代というのはとにかく、そういう世代を中心に構成されていたのだ。


 最早この国で出来ることは何もなかった。こうして僕らはスペインへと向かうことになった。僕は北口の大型家電量販店に向かうと変圧器とガイドブックを買う。そしてバックパックに荷物を詰めていく内に、僕はここを離れ、その行ったことのない何処かに行くのだという実感が湧いてきた。


                               <転に続く>

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