第4話:道端で天使を拾ってから2日目の生活が始まった
マリアと出会い、二人での生活が始まったのも昨日の話。
金曜日の朝、徐々にざわつき始めてきた教室の中で、朔は気重な様相で机に突っ伏していた。
疲労やストレスの溜まり果てた金曜日、というのも多少あるかもしれない。
けれども、朔の憂鬱の原因は明確に別のところにあった。
「おっす朔!おはよーさん!」
聞き慣れたうるさい声がして気だるげに顔を上げると、陽気さを一身に纏った生徒───
「ん?なんだ啓か……」
「なんだってなんだよ」
「なんだはなんだだろ」
友人関係が構築されていない入学してすぐの頃は、これからの高校生活の占いも兼ねて友人を作るべくクラスメイトと話すものだ。
当然朔も話しかけてみたし、話しかけられもした。
けれど、結局それは一時的なものでしかない。
一週間も経たないうちにグループと呼べるものが形成され、ほとんど話すことがなくなる。
そんな中で啓だけが毎日話しかけに来てくれて、唯一関係が続いている相手だった。
趣味は全く違うし、性格も真反対なのに何故関係が続いているのかは分からないけれど。
「───で、なんで朔は『ペットを飼い始めてから初めての外出でうちの子が心配だわ〜』みたいな顔をしてるんだ?」
「やけに具体的な比喩だな」
啓の喩えが当たらずとも遠からずと言ったところなせいで言葉に詰まる。
なんなら遠からずどころかほぼほぼ正解である。
実際にはペットではなく天使なのだが───。
「どんなペットだ?ワンコか?ニャンコか?それともインコか?」
「ペットなんて飼い始めてないから」
「嘘だろ!?天沢朔検定九段の俺が間違えた……?」
と、なにやら意味の分からないことを言いながら大仰に驚いて見せる啓。
それに天沢朔検定とはなんだ。まず天沢朔本人が知らないのだが。
「ちょっと待ってくれ!もう一度考える!少しだけでいいからこっち向いてほしい!」
頼まれると素直に頷きたくなくなるのが人間である。
天邪鬼にそっぽを向いてやった。
「ふむふむ。なるほど。こういうことか……」
すると、啓が意味深に頷きながら睨め回してくる。
表情や態度から朔の心情をさらに深く読み取ろうとしているらしい。
もっとも、他人の心など分かるはずがないだろうけど。
もしこれだけで読み取れるのだとしたら、占い師にでもなった方がいい。
人の心を読み取ってそれっぽいことを言えばきっと大儲けだろうな。
それより───。
「来てます!来てます!あなたの思考が来てます!」
───顔が近い。
指の動きも加わってえせ占い師のような言動に変化しているが、何せ顔が良いものだからこれだけ近いと少しドキドキしてしまう。
何組の誰に告白されたとか、噂話も伊達じゃないなと思う。人が人なら確実に落ちているだろう。
……これだからイケメンは。
「……それで俺の心が分かったのか?」
朔も自分で言っていて恥ずかしかった。
BL誌でもないようななかなかに濃い発言だった気がする。
穴があったら入りたいくらいだ。
───いや、決していやらしい意味ではない。
「ん〜何となく?さっきよりは精度は高いと思うけど……」
「言ってみて」
「え〜……」
やけに歯切れの悪い。
ここまで来たら早く言ってほしいものだが。
「いいから。なんでも気にしないし」
「そうか。なら言っちゃうよ?ほんとに言っちゃうよ?」
「焦らすな」
わざとらしく咳を払って、では、と啓が口を開いた。
「ずばり!あなたの心は『恋人と同棲を始めたけれど、家の中で自分が上手くやれてるか心配!』ですね?」
「残念。不正解。八段に降段」
「なぁっ!?」
あながち間違っていないのが本当に困った。
そのうちマリアのことがバレてしまうのではないかと心配になる。
「でも良かったよ。俺の推測が間違ってて」
「どうしてだ?」
意味が分からず朔は首を傾げた。
「だって本当に恋人ができてたら朔は俺に構ってくれなくなるだろ?」
「なわけないだろ。啓は啓で大事な人だしな」
「そうか……」
頬を染めながら啓が胸を撫で下ろしていた。
そんな顔もするんだな、と思った。
何かが違えば勘違いしてしまってもおかしくないくらい魅力的な表情だった。
「それに俺に恋人ができるわけないからな」
「そんなことないと思うけどな」
「へ?」
あまりの即答具合に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だって──」
啓が朔の方へ手を飛ばすと、そのまま朔の伸びきった前髪を掻きあげた。
「───朔って顔も良いしハイスペックだし性格もいいから、俺なら放っておかない」
「そうかよ」
もし啓のファンだったなら爆音で黄色い歓声を上げているところだろうけど、あいにく朔はそうではない。
なんならこれだからイケメンは、と一周回ってムカつきさえする。
「まあ、その長ったらしい前髪が無ければだけど」
「お生憎様前髪がチャームポイントかつトレードマークでやらせてもらってるからそれは無理な話だね」
「美容院が怖いだけだろ」
「ぐっ……九段に再昇段……」
ただ髪を切ってもらうだけなのになんで美容院はあんなに怖いのだろうか。
しかも行ったら行ったで案外何もなく終わっているものだから、余計によく分からない。
案ずるより産むが易しという言葉がこの上なく当てはまっている事象だと言えた。
「あんた達はこんな朝っぱらからなんでそんなにイチャついてんの?」
ちょうど今登校してきたらしいウルフカットの女子生徒が、渋面を作りながら朔の隣の席に腰掛けた。
「
「おはよう
涼しげな目元がクールな印象を持たせる彼女は
朔とは小学校からの付き合いなので、幼馴染と言っても差し支えはないだろう。
「高宮さん、ちょっと相談が」
「何?」
啓の発言に明那がやや鬱陶しそうに目を細くした。
「───今の朔の表情をどう読む?」
ピクリと僅かに明那の眉が反応する。
そのまま明那は啓と向き合うと、にやりと口角を上げた。
「あたしにそんなことを聞いちゃうんだ。天沢朔検定十段だよ?」
だから天沢朔検定とはなんなんだ。
「朔、こっち向いて」
朔は肩を竦めて明那の方へ姿勢を寄せた。
「ふむふむ。簡単だね。でももうちょっと近くで……」
だんだんと明那の顔が近づいてくる。
朔はそれに伴って、半ば無意識的に仰け反る形になる。
「離れないでよ。見えないんだけど」
「いや恥ずかしいから……」
「いちいちうるさい」
「へぶっ……」
明那に頬を両手で固定され、潰れたような声が漏れた。
「ひょっほひはひっへ」
「お口チャックして」
明那のつり目がちな双眸が朔を捉える。
朔は精一杯の身動ぎした。
形の良い鼻梁や唇はさることながら、内面まで見透かすような明那の両眼が朔に激しい羞恥を覚えさせたからだ。
「顔真っ赤」
「うるひゃいな」
けれど、抵抗はしない。
明那が不機嫌になるのは目に見えているし、それは朔としても困るからだ。
「ぷはぁっ……」
「はいオッケー」
明那の手の内から解放され、長い潜水を終えた鯨のように大気をいっぱいに取り込んだ。
「その心は?」
「そうね。『ちょっと煩わしいけど楽しいし、何より二人のことが好きだから無碍にしたくない』だね」
「不正解」
朔は窓の方へ顔を逸らした。
合っているのかもしれないけど、認めたくはない。
「嘘ばっかだね〜」
嬉しそうな声色で明那が続けた。
「今の心は『恥ずかしいから肯定したくない』だね」
「……十一段に昇段」
「ありがたきお言葉」
なんでこんなに心の内を読まれるのだろうか。
「菅原って何段だっけ?」
「ついさっき八段に降格して九段に昇格したんだよな」
「あたしは十一段だから。敬語使えよ九段ちゃん?」
「分かりました高宮十一段殿」
「よろしい」
どちらかと言えば朔は分かりにくい性格をしていると思うのだが。
「あ、そうだ朔。あたしに言いたいことあるでしょ」
「え、あ、うん。そこまで分かるの?」
「天沢朔検定十一段だからね」
「くぅ〜流石高宮十一段……」
悔しそうに握りこぶしを作る啓。
もうここまで来るとメンタリストだろう。
正直言って怖い。
「言いたいことって何?」
「あー……」
朔はぽりぽりと誤魔化すように側頭部を搔いた。
直接伝えるのにどこか気後れしたためだ。
「今言わないと聞かないけど」
「言います!言いますから!」
明那に急かされて恐る恐る口を開く。
「ちょっと放課後少し付き合ってくれない?」
「もっと可愛く」
「えー……」
意を決して言ったつもりだったのだが、軽く流されてしまった。
なんなら注文が追加されたし。
「放課後、一緒に買い物に来て欲しいなぁ〜っ!」
「見てよ教室の冷めた目」
「───え」
小悪魔のように口角を上げる明那から目を離して、慌てて教室を見渡す。
が、いつも通りの平穏な空気が流れていた。
「冗談」
「明那……ビビるからやめて……」
朔は急激に高まった緊張を解くように大きく息を吐いた。
実際、めちゃくちゃ怖かった。
ひやりと冷や汗がおでこを伝うくらいに。
「あははっ!ごめんって」
「可愛かったぞ!朔!」
「啓まで……」
手のひらの上で転がされている感覚がとても悔しい。
でも、楽しそうに笑ってる二人を見ていたらそれもどうでもいいかもしれない。
「んで、放課後ね。了解。楽しみにしてる」
「それって俺も行って良いか?」
「啓は部活だろ?」
「ガビーン……!」
見るからに啓が落ち込んでいる。
これくらい分かりやすい動きなら朔でも簡単に心を読めそうなものだ。
「じゃあ朔はあたしと放課後デートだから。さよなら九段君」
「俺は絶対に十二段に昇格するんだ……!待ってろ高宮十一段殿!」
「せいぜい頑張るといい」
一連の会話が終わると、程なくして予鈴が響いた。
席が遠い啓とはお別れして、朔は机に突っ伏す。
「ああ………」
「どうしたの?疲れた?」
「疲れた」
一日くらいは乗り切れるだろうが、始業前の疲労感ではないことは確かだ。
「ねぇ朔」
「何?」
「───なんか隠してることあるでしょ?」
明那の言葉に血の気が引いていく感覚を覚える。
「なんで?」
「ずっと一緒にいるんだよ?それくらい分かる。さっきから心配そうにしてるのもそれだよね?」
「…………」
朔は喉を鳴らした。
マリアの事がバレる訳にはいかないのだ。
きっとマリアの事を打ち明けても、優しい明那なら受け入れてくれるんだろう。けど、それでもだ。
拾った者として、家に上げた者として、マリアを守らなければいけないのだ。
「そう硬くならないでよ。詮索する気はないし、誰かに言うつもりもないからさ」
「そっか……」
「それより、デート楽しませてよね」
「別にデートじゃないけどな」
「そういうとこ」
明那が不機嫌そうに半目を作って訴えてくる。
「ごめんって。デート楽しみにしてて」
「楽しみにしてる」
タイミングよく担任が教室に現れたところで、朝のホームルームが始まった。
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