第25話
一瞬の空白の後僕は全体重を後方に戻すと、横に仰け反り後退した。ただのアルコールの回りすぎた愚かしい少年の余興、そのはずだった。そしてそんな部屋を開けてしまったのが他ならぬ自分だということに改めて愕然とした。僕はその中を覗くことに対して賛同的ではなかった。それは何かがあるかもしれないという恐怖やロマンの想像、話のネタとしては好いていたが、それまでだ。僕はまずこの事実を保留し、翌朝日が昇ってから見れないかどうか考えてみた。でもすぐにそれを否定した。だってここから出るにはその部屋を通り過ぎなければならないのだから。その次に考えたことは父がどの程度危険人物だったかということだった。僕は彼との過去を思い出してみた。些細なことから大きなことまでを、出来るだけ一通りだ。でもそこには愉快そうな姿しか出てこなかった。僕は自分に問いかけてみた。
「人の心は分かるだろうか?」
「ノーだ。
人の心は分からない。
時にはそれが僕自身の心であっても。」
話はそれ以上進まなかったし、言うべきこともなかった。たかが血の繋がりがある程度じゃないかと僕は思うしかなかった。僕は彼の人生について知らないも同義だった。大まかな、かろうじて履歴書に記載する程度の過去しか僕は知らない。そんな人間が息子だという理由だけでいったい何が分かる?意味もなく時刻をスマホで確認すると3時半丁度だった。
「あれはね・・・呪われた部屋なのよ。」
いつぞやの夏休みに姉さんが言っていたことを思い出した。いいだろう。これは呪われた部屋だ。当然近づくべきではない。でも近づかないことには堂々巡りというような現状もある。中を遠くからスマホのライトで照らしてみると、それは深い闇の中に消えていった。宇宙を眺めているみたいだ。家の構造と同じなら近くにライトがあるはずだ。 果たしてそれは予想していた通りの場所にあった。一瞬この部屋を見てもいいのか悩んだけど、もう手遅れだろう。部屋をぐるりと見回すと、そこが確かに普通の書斎の間取りであり、特筆して変なものがないということが分かった。それは僕を少なからず安心させた。骨とかが出て来たら多分また立ち尽くす羽目になっていただろう。その部屋は一言で言うなら趣味で埋め尽くされていた。まず立派な蓄音機があった。ガラスケースの棚にはカメラが数台並んでいる。壁にはピカソの絵が飾ってある。たぶん複製画の製作者かなにかだろう。そしてピカソはゲルニカのような絵。でもゲルニカよりもその絵には引き付けられる要素があった。それはあまりにもゲルニカが時代に準拠した生易しい絵とは言えない存在に対し、この絵があまりにも個人的な代物に思えたからかもしれない。そしてその絵の一番目を見張るべきところは、その構図であり、大きさだった。棚の中にはLPレコードと本が入っていた。それだけだった。
部屋の中は埃っぽかった。部屋が思ったより手狭だったのもあって大体のものを僕は観察し終えた。でも本当にこれだけなのだろうか?もしこれだけならあそこまで厳重な鍵を付ける必要もないだろう。彼は日の当たる所には持っていけないような、恐らく自身に深く関係した何かをここに隠しているのではないのだろうか。でなければこの部屋の過度なロックの説明が付かない。僕は一つ一つを確認し直していった。何かあるはずだ。本棚が回転式になっていないかを調べたが、それは余りにもありきたりで非現実的な考え・無駄な試み・アルコールに侵された思考だった。何かの映画の影響で鏡も触ってみたけど扉なんてなかった。ウィスキーの瓶だってそれが実にうまそうだという情報しか教えてはくれない。古い映画のパンフレット、写真が四枚。どれも外国だった。一枚目はイギリスのチューブの写真、二枚目は蜂蜜色の家々と銀色の車の写真だった。これも当然外国だろう。コッツウォルズだろうか。三枚目はどこか分からないが、とにかく明るい青空と路地裏の影のコントラストがよく効いた路地裏の写真だった。世界中のどこかの建物と建物の間にはそういう路地があるのだ。最後の写真も蜂蜜色の家々が並んでいた。そこには石橋と川が流れていた。空はダークブルーで街灯の灯りは眩しく輝いている。間違いない。家族はそこに行ったことがあったのだ。でもそこには家族写真がなかった。それは僕に軽めの違和感を抱かせた。別に書斎に家族写真がなければいけないというわけではないが、そのことは少し引っかかった。
机の引き出しを漁ってみたが特にこれといったものはなかった。机の上には家族の写真と懐中時計、ベル。僕はそこに座るとベルを鳴らしてみた。それは金属特有の鋭く高い音を短く鳴らした、それだけだった。アコースティックギターも置いてあったが只のギターだ。行き止まり。今日は諦めてまた明日探した方が良いのかもしれない。書斎の明かりを消すと僕は自室にジャケットをかけ、ネクタイを置くと風呂場へ向かった。そう、僕はまだ風呂にも入っていなかったのだ。そしてべっとりとした嫌な汗を流した。
早すぎる二日酔いは段々と悪化している気がした。水を数杯飲んだ程度ではどうにもならないらしい。どうしようもない、全ては明日だ。そうして僕はリビングのソファへと行くと横になった。それがどう転んでも誰か同年代の女性と眠りそうになるこの世界へのささやかな抵抗だった。そしてたちまち深い眠りへと落ちていった。その頃には、ブラインド越しに空が白み始めていた。
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