第30話 心に思い浮かべる景色であれば

DATE: 9th September

PLACE: Hokuei High School

EVENT: Culture Fes


 今月僕がしたことと言ったら文化祭の準備程度のみだった。それは二日間に渡って行われる。前半は校内でのイベントなのでまあ客受けを確かめたりどんなトラブルが起こるかの把握くらいしかすることはなかったが。要は内祭りだ。後半の一般公開が、翌日の今日行われる。学校はまだまだお祭り気分だ。


 北英高校の屋上はまだ出来たばかりということもあって比較的綺麗だ。文化祭用に作られた軽音部のティーシャツを着て(秋音がデザインした)その一面真っ白の床を歩く。予定通り二階の我が六組から体育館にあった延長コードを伸ばし、コンセントに繋ぐ。時刻は正午になろうとしている。アンプの電源を入れて調整を済ませるとギターのボリュームをミュートにする。と言っても一曲目で僕は演奏をしないのだが。それをミアに渡す。彼女は頷きそれを貰う。彼女の顔はわくわくと緊張が混ぜ込まれている。僕もきっとそんな顔をしているだろう。莉乃はベースを、千紘はドラムを、秋音はギターを調整し、それが終わると僕らは顔を見合わせる。時刻は午前十一時五十九分、いよいよだ。時間になると千紘がスティック同士を三回叩く。それがこのルーフトップ・コンサートの開演合図だ。千紘と秋音が顔を見合わせ、千紘がスネアを叩くのと同時に、秋音がギターでイントロを弾く。その音は思いの外大きい。これで全校生徒に聞こえただろう。僕は息を大きく吸い込む。青空と白い床が互いを一段と美しいものにしている。空に向かって叫ぶ。千紘が思い切りスネアを叩く。

Don't let me down!!

間違いなくこれで全校生徒が僕の声を認知しただろう。秋音のカバー、千紘のドラム、莉乃のベース。ミアが僕の裏を歌う。フェリーのカラオケで練習して以来、合わせるのは初めてだ。イントロが繰り返される。

Nobody ever loved me like she does.

Oh she does.

Yes, she does.

And if somebody loved me like she do me.

Ooh, she do me.

Yes, she does.

最初よりも一際大きく、僕は息を吸う。

ドント・レットミーダウン!

千紘のドラムが続く。

こうして僕らにとっての、本当の文化祭が始まる。


 次にリナにボーカルをやる。

We the people fight for our existence.

We don’t claim to be perfect but we’re free.

We dream our dreams alone with no resistance.

Fading like the stars we wish to be.

You know I didn’t mean.

What I just said.

But my god woke up on the wrong side of his bed.

And it just don’t matter now

「Cause Little By Little

We gave you everything you ever dreamed of

Little By Little

The wheels of your life have slowly fallen off

Little By Little

You have to give it all in all your life

And all the time I just asked myself why,

you really here?」

二番を歌い、もう一度サビを繰り返す。

「Why am I really here」

「Why am I really here?」

それが終わった途端、秋音はギターを盛大にかきならす。それに千紘のドラムが続く。

「皆さ〜ん!

北英高校軽音部の文化祭ライブはまだ始まったばかり!

まだまだ盛り上がるよ!

午後三時からの軽音部室に急げ!」

それが終わると僕らは機材を仕舞い、屋上の扉に出る。そこにはもちろん幸恵教諭が立っている。

「お前たち、やってくれたな。」

はあ、と盛大にため息を付く。でもその顔はなんだか嬉しそうにも見える。

「お陰で私の焼きそばを食べる時間はパーだよ。まったく・・・。」

「でもなんだか嬉しそうですね?」

そう言われて複雑な表情が顔を覗かせる。驚きの顔、図星を突かれた顔、4割の怒りと6割の微笑み。

「いーから、職員室に来なさい。」


「それで、戦犯とかはあるのか?」

「まあ、最初に歌い始めたのは樫江君ですね。」

おい。

「それを言うなら部長が責任を取れ。」

「一応聞いておくが、これ以上何かやらかす予定はあるか?」

「いえ、ありません!」

「そうか、ならまあいいか。

いや、全く良くはないんだが。

文化祭翌日、掃除が終わったらまたここに全員で来なさい。」

「幸ちゃん先生サイコー!

まじラブ!」

彼女はため息をつく。

「叱るのはその時まで待ってやる。

あと、樫江は残るように。」

「「失礼しましたー!」」

彼女たちは職員室を後にする。

「何か話でも?」

「まあな。

一服付き合え。」

職員室を出ると坂を降り、プレハブ校舎のあったところに行く。そこは今では生徒の駐輪場、職員及び来校者の駐車場となっている。彼女は自分の車のところまで歩いていく。白いハッチバック。オーテックと書かれている。

「良い車ですね。」

「ああ、内装は拘ってる。

まあ、良くも悪くもハイブリッドだがね。

今日は君のお姉さんは来てるのか?」そう言いながら彼女はマルボロを取り出す。

「さあ、どうでしょう。

気になってるみたいですが、あの性格ですから。」

分かりませんねと僕は返す。

「なあ、片瀬って君のお姉さんみたいなところがないか?」

「そう思っていたのが僕だけでないと知って、嬉しい限りです。」

「どうせ彼女の企画だろ?」ジッポで火を着けると単刀直入に質問される。

「僕が軽音部に入ったのは片瀬が原因ですが、これは違いますね。

誰が言い出したかは定かに覚えてないですが。

やっぱり皆での犯行かな。」

「そうか、全く愉快な奴らだ。

なあ、お前は自分のお姉さんと似ていると感じることはあるか?」

僕は苦笑する。

「さあ、どうでしょう。

根底に似た部分があるのは否定しませんがね。

彼女ほどクレイジーな考えを実行しようとは思いません。」

それを聞いて彼女は笑う。

「そうだな。

でも時々あいつが、羨ましく感じるよ。」

「その気持ちは分かりますよ。

「話はそれだけだ、もう行って宜しい。」

失礼します、と言うと僕は助手席を降りドアを締め、その元プレハブ校舎を後にする。去年の思い出が全てあそこに詰まっているが、きっと幸恵教師の思い出はそれ以上に詰まっているのだろう。

誰かが車の窓をノックする。

「ひょっとして幸ちゃんじゃない?」

「・・・樫江。」

「あ、やっぱり〜!

見覚えある車だと思ったんだ〜。

何、相変わらずマルボロ吸ってんの?

一本頂戴〜。」

彼女はそれを渡して言う。

「弟のライブは見たか?」

「見たというより、聴いたが正しいかな。

あの新校舎、ずるくない?

こちとらプレハブ育ちだっつーの。」

「ストリート育ちみたいに言うな。」

お里が知れるぞ、と彼女はやれやれと思いながら言う。

「ふん、どーせプレハブ育ちです〜!」

「プレハブでも屋上はあっただろ?」

「まあね。

でもあれは思いつかなかったかな。」

「全く、一本食わされたよ。

今週の職員会議で何を言われるか分からんね。」

「我が弟は停学とかになるのかな?」

「さあな。

でもまあ、始末書もとい反省文程度じゃないか。

事前に申請してなかっただけで、事件は起きちゃいない。」

「そ。

でもあの家から苦情が凄そうだね。」

「ああ、それだけが悩ましいよ。

文化祭ということで、無礼講にしてほしいものだ。

まさか私が校長と頭を下げに行く、なんて羽目にならなければいいんだが。」

「懐かしいね、この感じ。」

「ああ、本当にな。

もう私たちは一人前にタバコを吸ってるんだ。」

自分が高3だった時からもう10年経っているなら、時の早さにはいつも驚かされる。

「でも私たちは、無の深淵の上にある壊れやすいプレハブの住人なのよ。」

「お前はたまに難しいことを言う。」

「そうかな?

まあ、そうかもね。

ルーフトップ・コンサートは誰の案だって?」

「私は片瀬という生徒だと思っていたんだが、どうやら全員での企画・実行らしいな。」

「きゃたせちゃん?」

「知ってるのか?」

「彼女たち、一度うちに来てるから。

彼女とは気が合うかもと思ってたのよね〜。」

「頼むから、これ以上関わるな。」

どうせろくな事がない。幸恵は頭に手をあててそう言う。


 午後三時のライブまでクラスの出し物に参加する。夕方までのライブの一組として、またさっきとお同じ程度の時間僕らはライブする。まず休憩時間、秋音は千紘と莉乃とポリフィアのシャンペーンを熱奏する。会場の熱気は最高潮だ。それが終わるとリナのファンを想定し、ワンダーウォールを彼女が歌う。彼女の咳払いに合わせて僕と秋音がギターを弾く。他にガールズ・バンドのカバーを数曲。後夜祭に僕らの出る幕はない。ただ僕らは僕らのやりたい曲を好きにかきならすだけだ。

「陵史。」

「・・・紫乃華。

この前のパーティー以来だね。」

「ええ、ミス後継者もいるの?」

「いるどころか、さっきまで屋上でドラムをぶっ叩いてたよ。」

「聴いてたわ。

貴方って、意外と肝が座ってるのね。」

「そいつはどうも。

アハトワさんならクラスの出し物の方じゃないかな。

それにしても、本当に高校生なんだ。」

「当たり前でしょう。」

最初に出会ったところがあんなだと、ギャップがある。


 その為に僕らはわざわざ一年の体育の授業で踊りの練習までしたのだ。でもまあそれはお楽しみだ。クラスの出し物だってそこそこ上手く行っている。まあ僕がしたことと言えばプロットの案とストーリーに多少関わったこと、父の地下室にあった絵を小道具として提供したことくらいだったが。僕はリナと一緒にリビングテーブルの席に付き、同じく鬱々とした表情をした。教室に着くとポロシャツを脱いで下のクラスTシャツだけになった。北英急行殺人事件~Murders on Hokuei Express~と何やら不吉な単語が書かれたそのTシャツは紫を基調に作られていた。説明する必要ないであろうが高校が電車になっている。探偵っぽいシルエットも描かれている。僕らの脱出ゲームはなかなか好評だった。船上パーティーに招待された複数の探偵という設定で客はゲームに参加する。鍵が無くなり外から閉じ込められた乗客。アナウンス越しに聞こえる犯人の声。老若男女も楽しめる設定や、誰も気付かないような伏線とストーリー。幾つかの同種の話をストーリー班で下調べして、各位が好きなミステリー要素を付加したのが大きかった。当然その分反発も大きかった訳だが…。僕は光晴に差し入れを持っていくのとお客さんの呼び込みくらいしか仕事がなかった。それにしてもこの高校は本当に文化祭への力入れが凄かった。中庭にはダンボールで作られた巨大ロボがそびえていた。何あれ今回の行事と関係なくない?みたいな奴だ。あんなでかいけど安全面では大丈夫なのだろうか、しかも当日いきなり出現したし…。後は二階の連絡通路から中庭へとたくさん滑り台作ってみたり…他にも一般的でポピュラーなはずのお化け屋敷も3クラスが結託して二階の西側の南棟を完全に別次元と化していた。今年の文化祭のテーマはHOKUWOOD。


  今回の文化祭もなかなか悪くない出しものを数多く叩き出していた。

「何よこれ・・・。」

一般参加ということで来校していた紫乃華が一人ごちていた・・・。隣には姉さんもいたはずだったのだが、旧友を見つけたらしく何処かへと行ってしまった。

「紫乃華はこういうの苦手だったっけ。じゃあ入るか。」

「貴方はアスペなの?」

案の定のクオリティの高さに泣きながら廊下に出た紫乃華をスマホで撮ると僕らは一息ついた。流石は北英祭。テーマパークレベルだ。受験を投げうった文系クラスが一致団結しただけのことはある。しかも三クラス使ってのことだけはあり滅茶苦茶に長かった。それから僕は彼女の期待に沿えて音楽室へと向かった。軽音部のライブハウスと化していたそこは冷房がんがんで暗幕が掛けられていて涼しいことこの上ない。飲食出来ないのだけが残念である。

「貴方はいつ出るの?」

「午後の部だよ。先に隣の学食で飯でも食わないか?

今日は文化祭特別メニューがあるんだ。」

正直胃は緊張の為何かを口に入れることを断固拒否していたが無理矢理食べないことには始まらない。昼休み中に弾き語りとして秋音がやってからのスタートとなる。そしてその前に僕は紫乃華の要望で僕のクラスの出し物を観客として見た。でも話の内容は知っていても、ぼーっとしか入ってこなかった。頭は次のライブにソースが割かれていたからだ。そしてそのせいかもしれない。僕は幻覚を見た。


 それは丁度舞台が終盤の時だった。犯人がペーパーバック・マスクを被る時間を取るために、一度照明が落とされた。そして十秒強をナレーターや役者が繋ぐ。そしてもう一度しんとなる。そこで本来はスポットライトが犯人の顔に辺り、照明が付くはずだった。だがその光は違うものを映し出した。それは鏡だった。そしてそれはその言うなれば演劇を見ている観客に跳ね返り直撃した。僕は一瞬何が起きたのか分からなかった。ただ僕は強い光の洪水の中にいた。そしてライトが僕からずれた、でもそれは僕からずらすためだけの一時的な移動だった。僕の目がもとに戻った時、なぜか光は僕が地下室から持ってきた絵画に注がれていた。それは5秒ほどの出来事だった。そして僕が視線をやったのは鏡の中の二人の人物だった。最初それはぼやけて見え、次に二つの黒いシミになった。そして目から涙が溢れ始め、やっとその痛みが消えたころにその二つの影は両親の姿を映していた。僕はまた訳が分からなくなった。それは確かに父の遺品だが、その絵自体には関係ないはずだ。僕は涙を拭いてからもう一度その絵を見ようとした。でもその頃には光はもう違う別のものに向けられていた。さっきの出来事は瞬間の邂逅だったのだ。そして観客が息を呑むのが分かった。いったいどうしたのだろうと僕は光の先を何も分からないまま、考えないまま見た。それはペーパーバック・マスクマンに当てられていた。これに関しては僕だって息を呑んだ。ある女性は細い悲鳴を一瞬上げた。中にはそれを見て泣く子供もいた。面白がっている人もいた、彼らは笑ったりはしなかった。全員がその紙袋の犯人に注目していた。それは油性ペンでめいいっぱいに書かれていた何か一種の麻痺状態を引き起こした顔だった。一体誰がどんな思い付きで描けばそうなるんだろう?美術部部長の精緻な仕上げ方とは全く種類の異なる荒々しいタッチだった。それは人間の顔の骨格と皮を理解した上でデタラメに作り直したかのようだった。まるで新しい、暗く深い顔を作ったみたいに。それは何かの影を凝集したような存在だった。そしてその紙袋からもまた、おぞましい声がした。実際に観客として観るのは初めてだったのでそれがどの程度の声として聞こえるのか僕は知らなかったのだ。そいつは低く、思い声で暗闇の中に向かって話した。

「正義は時代によって変わる。」

それが一言目だった。正義は時代によって変わる?黒いスーツの男は続きを述べた。

「私は人殺しだ。

そしてやつの流した血でまた別の企てをするはずだった。

俺はずっと搾取されてきたんだ。

それが俺にだけ赦された唯一の抵抗であり、反抗…犯行だった。

俺はやつから痛いほど学んだとも。

それは愛や欲望よりも大事なことだ。

それは恐怖だったのさ。」

「俺はなんとか奴に搾取されながらも生きようとした。

でもそれじゃ駄目なんだ。

下らない日々を生きて忘れたままんかだと、魂が腐っていく。

お前たちはそういうのって分かるか?

間違ったことを、人は続けられない。」

「お前はもう人じゃないだろう」と探偵役のクラスメイトが言った。

「お前は殺人鬼だ。」

「じゃなきゃ俺が死んでいた。

恐怖が人を学ばせるんだ。

俺達は腐りきった世界に生きてるんだよ、お前らほどそのことに気付かないんだ。

優しいやつほど力に欠け、醜いほど力を持っているのさ。

このペーパーバック・マスクのように!」

それは長い長い怨嗟だった。でもそこで彼の演説は終わった。というのも探偵がレプリカ銃を構え、機材班は発砲のSEを流したからだ。そこでやっと僕は呼吸を取り戻し、呼吸を整えることが出来た。顔から汗が吹き出ていた。今のはなんだったんだ?彼のどんなセリフでさえ僕には覚えがなかった。奴の流した血、別の企て?恐怖と腐っていく魂……。そんなことをリフレインしていたせいで僕は最後の探偵の決め台詞、または終わり文句を聞きそびれてしまった。劇が終わったことに気付いたのは、観客席からの熱い拍手だった。クラスの出し物は三年生達の中に潜り込み三位を受賞した。話が面白いと年上から好評だった反面、年下や親からは不評だった。


 そんなこんなで僕やバンドメンバーやミア等のダンス部は、それぞれが実力を出し切ってライブに臨んだ。結果はどうだったかなんて、そんなこと頼むから聞かないでくれよな。一つだけ言えるのは、僕らは二年生で、しかも進入部員の全然今回の主役じゃない癖に好き勝手やったってことだ。そういうのは全然悪く無かった。でも坂を上がって機材の持ち込みをうるのは骨が折れたよ、二度とやりたくない。最後に全校生徒でダンスを行った。クラス毎に男女が重なるように二つの円を作って踊るんだよ。僕は手始めに千紘お嬢様と踊り、秋音や莉乃、何人かのクラスメイトと踊った。そして丁度ミアと踊るというところで、曲が鳴り止んだ。でもそれは曲が変わる為に切られたのではなく、この度の文化祭の終了を意味していた。曲はもう鳴り始めなかった。彼女の華奢な腰に僕は手を回し、彼女は僕の背中に手を回していた。そして時間が止まったままみたいになった。


「残念ね」そう言うと彼女ははにかみのような微笑みを浮かべた。全くその通りという風に僕も頷いた。つまり、家で僕らがいくらでも踊れるのとは対称的に、ここでのダンスは一度しかないからだ。それから僕らは体育館に置いた荷物を取りに戻った。僕や秋音や莉乃はその後坂を降りてから新校舎によると自分達の楽器を音楽準備室に置いていった。これからクラスの打ち上げとは別に文化祭ブロックでの打ち上げがあるからだ。時間は馬鹿みたいに早く進んでいった。


 文化祭の一般公開が無事好評の内に終わり、海岸での打ち上げという名の花火大会も終わった帰り道、僕を含んだいつものメンバーは藤沢に向けて海岸沿いを歩いていた。じめじめとした蒸し暑い夜で、車は隣の国道134号線を音を立てながら素早く通り過ぎていった。時にはバイクがうるさすぎる音を出した。僕らは初めは茅ヶ崎駅まで戻って電車で帰ろうとしていたが、それじゃ味気ないという話になり、海へ行くことにした。サザンビーチからもうかれこれ一時間は歩いている。この季節の海岸や海岸通りに人は全くといっていい程いない。道路を車が走るだけだ。大型トラックを中心に、勤務帰りと思われる車など、様々な形の、様々な大きさのライトが僕らをすれ違いざまに眩しく照らしていく。

「ここ、夏に皆で来た所ね。」

「確かにその通りだ。」

「そうだ、良いこと思いついた。ちょっと海岸に降りようよ。」

僕は周りにお構いなく勝手に流木を集め、バックから食べ終わったポテトチップスの袋とライターを取り出した。

「それってもしかして。」

「こうするんだ。」

油のついた油まみれのお菓子の袋は良い着火材になると昔何かの記事で読んだことがあった。湿気のせいでなかなか流木に火が回らない上に暗闇での流木集めには骨が折れたが、その甲斐あって最後はちゃんと引火してくれた。次がもしあれば、もっと事前に下準備をしたいところだ。

「なんだか文化祭に相応しい景色だ。」

それは二年の一大イベントが終わった達成感やリアルタイムな感覚、感傷的な気分を抱かせた。そして僕らに汗もかかせた。確かに今日は心地良くもやや冷たい強風が吹いていたけれど、この湿気と火があっては意味のないことだ。僕は観念して靴と靴下を脱いで、ズボンの丈を膝までまくった。そして海まで行くとその暗く、不気味とも言える雰囲気の深い海を眺めた。左奥の方から定期的にライトが鋭さの欠けた瞬間的な光を送ってきていた。僕はゆっくりと注意深く歩を進めた。海風と海水が高熱を奪っていった。そして次のライトが僕を照らし出した時、ここにいたのは僕だけではなかった。ライトは、彼女のことも照らし出していた。

「知ってる?」

その声はいつも通りで、完全にリラックスした声だった。

「まだ私がこっちに来た日から3ヶ月しか経ってないのよ。」

「信じられないな。」

それが素直な気持ちだった。色々な出し物や企画があり、前からこのメンバーでいたみたいだった。

「修学旅行の用意もあったし。」

彼女も光の源である灯台に目をやっていた。莫大な暗闇に一閃の光が吸い込まれていく。僕は唐突に今年の夏の海から帰ってきた時の姉との会話を思い出した。でもそれを忘れようとした。

「君には何度も思い出す風景はある?」

陵史からのそういった問いかけはあまり多くない。つまり文化的的、風土的違いによる質問ではなく、個人的な質問ということだ。

「それは行ったことのあるどこかということ?」

「いや」彼はしばらく考えた後で言った。

「どちらでも構わない。

とにかくそれが心に思い浮かべる景色であれば。」

でも彼が本当にその短い沈黙で考え事をしていたのかは分からない。彼の個人的質問の多少の差が私への個人的関心を示しているのか、彼の心づもりがそこまでは分からないように。彼の目は遠くの水平線をただ見つめている。

「あると思う。」

きっとそういうのは人間が多かれ少なかれ誰でも抱えているものの1つだ。

「それは行ったことのあるどこか?」

「行ったことがあるとは言い難いかもしれない」私は言葉を選んでそう言う。

「ただいつもというほどではないけれど、同じ夢を見ることがある。

大体は起きた後そのことに思い当たるのだけれど。」

「夢は体験や経験がもとになっている。」

「たぶんね。でもその経験は私の見たのとはずいぶんと違う角度から見てるみたい。

貴方は?」

「僕もある。」

「行ったことのある場所?」

「いや、一度も行ったことはない。」

「つまり、それは物語や映画の景色なのかしら?」

「そういうのでもない。つまり君とは違って具体的な地名があると思う。」

「あると思う?」

「たぶんカナダだ。カナダのどこかの湖。

中学か高校かは分からないけれど、ネットで何枚かカナダの紅葉と湖を見たことがある。

でも僕の中にあるその風景は、実際のそういった画像を基に僕が想像する世界なんだ。

この違いって分かるかな。」

「Mental landscape. 」

彼は頷く。

「そしてそれは僕の中にしかないオリジナル・ランドスケープなんだ。

広い湖で、カヌーに乗っている。

でもどんなカヌーかは分からない。

もしかしたらそれはカヌーでさえないかもしれない。

とにかくそんな景色の中にいる。

そこを往復するのには数時間か、それ以上かかるかもしれない。

でもとても広大がすぎるというわけじゃない。

そして釣りをすれば新鮮な魚も取れるだろう。

でもそこは海とか川じゃなくて湖なんだ。

たまにそのことが気にかかる。

どうして同じ水のあるところでも湖でなくてはならないんだろうって。」

「貴方のイメージの原点だからじゃないの?」

「それもある。でもおそらくそれだけじゃないだろう。

湖は広いけれど閉鎖的だ。

たぶんそれは川でも海でもない理由の1つかもしれない。」

「少なくとも貴方はそう思う。」

「まあね。」

「湖はどことも繋がってない?」

「そこには滝とかもないから。

そして閉鎖的な場所には流動がないんだ。

そこはただ静かに何かが…、紅葉の落ち葉とかが溜まっていくところなんだ。

たぶんそれがポイントだと思う。

でも不思議なことに、そんな景色に足を踏み入れていると、四季の中で秋が最も美しい季節だと確信させられる。」

「その風景に思いを馳せる度に、貴方の中で何かが溜まっていく。」

彼は頷く。そしてそれは、私の場合もそうかもしれない。彼は今かなり個人的なことを話しているが、どうしてだろう。それは他人事ではない。

「でもそこは心象風景であるのに、ちゃんと循環しているということに最近気づいたんだ。

一見そこは澱が溜まっているだけに見えて、ちゃんと交代がある。

湖の水は水蒸気になるし、雨水も湖に加わっていく。」

「だけど季節は変わらない?」

「永遠の秋。

そこでは日々の、時間の感覚さえない。

なんだか自己反省の期間みたいに。

そこが日暮れでも夜でもないから朝から昼ということは分かる。

それが僕の思い描く世界の終着点なのかもしれない。

紅葉の木々が辺り一面に広がっていて、それは現実で見たことのある紅葉よりも紅い。

そんな一面のルビーが不思議と心を和ませてくれる。」

世界の終着点なのかもしれないのに、それは彼の心を和ませている。自己反省の期間?

「そこには誰かいるのかしら?」 

「誰もいない。都市部でもないからね。」

本当にそこが田舎だからという、ただそれだけの理由で人はいないのだろうか。しかし私だって大層なことは言えない。夢に現れる周囲の人物は、往々にして誰でもありうる誰かたちだ。そこにはどの程度の違いがあるだろう?

「その特定の場所に思いを馳せる度に、いったいその幻想がいつから僕の心に住み始めたのかが不思議で仕方なくなる。

特にその風景が深く自分の心のどこかと結びついていると気付いた時には。」

「心のどこか?」

彼は首を振る。

「一体どこなのかは分からない。

でも気付いた時にはイメージが現実のある場所と心のある場所を構成する。

その幻想を思い出す度に、解像度はあまり変わらなくても、少しずつ僕の中で占めているものが大きくなっていることが分かる。」

「そして世界の終わりが待っている。まるで昔に戻ったみたいに。」

「ミア、君は」

「私も何も知らないの。

気付いたらここまでのチケットを用意していた。

ただ昔話があるだけ。そして今があるだけ。」

それは聞き分けの無い子供に言い聞かせるような優しい物言いだった。

「それは貴方の中にあるの。

私のものが私の中にあるように。

そしてそれが見つからないのなら、どんな物語もそこで終わり。

だからここにいるの。

貴方も、貴方自身の手でそれを見つけることになる。」

その言葉を言い終えた時に、灯台のライトがまた彼女を照らし出した。そして一瞬思考が止まった。何かがずれるような確かな感覚があった。頭は何かを訴えていた。これは見逃しちゃいけないというようなことを。誰かが大声で僕の大脳で叫んでいた。これは見逃してはいけない風景なのだと。頭の中でシャッターを切り、それを特殊なプリント屋に持って行き、大きく印刷した後にお前はそれを自室の壁の一面に張り、その意味が分かるまでずっと永遠にそれを眺めるべきだと。そしてこれはなるべくしてそうなっているのだ。体はもう暖かくも寒くもなかった。それが海水の冷たさと夜風の冷たさで体が無感覚になってしまったせいなにか、それとも丁度適温なのかさえも分からなかった。そこまで僕の中でリソースが回っていなかったのだ。でも風はどこまでも現実で、それは彼女の紺色のスカートを揺らしていた。僕の買ってから一度も着ていなかった白いポロシャツ。ブロンドの髪は胸の辺りまで伸び、肌は白い。シャープな輪郭と目鼻。整えられた眉。何かが訴えている。でも何が?

「…分かった。

君が言うならきっとそうなんだろう。

だけど、変はないんじゃないか?」

前方に歩を進め短いスカート丈が海面ぎりぎりまで近づいていた彼女は首だけで振り向き、僅かにそれを傾げた。

「いくら君が昔みたいと思っても、僕は変わったんだろうから。」

彼女はしばらく僕の言ったことについて考えている様だった。そしてきっかり5秒くらい経ってから彼女は言った。

「その通りかも。」

きっと今日のこの景色も、僕は忘れないだろう。それは夜には勿体ない笑顔だった。


 僕たちは浜辺まで戻ると、火の勢いは先ほどよりも増していた。他の皆が大量に燃料を持ってきていたのだ。これなら朝までもちそうだ。明日は午前だけ文化祭の後片付けがあるが、始発で帰れば間に合うだろう。とても眠そうだが。それにしても・・・

「これ、どこから持ってきたんだ?」

それらは大きな丸太や均等な長さで針金の巻かれた、細い竹の集まりだった。

「そこら辺に落ちてたんだよ。

なあ?」

光晴はどんな時でも愉快な奴だ。僕は確認するように莉乃に目をやった。

「ええ、そうよ。」

相変わらず彼女の反応はそっけない。そしてそれは絶対に本当じゃない。

「大丈夫だって陵史、ここは後ろの砂が盛り上がっているから死角だし、ばれないって」その砂を腰掛けみたいにして座っている光晴はやはり晴れがましかった。そうこう話している間にも皆は焚き火に木材をくべていった。

「ほんとに大丈夫だって。

丸太はまるまる抜けて転がってたし、なんか知らないけど竹は壊れてたし、ほら。」

こうして急遽始まった焚き火は明け方まで続いた。最後はペットボトルで汲んだ海水で火を消した。何か分からないがどんな話も馬鹿みたいに楽しくて、笑えた。それはまるで二回目のミアの来日パーティーだった。片瀬江ノ島駅まで向かう途中で誰かが競争だと叫んで走り出したのをきっかけにして(多分この文化部の集まりでそんな馬鹿な提案をしたのは光晴のはずだ)僕達は日の当たり始めた海岸線を駆けていった。時刻は五時だった。僕らは砂まみれで、喉が乾き、腹が空いていた。海風はまだ冷たかった。


 藤沢駅で降り家に帰ると案の定姉は寝ていた。彼女を先に風呂に入らせた。ガレージ前であんなにはたいたのにどこまでも砂は入り込んだいた。部屋着に着替えると昨日の分の腕立てをする。一時間後の七時にミアはばっちりと身なりを整えて風呂場から出てきた。

「お待たせ、お風呂どうぞ。

私の分も朝ごはん作ってくれたの?」

「ああ、僕はもう食べたからミアもどうぞ。」

「ありがとう。」

どういたしましてと言って僕は風呂場に向かった。


 小一時間浴場でうとうとしていたせいで歯を磨き制服に着替え終わる頃には遅刻ギリギリの時間になっていた。リビングに出ると彼女はいなかった。代わりにメモが置いてあった。

「本当にどうしようか迷ったのだけど、このところ徹夜が続いていたようなので声を掛けずに先に行くことにします。

朝ごはんまで作って貰ったのにごめんなさい。

けどゆっくり休むことも必要だと思う。昨日は本当に楽しかった。

We are the hollow men.We are the stuffed men.

Toodle pip.」

最後に彼女の名前が筆記体で綴られていた。彼女の気遣いは有難かった。文面からは彼女の高揚感みたいなものを素直に感じることが出来た。その時に彼女が好きなんだと気付いた。全くもって突然の天啓だったにも関わらず、驚きの中で僕は妙に納得していた。そしてそれは仄かに漂う潮のように、静かに降り始める雨のように何処までも穏やかな感情へと変わっていった。しかし最後の二行はなんなのだろう。私たちは虚ろな人間?そのメモの上にはオイスターカードが置かれている。Transport for Londonのイギリス版ICカードだ。そしてその上には随分と古風な

鍵が置かれている。これは僕にということなのだろうか?


 僕は荷物をまとめて(といっても今日は実質持ちものは必要なかったのだが)家を出た。だが、学校に着いてもリナはいなかった。


 いつの日かの会話を思い出す。いや、それはそんなに大昔の話ではない。

「ボールは僕の手の中にあるんです。」

「いつもそうなの?」

「はい、いつもそうです。」

そう、いつもそうだったのだ。これまではそうだった。でももうこの手の中にはどんなに小さなボールさえも収まってはいなかった。


 それはいつの間にか彼女と共に消えてしまった。ウーズレイで彼女が流していたThe hepburnsの「hat&coat」が頭を流れていた。

 She disapears.


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る