第21話 支度
29th,August
「じゃーん!稜史、どうよ!」
今朝、リビングにて。姉さんは朝からテンションが高かった。今日から二学期の始めということを考慮すればそのテンションは僕の対極と言ってもいい。そもそも夏休みは八月一杯、三十一日までだと相場が決まっていたのではなかったか。そして姉の言う「どうよ!」とは彼女の後ろにいるリナのことだった。このいつもと少し違う雰囲気の原因は、どうやら彼女が北英の制服を着ていることにあるらしい。紺色の膝上まで短くしたスカート、本音を言わせていただけるならとてもおしゃれとは言えない。ほんと、田舎丸出しって感じの、まるで華美が禁止された世界のような服だ。だけど彼女はそんなものでも着こなすのだ。だから僕は本音を言うだけで良かった。
「ありがとう。」
姉さんも何故か自慢げだった。
「私のお古よ、綺麗でしょ?
昨日クリーニングから返ってきたの。
これであんまり目立たなくなるんじゃない?」
確かにもう文化祭前の為金髪の生徒も多い。お互いがお互いの外見に一歩近付いたというところだろうか。
今日は朝から雨が降っていた。僕は久しぶりに紅茶を飲んだ。ミアがそれを勧めてくれた。僕は寝ぼけた頭で礼を言うとティーカップを受け取った。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
彼女も席に着く。その紅茶は僕に良く晴れた日の透き通った真っ赤な夕日を想起させた。ワインみたいだ。パンを一緒にかじっていると姉がまた騒ぎ出した。
「陵史達は文化祭か~。
いいないいな~。」
「姉さんにもあっただろう。」
「でも今年はイギリスなんでしょ?」
姉さんは何回イギリスに行くつもりなんだろう。
「陵史達はどこに行くの?」
「ロンドンとコッツウォルズ。」
「私も行っちゃおっかな~。」
姉さんならやりかねない。
「そういえばこの紅茶ってどこのなんだ?」
でもそれは僕の知らないところのだった。姉はそれが有名でこっちでも百貨店なら扱っていることを教えてくれたが当然僕がそれを飲む機会もなかった。
「じゃあ行ってきます。」
食事を済ませた僕らはまた繰り返される毎日に向かった。
登校するといつもはあまり考えられない人が僕に声を掛けてきた。
「放課後、図書室の準備室に来て。」
それは莉乃だった。
「悪いけど、今日は用事があるんだ。」
「五分でいいから、駄目かしら。」
珍しいこともあるものだ。僕はその誘いに対して
YES・NOと言う。
結局僕はそれを断ることにした。何となくいつもと違う彼女が気になったし、興味をそそられた。でも授業が全て終わった放課後にも今日だけは予定がある。
「貴方は本当に、分かっていない。
本当に何も」と言う彼女に別れを告げ最寄り駅まで歩き、電車で家に帰った。
家には先に帰宅したミアがいる。僕はシェナに餌をやり、自室に入ると制服を脱ぎ、この前彼女にプレゼントされたパターン・オーダーシャツとネクタイに着替え、クリーニングから帰ってきた夏用の黒のスラックスを履く。ミアと自宅から出ると信号を渡ってすぐの古着屋に入る。姉の店だ。彼女はレジのほうでノートパソコンをしているが、来客のドアを開ける音でこちらを見る。僕はレジのカウンターまで行く。
「あら、随分と素敵なシャツを着ていること。
それが彼女のプレゼント?」
「まあね。」
「貴方たちがこっちに足を運ぶなんて珍しいわね。」
「最近になって、姉さんはこのお店のコンセプトを話してくれた。」
「それで気になった?」
「必要なものがあるんだ。」
「いついるの?」
「今日。」
「ジャケットがいるわね。」
姉は席を立ち上がるとレジを出て、金ボタンの段返り三つボタンのネイビーブレザーを出してきた。
「すごくちゃんとしてそうだ。」
「着てから言いなさい。」
試着室は広かった。普通ならここで二人は着替えられるだろう。そしてフレグランスが置いてあり、特別な匂いがした。入って左奥の壁が一面鏡になっていて、赤い絨毯がひかれ、深い緑色の壁とシャンデリアがあった。こんなものは自宅にもない。姉は本気で服飾の世界を愛しているのだ。確かにここだけが非日常を醸し出していた。そして彼女から渡された服の包装を開けた。その上にネイビー・ブレザーを羽織る。ジャストサイズだ。そしてそれは今までに僕が着たジャケットの中で最もしっかりとした作りをしていた。それを脱ぐと腕にかけ、瀟洒な試着室を出た。そこには先に着替え終えたリナがいた。彼女は赤いワンピースタイプのドレスを着ていた。
「とてもよく似合っている。」
「貴方も。」
「会場で浮いた存在になる必要はないけど、その他多勢になられても困る。」
「これらは前からここにあったの?」
「ブレザーは貴方へのバースデーとして用意していた。」
「今日みたいなことがあるかもって?」
「いつかはね。
バースデーにそういう服装の必要なレストランに行っても良かったし」そう言いながら彼女は僕の足元を指差した。そこには赤茶のローファーと、その中に履く薄い臙脂色を基調としたアーガイル柄のソックス入っていた。それが新品でちゃんとしたものなのだということは想像出来たが、これ一足で今履いているスクール・ローファーを何足買えるかまでは検討もつかなかった。
「素敵な装いというのは、必要だから買うものではないの。
むしろ逆。
貴方が素敵な装いをしているから、素敵なパーティーが向こうからやってくるのよ。
まあ、そのことを知っている人はこの街にあまりいないみたいだけど。」
必要の法則、僕はリナと顔を見合わせる。余分なものや違和感がなく、調和してる。教科書に載っていそうなくらいちゃんとしているが、細部の工夫が制服には見られない。僕のような若造がこういう恰好をしていて、気を悪くする人はいないだろう。
「このお店は貴方みたいな人が目当てだから。
ある程度ラインは固まってるのよ。」
「細部を捻ったトラッドの延長。
一面が雨でも気分は晴れやかになれる服。」
いいキャッチコピーだ。そこで一度会話が途切れた。姉の方も無闇に会話を続ける気はないようだ。車内ではずっと僕の知らないクラシックが静かに流れていた。レイニージャズとでもカテゴライズしたくなるようなメロウで、うるさくない音楽だった。その沈黙がやってきて初めて僕はその音に耳を澄ませた。そういうのを僕は今まで好んで聴かなかったから、それは随分久しぶりな気がした。
彼女は僕にシンプルなネクタイピンを渡してくれた。そしてそれ以上必要なものはなくなった。
「でも貴方は目立っては駄目よ。」
「そのつもりはないけど、なぜ?」
「パーティーの主役によるから。」
「わざわざどうも。
お代は?」
「我が弟ながら律儀ね。
いらないわ。」
僕はそれと感謝を告げ店を出た。そしてその通りのバーバーに向かった。そこでジャケットをハンガーに掛け、散髪して髪を整えて貰う。もともと短くする気もなかったのでそれには一時間もかからない。十分かけて蒸したタオルとクリームで念入りにシェービングをしてもらい、シャンプーで髪を洗ってもらい、ワックスでかきあげセットされた見慣れない自分の姿がある。そして会計を払うといささか冷房の強い美容院をジャケットを着て出た。外はまだ明るい。夏だ。彼女の勧めに従っておいたほうが良さそうだ。家に戻ると化粧を終えたリナが自室のオフィス・チェアに座っている。
「お待たせ。」
「じゃあ、行きましょうか」彼女はそう言うと机の上に置いていた招待状を手に取り、車のキーを取る。
その夜、陵史はその得体の知れないパーティーで、全員と予期せぬ邂逅をすることになった。
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