第17話 In the Dark

「非常口の扉が見えるかい?」

そう僕じゃない若い男の声が言った。非常口の扉?それは今僕の背にあった。それには窪みの所にあるからここからでは見えない。

「別に君が振り向いてる間にとって食おうなんてこれっぽちも思っちゃいない。

君に危害を加えるつもりはない。

逆に、僕としては君を助けたいと思っている。」

「助けたい?」

僕は数歩引き返すと、そこを振り返った。それは確かにいつも点灯しているはずの緑色のランプがついていなかった。どうして今までそのことに気がつかなかったんだろう?非常用の明かりがついてない。

「今日の営業はもう終了しました。

貴方は誰なんですか?」

「君は陵史、樫江陵史」そう言いながら男はコーヒーを一口すする。

「おかしいな。

ネームプレートに名前まで書いていないはずなんですが。」

「座ったらどうかな。」

僕はモップを置き、彼の座っているテーブルの前に座る。

「私はタクミと言う。

タクミ・タチバナ。」

「それは僕が書いた文化祭の登場人物の名前だ。」

「私は色々知っているんだ、樫江陵史君。

君は最近、奇妙なルームシェアを始めただろう。」

「・・・タナー?」

「Tanner・Ashfield.

No, It's not me.

タナーは死んだと彼女から聞かなかった?」

「その死因は定かではない。

行方不明と聞きました。」

「君の両親と同じだ。」

「僕の?

彼らは事故に遭ったと聞いています。」

「聞いただけだろう。

その目でちゃんと確かめた?」

「僕が見たのは骨壷だけです。」

「ほら、タナー・アシュフィールドと同じだ。

彼女も彼の遺体は見ていない。」

「貴方は誰なんですか?」

「タクミ・タチバナだよ、もちろん。」

「彼は日系イギリス人のはずだ。

貴方のようにブロンドじゃない。」

「なあ、少年。

物語が君の作ったプロット通りに動くとは限らないんじゃないか?」

「そうかもしれません。

でも僕はそれが現実になることも望んじゃいない。」

「でも君の作った彼の経歴はよく出来ている。

細部の違いこそあれ大枠で見れば、まるで私のことを知っているみたいにも感じられたよ。

なあ、君は私のことを知っていたのか?

樫江陵史君。」

「それはキャッチャー・イン・ザ・ライを読んでジョン・レノンを撃ち殺した人間と大体同じ感想に聞こえますね。」

彼は笑う。

「私だって、本当は君の前に姿を顕すことには反対だった。

色々と支障が出る。

でもあのプロットが良く出来ていたから、プランを変えることにした」そう言って男は一枚のカードを差し出す。その名刺には、たしかに

"Takumi Tachibana"と書かれている。技巧の巧に、花の橘で、橘巧。カードには電話番号が載っているが、それ意外の記載はない。

「わざわざ作ったんですか、巧さん。」

「ああ、君には信じてもらいたくてね。」

「貴方のことを信じたほうがいい?」

「ああ、日系イギリス人だってブロンドの髪は珍しくないだろう。

実際に私はこうして日本語を話している。」

「どうしてわざわざ閉店時間に?」

「申し訳ないことをした。

でも昼間に仕事で忙しい君の前に顔を出したとして、君は付き合ってくれたか?」

もちろんノーだ。

「リナは貴方のことを知っている?」

「鋭いサーブだ、樫江君。

私のあげたあの車は、ちゃんと走っている?」

「ウーズレイ1300mk2. 」

「もちろんその車だよ。」

「ええ、ちゃんと走っています。

加えて美しい車です。」

「そうだろう。」

「リナも貴方のことをミスタ・タチバナと呼んでいるんですか?」

「いいや、彼女は私について、君よりも知っているよ。

しかしそれはオススメしかねるな。」

「何を?」

「これ以上私について、君が詳しくなることを。」

「それは貴方の想定にない?」

「そうだね。

そうされるとこちらも色々と話がややこしくなってしまう。

文化祭のシナリオと同じだ。

切るべきでない時にカードを切るのは好ましくない。

また老若男女が感心するけど、混乱してはいけない話にする必要がある。」

「それでも貴方には計画がある。」

「もちろん、私はアナリストだからね。

日々それを練っている。

君が現実には存在しない種類の、家の形をした何かを建築するように。」

「彼女にこのことは言わないでおきます。」

「賢明な判断が聞けて嬉しいよ」そう言って彼はテーブルに何かを置く。


 一つは腕時計だった。僕が知っている時計というのはそれ程多くない。今までに自分で買ったものも一つもないくらいだ。でもそれが小さく精緻な作りで、価値のあるクラシックなものであるというのは一目で分かった。金色のフレームと蛇腹ベルト、黒い文字盤がそれを豪華に見せていた。この色合いでなければこの時計は決定的に幾分かのゴージャスさを落としていたはずだ。そう思えた。そして随分と先鋭的なデザインだ。先が尖った三角形のフレームの時計というのを見るのはこれが初めてだった。普通の時計よりも一回り小さい。 見た所針は動きを止めている。クオーツ時計らしい。見方によっては趣味が悪く見えなくもない。随分と特徴的な時計だ。


 そして彼はもう一方のテーブルの上に置いてある白いナプキンを取る。鉄で出来た小さいケースが顔を出す。僕の方に彼はそれを押す。僕はその箱を開く。そこには拳銃が入っている。


 大分古いものみたいだ。彼は弾倉を抜き、リロードする。全部で弾数は五発。それはレプリカには見えない。彼はその弾をジャケットのポケットに入れる。何かがかなり前から動いているのだ。僕の知らない所で何かは持ち上がり、平行して進行している。時間を掛けてそれを観察した。その拳銃にはBERETTAと書かれていた。

「君の父上のものだ。

返しておくよ。」

「なぜ僕のところにわざわざ来たんですか?」

「君が私に然るべき名と設定を与えてくれたからだ。

感謝と助言に来た。」

「助言?」

「私の存在を君の胸の内に留めておくことと、もう一つ。

君は近々、招待状を貰うことになる。

いいや、その送り主は私ではない。

加えて私の関係者でもない。

でもそれに出席するのを奨めるよ、嘘偽りない私の良心から」そう言って彼は時計に目をやる。

「そろそろ私は失礼するとしよう。」

彼は立ち上がり、ジャケットのボタンをとめる。階段を降りていく音が聞こえる。


 もうそこには灰皿とタバコの燃え殻しかなかった。こんなのは、閉店後の喫茶店にはうんざりするくらい転がっている景色だ。古い拳銃を除いて。僕は首を振ると階段を降りてその灰皿を処理してから、入り口のドアを閉めて帰った。途中で落ち着いてスマホをつけて時刻を確認した。それは僕がクローズで上がってから三十分しか経過していないことを知らせていた。帰宅しても家では何も言わなかった。誰もこの件に巻き込みたくなかった。それにおそらくこれは僕の問題なのだ。いつも通り夕食を作り、早めに布団に入った。


 気がつくとアラームが鳴っていた。今日は特に体を酷使した方が良さそうだった。

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